• もっと見る
« 2013年02月 | Main | 2013年04月»
<< 2013年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
最新コメント
T.Hayashibara
魚へんの漢字 (03/27) T.Hayashibara
「海底遺跡 新時代」 (03/27) T.Hayashibara
岩淵聡文著『文化遺産の眠る海 水中考古学入門』 (03/27) T.Hayashibara
公開された「神奈川台場」を見てきました (03/27) T.Hayashibara
東京駅・丸の内駅舎の復原 (03/27) T.Hayashibara
和賀江島と座礁 (03/27)
「海底遺跡 新時代」 (09/06) 山本
魚へんの漢字 (08/05) 斎藤 敏行
和賀江島と座礁 (07/29) 安田冨郎
東京駅・丸の内駅舎の復原 (07/08)
最新トラックバック
犬山城 (01/22)
https://blog.canpan.info/ariua/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ariua/index2_0.xml
「沈没船」の引揚げ事例 [2013年03月31日(Sun)]
昨日話題にした「沈没船」の引揚げ事例をご紹介します.

ご紹介するのは,韓国・新安沖沈没船(新安船)です.
このブログでも何回か取り上げでいますし,
韓国水中文化遺産調査の本格的開始の契機となった沈没船調査事例としても著名なので,
ご存知の方も多いことと思います.

新安船は,14世紀初めに中国から日本への航海途中,韓国南西部新安沖で沈没した貿易船です.
船体とともに,積載していた中国・日本・朝鮮の多様な物品(陶磁器・工芸品・香辛料・薬剤・紫檀など)が海底でみつかり,引揚げられました.

新安船の基本データー
全長34m・幅11m,木造帆船(中国ジャンク)

調査・保存処理・関係機関データー
発  見 1975年
調  査 1976〜1984年(9年・10次)
     調査主体:韓国文化財管理局
保存処理 1984〜1994年(11年)
船体復元 1994〜2002年(9年)

保存・研究機関変遷
1990年 木浦海洋遺物保存処理所(国立)開設
1994年 木浦海洋遺物保存処理所(国立)を国立海洋遺物展示館に改編
2009年 国立海洋遺物展示館を国立海洋文化財研究所に改編

以上のように,発見・引揚げから船体復元・公開まで約30年の年月を費やしています.
そして,その作業・研究は国立の機関によって,おこなわれてきました.
CIMG4207_2.jpg
     展示されている「新安船」 photo by S.H.

ただし,保存処理については,終了したわけではなく
今もなお,経過を見ながらその作業・研究は継続中です.
より長いスパンで見守る必要があるのです.

そこから得られたデーターは,次の調査・処理に生かし,
より良い調査・処理方法を確立するために,日々研究がなされているのです.

水中から引揚げられた船体や遺物は,
このような継続的なプロジェクトのもとで処理・研究がなされ,
現在,多くのひとが携わってきたのです.

水中のもののみならず保存処理は,
世代間にわたる成果が,まだ示されていない分野ですので,
その点では,終わりのないプロジェクトでもあるのです.

水中遺物の引揚げ自体は,一過性のもので,その時に費用さえあれば,可能ですが,
その後の処理・研究を考えると,長く続く大変な作業と莫大な費用がともなうものなのです.

このようにみてくると,簡単に「引揚げができない」わけがわかる,と思います.

なお,新安船の船体および遺物については,
現在,木浦市(목포시)の国立海洋文化財研究所・海洋遺物展示館でみることができます.
そのほかの引揚げ沈没船体も遺物とともに展示されています.
http://www.seamuse.go.kr
CIMG3922.jpg

CIMG3918.jpg
 国立海洋文化財研究所・海洋遺物展示館(木浦) photo by S.H.
「遺跡」「史跡」の活用と保護 [2013年03月30日(Sat)]
「遺跡」や「史跡」を活用して町おこしをする動きが各地でみられます.
これは,「遺跡」や「史跡」,その存在を知ってもらう,
それをとおして地域の歴史に興味をもってもらう,
とともに,「遺跡」「史跡」を保護すことにも意味があることと思います.

しかし,近年,それが活用ありきで
本来の意味を忘れてしまい,行き過ぎた行為としておこなわれ,
結果として「遺跡」や「史跡」に悪影響をおよぼす事例がみられます.

そのようななか,今日,facebookの投稿を通じて
国特別史跡・熊本城復元について,文化庁から改善指導がだされた,
という記事のことを知りました.
http://kumanichi.com/news/local/main/20130330002.shtml

内容は,
「熊本城の復元整備に対し,史跡の調査研究体制が不十分で.史跡保護の観点に欠けた活用があるとして,文化庁が5項目の改善策を求める内部文書を市に出していた」とのことで,
「改善をしなければ,今後の復元整備計画を審議しないことも示唆しており,市は復元や活用について見直しを迫られている」
ともあり,かなり厳しい 内応です.

新聞記事以上の詳細は知りませんので,軽はずみなことはいえないのですが,
記事を読む限り,その復元整備への取組・内容が,
「史跡」保護より,「活用」(=集客)に重点が置かれていたいたのではないかと,思われます.

たしかに,昨今の
先を競っての「世界遺産」ブランド欲しさの「世界遺産」登録,
「遺跡」「史跡」等の過度の復元など,
「保護」よりは,「活用」をとおしての「集客」に重点が置かれている事例は目につきます.
「保護」にたいする対策が十分でない状態で,「活用」のために行動を始める,などという.

「水中文化遺産」でも同じことは言えます.
例えば「沈没船」,
見つかると必ず「引揚げ」⇒「展示」「公開」,
という議論が起こります.

この議論のでは,「引揚げ」ありきで,
「保存処理」,「保存施設」や「公開方法」という「保護」という点では.
もっとも重要な観点は二の次で.

「引揚げ」⇒「公開」は,華々しく,わかりやすい文言なので,
一般の共感は得やすいのですが,
「保護」ということから考えると,クリアしなくてはならない課題はたくさんあります.

「水中」にあったものは,それまで触れることのなかった空気に触れた途端に劣化が進みます.
(酸化の影響です.これは「地中」にあったものでも同じことです)
ですので,劣化を少しでも食い止めるための対策は,不可欠です.

たしかに,通常見ることのできない,あるいは難しい状況にある「水中」の遺物や遺構を
引揚げることによって,公開することは,
それだけで,インパクトはありますし,
「水中文化遺産」の周知にとっては,意味のあることとは思います.

しかし,それにはそれ相応のリスクがある,
ということを知ったうえでおこなう必要あります.

韓国や中国では,「沈没船」は基本的に引揚げるそうです.
それにより,詳細な研究をおこない,「沈没船」とその背景を知ること,
および.多くのひとにその存在を知ってもらえる,という理由から.
これを実現するには,国家による援助やしっかりとした調査・研究体制がつくられているという背景があります.
(両国には,その体制があります)

日本のばあいは残念ながら,現状ではその援助や体制はありません.

ただし,引揚げが最良の方法かと,いうと,
そうとは言えないと思います.
先ほど触れたように,リスクがありますから.

また,引揚げることは,「沈没船」が存在した場所から動かすことです.
「遺跡」は本来,存在する「環境」も合わせて考えるべきものですので,
動かすことは,「環境」を変えてしまうことにもなります.
ですので,「動かす」ばあいはより綿密な現地調査も必要になります.
(現地に復元できるくらいの)

本来「遺跡は動かない」ものです.
この原則は忘れはいけません.

ですので,その場(水中)で見せる工夫もすることも必要ではないでしょうか.
もちろん,「水中」の環境により,できないばあいもありますが.

議論は必要です.
学問的にも急ぐ必要はありませんから.

熊本城の事例から少し話が飛躍してしまったかもしれませんが,
「遺跡」「史跡」の活用と保護について,あらためて考えさえられました.

皆さんも今一度,「活用」するということ,
「保護」するということ,
そして,そのためには何が重要なかということを
考えてみてください.
「水中文化遺産」と「水難救護法」,そして国内法の整備 [2013年03月28日(Thu)]
「水難救護法」は,「水中文化遺産」を文化財としてあつかうことにとっては,やっかいな法律です.
昨日,確認したように,実際にはほとんど使われることのない古い法律なのですが,
なぜか,「水中文化遺産」にはかかわってきます.
行政も関係法律として持ち出してくるのです.

実際に「水難救護法」で「調査」がこなわれた事例があります.
和歌山県串本町沖の「トルコ軍艦・エルトゥールル号」の調査です.
この調査は,トルコ海洋考古学研究所が主体となり,多くの成果をあげていますが,
調査は「文化財保護法」のもとでおこなわれているものではなく,
串本町が海上保安庁と協議して「水難救護法」に則って,おこなったものということです.
https://blog.canpan.info/ariua/archive/608

「文化財保護法」のもとでおこなわれた調査ではありませんので,
「遺跡」は行政的な「周知化」(遺跡台帳への登録)はなされてはいませんし,
「遺物」も「文化財」に認定されていません.

なぜ,このような「埋蔵文化財」調査としてはイレギュラーな事例となってしまったのか,その詳細は知りませんが,
「陸上」の「埋蔵文化財」調査ではあり得ない事例であることは確かです.
ルールが不明確である「水中」だからこそ,起こった事例とも言えるのではないでしょうか..

また,担当行政が調査をして,報告書を刊行したにもかかわらず,
調査地区が「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定されておらず,
引揚げた遺物(報告書に記載)についても「文化財」の認定の手続きがとられておらず,
行政的には宙に浮いた状態で行政の収蔵庫の片隅に置かれている遺物もあります.

どちらの事例も,調査については問題はないものと思いますが,
調査の手続きや遺物の処理,そして今後の影響という点では疑問が残りますし,問題もあります.

「陸上」では「遺跡になる」=「周知の埋蔵文化財包蔵地」として「遺跡台帳」に登録される事例も
「水中」のものとなると,それが「認められない」「躊躇される」,ハードルが高いのです.

このような現状にたいして,
行政担当者にも「遺跡」にしたいのだが,
ふたつの法律の間で,「躊躇」する,というジレンマはあるのでしょう.

ただし「文化財」を想定していない「水難救護法」を「文化財」に適用するには無理があります.
その立法趣旨からも明らかです.
やはり「文化財保護法」を適用すべきです.

そのためにも「水中」を念頭に置いた国内法の整備(既存法の改定,新規立法等)は必須です.
誰でもわかる,「躊躇」しない,ためのルールづくりが必要なのです.

そうしなければ,現状では「水中文化遺産」を十分に守ることはできません.

鷹島神崎遺跡が「水中遺跡」として国内初の国史跡に指定され,「水中文化遺産」に注目が集まる今,
「水中文化遺産」を守る,ということを真剣に考える時期だと思います.
「水中文化遺産」と「水難救護法」 [2013年03月27日(Wed)]
もうひとつの法律とは,「水難救護法」です.

おそらく大半の方が初めてその名を聞く法律だと思います.
また,聞いたことがある方でも,その内容はよく知らないのではないでしょうか.

「水難救護法」は,1899(明治32)年に制定された古い法律です.
しかも今日まで,文言の一部が変更されたくらいで,改定はされていない法律です.
言い換えれば,それだけ使かわれることのなかった,使う場面が少なかった法律と言うことができるかもしれません.

法では,「遭難船舶の陸上的施設による救護,漂流物および沈没品の拾得に関する」ことを規定しています.
簡単に言うと「遭難船を助ける」「海などの落とし物」に関する法律です.
そして,その裁量は「最初に事件」を認知した市町村長にあります.

「落とし物」に関しては,通常は警察が担当官庁ですし,
法律は「遺失物法」です

しかし,「水中」「水面」のばあいは,なぜか別の法律,別の官庁が所管するようです.
この点は,「埋蔵文化財」においての「水中文化遺産」が「特別視」されている現状と似ています.

通常の埋蔵文化財では,発見されたばあい(発掘調査,不時発見など)は,
遺失物として一端警察に届けます.
そのうえで,文化財として認定される,という手続きが踏まれます.
文化財として認定されれば,「国庫」に帰属されます.

この一連の流れは,「文化財保護法」に規定されています(第100〜108条).
「遺失物法」と「文化財保護法」はリンクしているのです.

それでは「水難救護法」はどうでしょう.
「文化財保護法」に「水難救護法」とのリンク規定はありません.
ですので,「水中文化遺産」に「水難救護法」が採用されると,
「文化財」として認定されなくなってしまいます.
そして,最終的な帰属(持ち主を特定できなかったばあい)は,市町村になります.
それも教育委員会ではありあません.

「水難救護法」を採用すると「文化財保護法」のルートからは外れてしまうのです.
その遺跡・遺構・遺物が「埋蔵文化財」としてあつかわれなくなってしまいます.

「水中」の遺物には,「文化財保護法」(「遺失物法」とのリンク」)と「水難救護法」というふたつの法律が関係するから単純にあつかうことはできない,と「慎重な」態度をとる担当行政もあります.

ですので,
私たちが調査で記録をとったうえで引揚げた遺物についても,
行政に相談をすると,その処遇が明らかされないこともあります.
「処遇方法がよくわからい」という回答とともに,
「水難救護法があるから」と回答されることもあるのです.
(このばあいは,暫定的にARIUA保管といういうかたちで処理をしています)

しかし,前述したように,
「水難救護法」を適用すると「文化財」ルートからははずれますので,
「文化財」としてあつかうのであれば,「文化財保護法」を適用するべきだと思います.
これにたいして「水難救護法」が存在する,という以外に問題はあるのでしょうか?

少なくとも調査で引揚げた遺物や水中で確認した遺構・遺物は,
「陸上」あれば間違えなく「埋蔵文化財」としてあつかわれるものです.

実際に,中世の鷹島海底遺跡の引揚げ品,近世の開陽丸の引揚げ品など,
時代を問わず,「文化財保護法」に則って「文化財」に認定されているわけですから.

ただし,現状ではそのハードルは高い.
(「慎重」といえるのかもしれません).
そこには,「水難救護法」の存在は無視はできないのです.

それとともに,「慎重さ」の背景には,
やはり「水中」にあることにより,「見えない」「見えにくい」ということも,
見え隠れしているようです.
「水中文化遺産」と「文化財保護法」 [2013年03月26日(Tue)]
昨日は,「埋蔵文化財」と「周知の埋蔵文化財包蔵地」についての話をさせていただきました.
お気付きの方もいらっしゃったことと思いますが,
昨日の話は「陸上」の事例です.

それでは「水中」のものはどうように取り扱われるのでしょうか.

実際には,「水中」からも,漁師の網に遺物がかかり,引揚げられたり,
潜水漁時に遺構や遺物が目撃されてもいます.
これは,「陸上」の畑で遺物が拾われる,
古墳や寺院跡が発見されるのと同じことです.

『文化財保護法』の「埋蔵文化財」の章をみてみましょう.
第92条〜第108条までの条文が相当しますが,
その中には「水中」「水底」「海底」など,「水」中に関する文言は一言もありません

『文化財保護法』制定された当時(1950年)は「水中」を想定していなかったようです.

ただし,「水中」(実際は「水底」ですが)に残されている「文化財」も陸上と同じ「文化財」ですので,
『文化財保護法』で守られるものです.
「水中」にある遺跡(水中文化遺産)が「周知の埋蔵文化財包蔵地」として,
「遺跡地図」に登載されている事実からもそれは明らかです.

昨年の3月に国内の「水中遺跡」では,初の国史跡に指定された
「鷹島神崎遺跡」も『文化財保護法』に則った手続きがなされています.

ですので,条文に「水」中に関する文言はないのですが,
「水中文化遺産」についても確かに『文化財保護法』は適用されます.

しかし,条文に「水」中に関する文言がないことで,
行政担当者(教育委員会)にさえも,
陸上の事例のみに適用される,などという誤解があるようです.
この点については,誰でもが理解できるようにすべきだと思います.
(制定当時とは,状況は確実に変わっていますので)

「水中文化遺産」の「周知化」が少ない,という現状には,
このような『文化財保護法』の問題もあるようです.


それとともに,「水中」にあることにたいする「特別視」(見えない,見えにくいことからくる)も無視はできません,

そして,さらに問題を難しく,分かりにくくしていることに「沈没品」に関するもうひとつの法律の存在があります.
「周知の埋蔵文化財包蔵地」 [2013年03月25日(Mon)]
埋蔵文化財」ということばをご存知でしょうか?

埋蔵文化財」とは,「土地に埋蔵されている文化財」のことです.
わかりやすく言えば,「遺跡」のことです.
「遺跡」の多くは,通常は「埋蔵」,地下に埋もれていますので,見ることはできません.

ただし,地上でも見ることができるばあいもあります.
たとえば,「古墳」.その内部は直接に見ることはできませんが,
塚状の外観は,見ることができます.
また,寺跡のばあいなどは,建物が残っていなくても,
建物が建てられていた場所は,一段高くなった「基壇」や柱を受けていた「礎石」が地表に残り,見ることができるばあいがあります.

地上で見ることができる「古墳」や「寺院跡」も「遺跡」,
「埋蔵文化財」です.
見えない部分は地中に埋まっていますでの.

このような「見える遺跡」の確認は,比較的容易なのですが,
「見えない遺跡」のばあいはどうでしょう.

これにも存在にたいするヒントが地上にあります.
たとえば,畑です.
耕作で,その土地が掘り返されたりすると,
地下にあったものが地表に出てくることもあり,
その結果,土器や石器のカケラを地表で見たり,拾ったりできることがあります.

このような土地の地下には,「遺跡」(埋蔵文化財)が存在するる可能性があり,
このような状況は,「遺跡」の存在を確認するには重要な手がかりとなります.
それをヒントに,「遺跡」があるかのか,ないのかを確かめる調査(発掘調査など)をして.
「遺跡」を確認します.

このようにして,地下に埋もれた「遺跡」(埋蔵文化財)は,その存在が知られることになります
これを「周知の埋蔵文化財包蔵地」(遺跡の周知化)と呼びます.

周知の埋蔵文化財包蔵地」については,
国内の文化財を保護する法律である「文化財保護法」に記されています
そして,「周知の埋蔵文化財包蔵地」を目に見えるかたちにしたものとして,
「遺跡地図」(埋蔵文化財包蔵地地図)があります.
これは,詳細を記した台帳とセットになるもので,各市町村および都道府県の担当行政である教育委員会に備え付けられています.

これをもとに「遺跡」(埋蔵文化財)は保護をされるのです.
例えば「周知の埋蔵文化財包蔵地」内で開発事業などがあるばあいには,
「遺跡」に影響があるのか,否か,あるいはどのくらい影響があるのかなどを担当行政と事業者が協議をして,影響があるばあいには,しかるべき行政指導がなされます.

「周知化」がなされなければ,「遺跡台帳」に登載されることはありませんので,
開発事業が計画されて,その場所に「遺跡」が存在する可能性があったとしても
スムーズな行政指導ができないばあいもあります.

「周知化」がなされてないために,
存在したはずの「遺跡」が記録も残されず(調査をされずに)に壊されるてしまうこともあります.


このように,遺跡を保護するためには,その存在を示す「遺跡台帳」,
そして,その前提にある「周知の埋蔵文化財包蔵地」の把握(遺跡の周知化)は重要なのです.
「水中遺跡調査検討委員会(第1回)」を傍聴してきました [2013年03月23日(Sat)]
昨日開催された水中遺跡調査検討委員会(第1回)を傍聴をしてきました.

この検討委員会は,
(1)水中遺跡の調査に関する事項
(2)水中遺跡の保護活用に関する事項
を主たる検討課題として,
そのために,
(1)諸外国の水中遺跡の保存活用に関する取組み状況調査
(2)国内の水中遺跡の把握調査
(3)史跡鷹島神崎遺跡(及びその周辺)の保存と活用に関する実態調査
などの調査をとおして,日本の「水中遺跡」を考えるために設置された委員会です.

今回は,
(1)委員長の選出等について
(2)国内外の水中遺跡の現状について
(3)委員会の当面の進め方について
(4)その他
を議事として,進められました.

なお,今年度の「水中文化遺産調査研究事業」の予定予算額は,
2,000万円ということです(要求は,3,000万円).

検討委員会委員として13名の学識経験者.
オブザーバーとして長崎県・松浦市から各1名(鷹島神崎遺跡関連)が参加し,
事務局は文化庁記念物課の担当です.

委員には,ARIUAからも名誉会員の西谷正先生,林田憲三理事長が委嘱され,
長崎県の代表として高野晋司副理事長が参加しました.

委員の構成は,考古学11名(保存処理2名含),古代史1名,探査関係1名で,
委員長に西谷先生,副委員長に小野正敏先生が選出されました.

以下,傍聴した感想です.
現状の国内における水中文化遺産を取り巻く環境を考えれば,
検討委員会が設置されたこと自体だけでも画期的なことですが,
第1回ということを差し引いても物足りなさ,今後の方向性への不安,
というようなことを感じました.

まず,委員の構成.
考古学研究者が11名はなのですが,このなかで「水中」について見識のある方は3名であること,
「水中」を保護活用するには,法改正をふくめた議論(国内外にたいする)も不可欠だと思うのですが,
その専門家が入っていない,
という点に,疑問を感じました.

実際の議論のなかでも,多く委員から「水中遺跡」の定義や範囲のことについての質問がありましたが,
各委員(とくに考古関連)の「水中」たいする見識は,それぞれで,
まるで学会内での「水中文化遺産」の捉えられ方の現状を写しているかのようでした.
結局,見解の統一,法整備についても十分な議論はなされませんでした.

用語の問題も.
検討委員会の名称には「水中遺跡」,
予算要求時には「水中文化遺産」,
会議のなかでは「海底遺跡」もでる.
など,統一はなされていませんでしたし,事務局からの説明も一切ありませんでした.
定義とリンクする問題なのですが.

終始「沈没船」のことのみの報告・議論であったことにも,違和感を感じました.
「水中」は,「沈没船」だけではなく,「沈降遺跡」などもありますから.
(配布資料のなかには,「沈没船」以外の遺跡の記載もあったのですが)
これは「水中遺跡」という用語とも関連があるのでしょうか.
疑いたくなりました.

会議は,その大半が国内外の事例報告に留まり,
予算の使途やつっこんだ議論がなされることはありませんでした.

何を決めるのか,何をしたいのか,どのように予算を使うのか,など.
知りたいことが,伝わってこない会議でした.
事務局側の準備不足も多分に感じました.

一応3年を目安に結論をだす(報告書を作成する),とのことです.
さまざな問題を孕んでいる分野ですので,
種々の問題について,簡単に解決,まとまるとは思いませんが,
次回以降は,先を見据えた発展的な議論を期待したいところです.

第2回は,6月か7月に鷹島で開催されるとのことです.
「水中遺跡調査検討委員会(第1回)」が開催されます [2013年03月22日(Fri)]
今日(3月22日),
文化庁主催の「水中遺跡調査検討委員会(第1回)」
が,東京でえ開催されます.
http://www.bunka.go.jp/oshirase_kaigi/2013/pdf/iseki_chousa_130315.pdf

国がようやく水中文化遺産に目を向けます.

今後を見据えた有意義な内容であることに期待をしています.

私も傍聴をしてきます.
初島沖海底遺跡で調査をおこないました [2013年03月19日(Tue)]
3月13日〜18日に,静岡県熱海市初島沖海底遺跡の調査
東京海洋大学とアジア水中考古学研究所が共同で実施しました.

調査では東京海洋大学が所有する自律型水中ロボット(AUV)での遺構詳細図作成
およびマルチスキャンソナーでの海底地形図作成を主におこないました.

今回の調査の主題のひとつであった水中ロボットの遺跡への本格的な使用は,
国内では初めてのことと思います.
大学,ARIUA双方に実験的な意味合いは強いものでしたが,
確実に今後へ繋がる調査であったと思っています.

AUVでの写真の閲覧については,しばらく時間がかかるとのことですが
将来的にでも考古学研究に耐えられる図面ができれば,
初島の事例のみならず,今後の水中調査・研究にも大きな意味をもつものと思っています.

調査は,今後も継続する予定です.


今回の成果は,5月にトルコで開催予定のユネスコの水中文化遺産世界大学会議などの場で発表される予定です.
水中考古学セミナー「水中考古学へのいざない」 [2013年03月06日(Wed)]
催し物のお知らせです.

アレクサンドリア図書館コンソーシアム・セミナー
「水中考古学へのいざない」
講 師: ランドール・ササキ
日 時: 2013年3月14 日(木) 19:00〜21:00
場 所: ミッドタウン・タワー7F(東京都港区赤坂9-7-1)
主 催: アレクサンドリア図書館コンソーシアム


事前申込が必要です.
詳しくは,下記サイトをご覧ください.
http://www.d-laboweb.jp/event/130314.html

講師のランドール・ササキさんは,ARIUA会員でもあります.
一般の方を対象としたセミナーですので,
ササキさんの体験をもとにした水中考古学に関する興味深い話が聞けることと思います.
ご都合がつく方は,ぜひご参加ください.
Posted by T.Hayashibara at 01:12 | セミナー | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)