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水中考古学に関する企画が放映されます [2012年06月29日(Fri)]
来る7月7日(土)の「報道特集」(TBS系・全国)で,
水中考古学に関する企画が放映されるそうです.

番組は,17:30〜18:50までですが,
企画は,18時ごろから,だそうです.

先日,調査が終了した鷹島海底遺跡
韓国の水中遺跡調査・研究の現状
リポートされるそうです.

興味がある方は,ぜひご覧ください.


また,現在発売中の
『歴史REAL vol.7 ~特別保存版:幕末維新入門』 (洋泉社MOOK)
では,「歴史最新スクープ」というコーナーで,
初島と鷹島海底遺跡および日本の水中考古学事情について,
わかりやすく解説をしています.

こちらも,せひご一読ください.
CCI000002.jpg
『旅する長崎学』「蒙古襲来 神風の島 鷹島 −水中考古学が語るもの−」が開催されます [2012年06月28日(Thu)]
長崎県が主催する『旅する長崎学』「蒙古襲来 神風の島 鷹島 −水中考古学が語るもの−」
が,東京で開催されます.

開催要項は,以下のとおりです.

日 時:2012年8月21日(火) 17:00〜19:30
場 所:江戸東京博物館 1階ホール
参加費:無料 ※事前申し込みが必要
申込先:長崎県文化振興課

詳細については,
http://tabinaga.jp/
でご確認ください.

今年の3月に国内の水中遺跡としては,初めて国史跡に指定された
「鷹島海底遺跡」に焦点を当てた催しです.
最新の調査成果も報告されますので,
ご都合がつく方は,ぜひ,ご参加ください.

最終版 江戸博チラシ.pdf
Posted by T.Hayashibara at 22:56 | セミナー | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
鞆の浦の埋立て・架橋事業中止へ [2012年06月22日(Fri)]
建設か,景観を守るか,で長い間,協議が続いていた
鞆の浦埋立て・架橋事業」にたいして,
その最終判断を任せられていた広島県知事が,
計画を中止する方針を固めたとのことです.

これで,「埋立て・架橋事業」計画は白紙となり,
新たな局面を迎えることとなります.

知事の英断には,敬意を表します.
約30年かかりました.

確かに,現地に行くと,
その景観の美しさを実感しますし,
「何で,この海を.....」とも感じます.
1024px-Sensuizima-2.jpg
       鞆の浦近景(Wikipediaより)

反面,旧くからの港町特有の狭い道,細かくクランク状に巡る道も実感します.
生活道路の整備の必要さも感じます.

ただし,代替え案があったにもかかわらず,
なぜ,埋立て・架橋,だったのか,
という疑問も感じます


知事も言っていましたが,これからが大切です.
景観は残されることとなりましたが,
人びとの暮らしは,まだ,改善されていません.
これまで約03年という長い間,ある意味放って置かれたのですから.

前向きの協議により,
より良い形になれば,と思っています.

とりあえずは,あの景観が守られたことには,
一安心をしています.
Setostamp1939.JPG
       切手になった鞆の浦(Wikipediaより)
鷹島海底遺跡で,今年度の調査が始まりました [2012年06月18日(Mon)]
今日(6月18日)から,
3月に国内の水中遺跡では,初めて国史跡に指定された
鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)で,
今年度の調査が始まりました.

28日までの予定で,昨年に確認した船体と考えられものを主に,
詳細調査を実施するとのことです.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120618-00000832-yom-soci
今日は「考古学出発の日」です [2012年06月18日(Mon)]
今日6月18日は,「考古学出発の日」です.

今から135年前の1877(明治10)年の今日
大森貝塚を発見・調査したアメリカ人動物学者エドワード・シルベスター・モース博士(Dr. Edward Sylverster Morse)が,
初来日しました.

横浜に上陸したモース博士が,招かれた東京帝国大学へ向かうために,
汽車で移動中,車窓から貝層が露出しているのを見つけました.
これが大森貝塚で,
その年の9月に日本人スタッフとともにを発掘し,
日本に学問としての考古学を紹介,実践しました.

大森貝塚は,日本考古学発祥の地です.
そして,そのきっかけをつくったモース博士が初来日した6月18日を
日本の考古学の出発点として記念し,制定された日
です.

大森貝塚は,東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から晩期の貝塚で,
モース博士が発掘調査をした地区周辺は,
国史跡に指定され,「大森貝塚遺跡庭園」(品川区大井6丁目)として公開されています.
oomori001.jpg
        大森貝塚遺跡庭園の入り口


その時の出土品は一括して国の重要文化財に指定されています.
この出土品は,現在東京大学に保管されており,
一部は,東京大学総合研究博物館で見ることができます.
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/

公園近くの品川歴史館では,
大森貝塚コーナが設けられ,レプリカ資料やその後の調査での出土品をはじめ,
大森貝塚関連の資料をみることができます.
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/hsindex.html
oomori-kaiduka.JPG
      大森貝塚遺跡庭園にある「大森貝塚」の碑

また,モース博士が実施した調査の成果は,
『Shell Mounds of Omori』(英文編)
『大森介墟古物編』(和文編)
として、刊行されています。
日本初の発掘調査報告書です.
ちなみに,英文報告書で使われた
「cord marked pottery」が「縄文式土器」と訳され,
その後も学術用語として,使われるようになりました.

この報告書のうち,英文編が
翻訳され岩波文庫で刊行されていますので,
機会がありましたら,読んでみてください.
『大森貝塚−付 関連史料』近藤義郎・佐原真訳 1983年刊行
51Lt-PHsyuL._SS500_.jpg
東京湾第一・第二海堡 海上視察 [2012年06月15日(Fri)]
先日,東京湾海堡ファンクラブ主催の
東京湾海堡の海上視察に参加してきました。

東京湾海堡は,明治から大正時代にかけて東京防衛のために、
東京湾につくられた人工島の海上要塞で,
3基(第一〜第三海堡)がつくられました.

人工島として,水中文化遺産ととらえられる遺構です.

水深5m前後ともっとも浅い位置につくられた第一海堡で,8年,
水深39m前後のもっとも深い位置につくられた第三海堡は,29年,
という長い年月をかけて完成されました.

当時の土木技術の粋を結集してつくられたもででしたが,
第二・三海堡は,大正関東大地震により,被災し.
その後は要塞として使用はされなくなりました.

第一海堡のみは,太平洋戦争まで要塞として使用されました.

暗礁化していた第三海堡は,通航の妨げになるとのことで、
2007(平成19)年に完全撤去され,
おもな遺構のみが,
横須賀市のうみかぜ公園(平成町)と
国土交通省関東地方整備局東京湾口航路事務所・第三海堡構造物 追浜展示施設(浦郷町)
で,保存・公開されています.

東京湾海堡の詳細については,
国土交通省関東地方整備局東京湾口航路事務所のH.P.
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/wankou/index.htm
をご覧ください.

少し前置きが長くなりましたが,
視察したのは,現存する第一・第二海堡です.

現在は,いずれも許可なくは上陸できないもこととなっています.
DSC_0392.jpg
         第一海堡にある「立入禁止」の看板

今回は,富津港から出港。

近くで見る両海堡は,思いのほか大きいものでした.
DSC_0552.JPG
           第一海堡全景(北から)

第二海堡は,現在土砂流失を防ぐための工事がおこなわれているようとのことで,
周囲がフェンスで覆われており,状態を確認できませんでした.
DSC_0295.jpg
         第二海堡全景(西から)

第一海堡は,ほとんど手付かずの状態のようで,まるで自然の島のようでした.
ただし,建造物や土台の石垣を見ることでき,人工島であることを確認できます.
また,南側では,土砂が大きく崩落し,
建造物や石垣が崩れ,そのままになっている状態も確認できました.
DSC_0324.JPG
       第一海堡南側の崩落状況(南から)

遺構としての現状は,かなり荒れている状態で,保全措置もとられていないようですので,
かなり危うい状態のようです.
DSC_0436.jpg
    第一海堡に見られる崩れ落ちたままの建造物

第二海堡については,保全措置をとっていることからも,
国土交通省は何らかの利用を考えているようですが,
第一海堡は,保全に関する具体的な動きはないようです.
このままでは,今後も崩壊は進むでしょう.

なお,富津港近くにある富津埋立記念貨には,
東京碗海堡についての図面・写真資料展示されています.
http://www.infochiba.ne.jp/FAINS/spot/0102/1581.html
タイタニック号の石炭 [2012年06月11日(Mon)]
タイタニック号から、引き揚げられた「石炭」
オークションサイトで、購入できるそうです。

先日、骨董好きの友人が購入した、というので見せてもらいました。

タイタニックのロゴがついた小箱に入った可愛らしいものでした。
サイズは、大小あるとのこと。
IMG_1500.JPG

RMSタイタニック社が販売に関与しているもので、
米国巡回裁判所にて、人工物ではないので販売は可
という判決を1990年代に受けているそうです。

ですので、あくまでも「合法」的な販売、とのことのようです。

日本では、遺跡から出土したばあい、どのような扱いになるのでしょうか。
手元にある行政発行の「出土品取り扱い区分基準表」によれば、
「石炭」という記載はありませんが、化石燃料ですので、
「遺跡に人為的に持ち込まれた自然遺物」
に区分されるものでしょうか。

とすれば、「原則として保存」するものとなります。
ただし、多量にあるばあいは「必要な記録を取った上で一定量のみを保存する」
こととなります。

いずれにしても行政の判断は必要ですが、
文化財となるモノのようです。

販売することは,できませんね。
北海道新聞の記事 [2012年06月09日(Sat)]
「海の文化遺産総合調査プロジェクト」で
水中文化遺産委員会委員をお願いしている
東京海洋大学の岩淵聡文先生が,
6月8日(金)の北海道新聞・朝刊に,
「水中文化遺産の保全」
という文章をご寄稿されています.

日本の水中文化遺産保全の現状について,
アジア諸国との環境比較,
水中文化遺産保護条約,海底資源開発と水中文化遺産調査との関係,
など,示唆に富んだ内容です.

地方新聞の掲載記事ですが,
ぜひ,読んでみてください.
「発掘された日本列島2012」が始まります [2012年06月08日(Fri)]
毎年恒例となった
発掘調査の速報展
発掘された日本列島2012
が,6月12日(火)から
東京都江戸東京博物館で始まります.

今年は,20遺跡,約580点の遺物が展示されます.
http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2012/hakkutsu_2012.html

このなかで,今年3月に水中遺跡としては初めて国史跡に指定された
元寇関連遺跡である
長崎県松浦市の鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)出土遺物も展示されます

昨年度末に東京海洋大学で開催したARIUAの企画展で展示した
パスパ文字印,鉄製冑,てつはう,青玉製雌雄鹿像,白磁碗,褐釉四耳壺
などとともに,
木製碇(4号碇・現存長210cm)や
それにともなう二石分離型の「鷹島型碇石
も展示されます.

先の企画展で見逃した方は,実物を見ることのできるチャンスです.
碇と碇石,そのセットはぜひ見ていただきたいですね.

この展示会は,7月29日まで,
江戸東京博物館で開催され,
その後,年度内に全国を巡回します.

常設展観覧料(大人600円)で見ることができます.

Posted by T.Hayashibara at 22:50 | 展覧会 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
本の紹介:『邪馬台国をとらえなおす』 [2012年06月07日(Thu)]
今日は、本の紹介です。

大塚初重『邪馬台国をとらえなおす』
  (講談社現代新書 2154)講談社 2012年4月刊行


日本古代史の謎、として関心の高い「邪馬台国」について、
日本考古学の重鎮である大塚初重先生が、
考古学の視点から「邪馬台国」問題を再検討・再整理しています。

最新の考古学成果を紹介し、検討を加えています。
また、先生ご自身のフィールドである「東国」からの視点でも「邪馬台国」を見なおしています。

『魏志倭人伝』全文についても、
考古学成果から、読み解いています。

「考古学で邪馬台国を解くということは、発掘によって出てきた「モノ」で「魏志倭人伝」の謎を解くことである」
「その真実の一端を考古学の視点から浮かびあがらせようとするものである」

「箸墓古墳を完全に卑弥呼の墓であると考古学的に立証することは不可能である」
「箸墓は卑弥呼の墓にほぼまちがえないといえるためには、より考古学的な確立の高い情報を得得るしかないであろう」

という一文からも伺えるように、
全文にわたって、考古学研究者としての考え方が貫かれています。
しかも、わかりやすい内容です。

「邪馬台国」を知る、ための良書です.
一読をお勧めします。
Posted by T.Hayashibara at 23:52 | 本のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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