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犬山城 (01/22)
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小田原市石橋沖で潜水調査をおこないました [2011年02月28日(Mon)]
26日(土)・27日(日)の2日間にわたり、小田原市石橋沖で潜水調査をおこないました。
今回の調査地区は昨年末にシュノーケルによる確認調査を実施しています。

調査地区付近の丘陵上には、江戸城用の石垣石材を切り出した「石丁場」(いしちょうば)が点在しており、
今回の調査地区は、その打ちのひとつの石橋石丁場から切り出された石材を江戸城へ向けて積み出す湊があった場所と推定されています。

今回の調査は、積み出し湊の痕跡の確認および調査地区の評価をするために、
前回の調査で確認された石材の精査(詳細な観察と計測)をおこなうことを主眼としました。

調査の結果、湊の痕跡は確認できませんでしたが、
確実に江戸城の石垣用石材と考えられる石や当時の矢穴(石を切り出すために開けた穴)が残る石を確認することができ、
石橋沖が石橋石丁場を密接な関係にあることが明確になりました。

                 ミーティングのようす

また、江戸城の石垣用石材ではない、小型の石材が複数確認されました。
この石材については、湊・町屋・神社用のものとも考えられるものです。
評価については,今後の検討が必要なものです。

午後には、小田原市教育委員会と石丁場が多く確認されている伊東市教育委員会(静岡県)の文化財担当者に現地まで足を運んでいただき、
今回の成果をみてもらうとともに、コメントもいただきました。

昨日は海況不良のため、潜水ができず、
陸上での作業となりましたが、
事後やけが人もなく、無事に終えることができました。

今日もうねりが入った状態でしたので、
全体にタイト調査となりました。
調査に参加された皆さま、お疲れさまでした。

                   調査のようす




明日から小田原市石橋沖での調査です [2011年02月25日(Fri)]
今日の東京地方は,とても暖かかったですね。
風も強く、春一番だったそうです。

明日,明後日と調査を予定している小田原市石橋の海も風の影響もあり、
大時化状態だったそうです。
明日は、風もおさまるということでしたので、
とりあえずは一安心です。

調査のようすは、このブログでもお知らせします。

それと、今日の暖かさ、強く吹いた風の影響もあったのでしょうか、
朝から鼻がムズムズ,目もかゆい、それにくしゃみの連発。
ついにきてしまったようです。
今年は、花粉が多く飛ぶとの予想がなされていましたが、
昨日までは、私のからだには一切その兆候がなかったので、
安心していましたが、
やはり甘くはなかったですね。

これから2ヶ月あまり、つらい日が続きます。
憂鬱です。
「日本橋」100年 [2011年02月22日(Tue)]
東京都中央区の日本橋川に現在架けられている「日本橋」が、
開橋から今年の4月に100年を迎えます

初代は、1603(慶長8)年に木造橋として架けられており、
現在の「日本橋」は、花崗岩製の石造橋で19代目だそうです。

大正関東大地震時も崩壊を免れ、
1999(平成11)年に、国の重要文化財に指定されています。


100周年を記念して、
昨年、清掃機器メーカーとのタイアップで「日本橋クリーニングプロジェクト」が立ち上げられ、
今は、100年分の汚れを落とした「日本橋」を見ることができます。

日本橋周辺には、同様な旧い石造橋を複数見ることができますので、
都会の川沿いを歩いて橋巡りをしてみてはいかがでしょうか。
2010年度・第3回関東・東北会員連絡会 兼 日本財団助成事業会議が開催されました [2011年02月19日(Sat)]
今日(2/19)に、東京海洋大学越中島キャンパスで
2010年度・第5回関東・東北会員連絡会 兼 日本財団助成事業会議が開催されました。

年度末の土曜日にかかわらず16名の会員の参加があり、
九州から上京中の理事長・理事が参加しするなど、賑やかな会となりました。

会議では、事業の実施・予定、データーベースのこと、
および会員による調査などの報告がなされました。

また、後半では外部の講師をお招きして、講演していただきました。

皆さん、熱心に聞かれ、活発な質疑応答もなされました。

参加された皆さん、長時間にわたりお疲れさまでした。
講師としてお招きした水野さん、興味深いお話をしていただきまして、
ありがとうございました。

次回は、新年度の4月に開催予定です。
神崎遺跡が国史跡指定へ [2011年02月13日(Sun)]
2月7日付けの官報で、
神奈川県綾瀬市にある神崎遺跡(かんざきいせき)が正式に国指定史跡になりました。

神崎遺跡は、弥生時代後期(今から約1,800年前)の環濠集落です。
弥生時代の環濠集落自体は、各地でみられるのですが、
集落全体(約5,000m2)が残っていること(これは全国的にみても希です)、
集落からの出土土器の大半が東海西部(愛知県東部〜静岡県西部)のものに極似していることから東海西部からの移住者のムラと考えられること,
などが評価されました。
http://www.city.ayase.kanagawa.jp/hp/page000021300/hpg000021232.htm

神崎遺跡は、今から約20年前の1989(平成元)年に本格的な調査が始まりました
このときの成果により、出土土器の大半が東海西部の土器であることがわかると、
その在り方はもちろんのこと、それまでよくわかっていなかった相模(神奈川県の大半をしめる旧地域名)の弥生土器研究が活発化するなど、
相模の弥生文化研究には、大きな影響をあたえることとなりました。

その後、神奈川県の中央を流れる相模川沿岸域(神崎遺跡もこの流域にあります)から、
東海西部の土器を多く出土するムラや少ないムラがみつかりだすと、
それまで、漠然と語られてきた相模の弥生文化が、
神崎遺跡という基準となる柱的資料を得たことで、
ヒトの移動を介して東海西部と深いつながりをもったものであることが、
具体的な資料により語られるようになりました。

国史跡指定までには、関係者の多大なご苦労やご尽力があったことと思います。
とくに、土地開発の著しい神奈川県内で、
遺跡全体を指定・保存できたことは、ある意味奇跡的なことであるとも思います。
頭が下がる思いです。

今後、綾瀬市では、国・県と協議しながら、遺跡の保存・活用を進めてゆく、とのことです。

この神崎遺跡の調査に当初から参加し、
詳細な出土土器の分析を通して、遺跡の持つ意味を報告書で説いた
若くして逝った友人がいます。
彼の報告がなければ、今回の史跡指定はなかったのかもしれません。

ですので、今回の史跡指定の報を彼はどのように受け取るのだろうか、と思うとともに、
彼がこの日にいないことが、残念でたまりません。
小田原・石橋 [2011年02月11日(Fri)]
今月末(26〜27日)に潜水調査を予定している小田原市石橋へ調査の打ち合わせのために、
調査でお世話になる石橋ダイビングセンター(http://ishibashi.fan.coocan.jp/)へ行ってきました。

今日は、朝から雪が降る、あいにくの天気。
石橋ダイビングセンターに着いた13時ごろの現地は雨にかわっていましたが、
寒いことにかわりはありませんした。

こんな天気(失礼!!)でもゲストの方はいました。
寒く、しかも暗い中.....皆さん、海が好きなんですね。

もちろん、打ち合わせは室内でおこないましたが。

             今日の石橋の海のようす

今回の調査は、昨年末のシュノーケリング調査の成果を精査するためのものです。
石橋の海岸には、
背後の丘陵中にある江戸城用の石垣用材の石切り場(石橋石丁場跡)から切り出された石材の加工場および積み出し港の存在が想定されています。

先日、石橋ダイビングセンターの隣の
かまぼこの鈴廣の駐車場の一角に、
道路工事に先立っておこなわれた石橋石丁場跡の調査時に発見された江戸城用の石垣用材のひとつが置かれました
大きいものなので、設置は大変だったようです。
(当日のようすは、スタッフブログで紹介されています)
 http://ameblo.jp/ishibashi-moguri

今は、大きな石が置かれているだけですが、
今後、説明板なども設置するとのことです。
お近くにお出での際は、ぜひ見てください。

              設置された石垣用材

今回の調査が、多くの方への水中文化遺産の周知をはかるとともに、
ダイビング業界にも良い刺激をあたえ、ダイバーが水中文化遺産の存在に気付くきっかけになれば、
とも思っています。


打ち合わせ終了後は、ふたたび雪が降っていました。
その空を見ながら、
調査当日は天気が良いことを祈るように、帰路につきました。


徳島県で情報収集のための調査がおこなわれました [2011年02月09日(Wed)]
2010年度「海の文化遺産総合調査プロジェクト」にともなう調査が、
徳島県東〜南部でおこなわれました。


ARIUAとの共同調査機関として瀬戸内海を担当している
NPO法人水中考古学研究所1月22日(土)〜23日(日)にかけて、
情報収集のために海岸踏査をおこないました。
(写真は、水中考古学研究所提供)

南部の太平洋沿岸域では、
高知県同様に古来より地震が多い地域であることを反映するように
集落などの沈降伝説が複数あるようです。
それをしめす資料として、海揚がりの五輪塔もあります(牟岐町)。

              海揚がりの五輪塔(牟岐町)

また、南部の美波町沖は、
日本史上初の洋式軍艦による近代的海戦となった阿波沖海戦時(戊辰戦争の戦闘のひとつ.1868年)に
薩摩藩の輸送船「翔鳳丸」が自沈した場所だそうです。
このときに、「翔鳳丸」を追いつめた幕府軍艦は「開陽丸」でした。

     「翔鳳丸」が自沈した美波町由岐沖ぬの島(奥の島)付近
考古学・入門書のご紹介 [2011年02月08日(Tue)]
考古学を学びたい方、学び始めた方にお勧めしたい本をご紹介します。

古庄浩明著 『考古学の世界』−初めて考古学を勉強する方のために−(プロトタイプ版)
A4版全33ページ

古庄浩明著 『日本のはじまり −入門 考古学からの原始・古代 −』
A4版全243ページ

両書とも多くの実例(最新の事例が多いです)をあげてわかりやすく解説されています。
また、著者の古庄さんが教鞭をとられている大学では
教科書として使われているとのことです。

とくに『考古学の世界』は、内容・ボリュームともに,
考古学の入門書として,多くの方に勧めたいものと感じました.

『日本のはじまり』は,
日本の成り立ちを考古学の成果をもとに解説しており、
『考古学の世界』と合わせて読めば、
理解がより深まるものと感じました。

内容の詳細については、
和出版のブログで確認してください。
http://wapubj.blogspot.com/

なお、両書は,「考古学界で初めての試み」(和出版ブログより)として、
PDF版電子ブックとして出版されました。

ご購入(ダウンロード)は、和出版のブログからできます。
いずれも、500円(初版特典価格)です。

水中考古学を学びたい方にもお勧めします。

水中考古学は、あくまでも考古学の一分野ですので、
調査・研究方法にも違いはありません。
考古学の基礎を学べる良書だと思います。




Posted by T.Hayashibara at 22:31 | 本のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
鷹島海底遺跡・引揚げ遺物に関する動画 [2011年02月07日(Mon)]
元寇終焉の地としての遺跡として、
日本では数少ない継続的調査がおこなわれている水中遺跡である
鷹島海底遺跡(長崎県松浦市)から
これまでに引揚げられた遺物(碇・碇石・石弾・船材など)を紹介した動画が、
長崎県文化振興課が運営している
「旅する長崎学《たびなが》」というサイトで公開されています。
http://tabinaga.jp/

TOPページの これまでの「旅する長崎学」バックナンバー
 ↓
県北エリア
 ↓
松浦市
 ↓
第4回 水中考古学 注目の鷹島

の順に入ってください。

動画では,単に遺物を紹介するだけではなく、
海底から引揚げた遺物を保存・展示するための保存処理のの現場・現状も紹介しています。

子どもでも理解できるような平易な内容となっています。

鷹島海底遺跡から引揚げられた元寇の遺品類を映像ですが、
資料館に展示してある状態で見ることができますので、ぜひご覧になってみてください。
2010年度・第3回日本財団助成事業全体会議が開催されました [2011年02月06日(Sun)]
2月5日(土)・6日(日)の2日間にわたり、
福岡市内で、今年度の第3回日本財団助成事業全体会議が開催されました。

会議には、ARIUAの理事、担当海域の担当者
および共同調査をおこなっている他海域の担当者など、
17名が参加しました。

各海域の調査内容・進捗状況の報告とともに、
本事業のテーマのひとつである「水中文化遺産データーベース」作成に関する共通認識の再確認
水中遺跡・水中文化遺産周知のための戦略などについて、
活発な議論がなされました。