今からちょうど
90年前の1923(大正12)年9月1日,11時58分に南関東〜東海東部に甚大な被害をもたらした
大正関東大地震が発生しました.
資源地は
相模湾北西沖,地震の規模は
M7.8.
地震による東京の被害が主に報じられていますが,東京の被害の多くは火災によるもので,
地震そのものの被害(液状化,地盤隆起,山津波,津波など)は,
震源地に近い神奈川の沿岸部のほうがひどい状況でした.
三崎では110cm,鎌倉・茅ヶ崎では80cm地盤の隆起が起こり,
三崎港(三浦市)と,江戸時代に活況を呈していた相模川河口の柳島湊(茅ヶ崎市)は干上がり,港として機能しなくなりました.
(その後,三崎港は浚渫され,港ととして機能を取り戻しましたが,柳島湊はそのまま陸化して現在にいたっています.陸化した三崎港からは多量の永楽銭が採集され,また近年,柳島湊跡からは公共施設建設工事に際して,地下数メートルから四爪錨が3本出土しています)
さらに,今は国史跡となっている水中文化遺産の和賀江島が海面に,旧相模川橋脚が田んぼから出現しています.
小田原城や一夜城跡の石垣も大半が崩落し,
東海道本線・根府川駅(小田原市)は土砂崩れにより,駅に進入してきた列車とともに海中に没してしまいました.
駅は,今でも海中で見ることができます.
(これも地震の被害の深刻さを伝える水中文化遺産です)
また,横浜の山下公園は倒壊した建物等の瓦礫で埋立てて造られたものです.
湘南地域で遺跡の発掘調査をすると,
地震の跡を確認することがあります.
竪穴住居跡の床面が上下に数十cmずれていたり,
遺構の壁・底面に,いく筋もの亀裂が確認できたり,など.
砂層の上に堆積した粘土層に掘られた幅1mほどの江戸時代の溝が,
亀裂を境に横方向に溝幅分ずれていたものを掘ったこともあります.
当地は古来から地震が多い地域なので,
どの地震によるものかの見極めは必要ですが,
大正関東大地震によるものと断定できる例も少なくはありません.
そのような痕跡を見るにつけ,
地震被害の深刻さを考えます.
三年前の東日本大震災を目の当たりにしているので,なおさらです.
このようなデーターは,
防災対策に活用できるはずです.
うまく活用するために学際的な議論・研究も必要だと思います.
現在,
横浜市都市発展記念館http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/と,
小田原市郷土文化館http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/kyodo/topics/exhibition-2013-tokubetsuten.html関東大震災関連の企画展が開催されています.