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「3万年前航海 徹底再現プロジェクト」実験航海始まる [2016年07月18日(Mon)]
このブログでも取り上げた人類の台湾から沖縄に渡った航海を再現する,
国立科学博物館の「3万年前航海 徹底再現プロジェクト」,始まりました.

悪海況で出航が遅れていましたが,昨日午前7時前に2隻の草舟が,
与那国島・カタブル浜を出航しました.

今年は,与那国島から西表島間の約75kmの実験航海.

予想以上の潮の流れやうねりで,苦労されたようで,夜間航海は危険なため中断されました.
やはり,この航海の最大の敵は,自然です.

今朝は,午前7時前に中断地点(西表島沖合約10km)から航海が再会されたとのことです.
順調にいけば,正午すぎに到着予定地の西表島・シラス浜に到着予定とのことです.

とりあえずは事故なく,無事に到着してほしいですね.

プロジェクトのようすについては,
Facebook
 https://www.facebook.com/koukaiproject/
朝日新聞の特設サイト
 http://www.asahi.com/special/timeline/201607-3mannen/
で確認できます.

追記   13:40
2隻の草船は,11時に西表島に到着したとのことです.

事故もなく到着でき,関係者の皆さんも安堵したこと思います.

振り返りはこれからでしょうが,
課題はいろいろとありそうです.
「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」実現なるか! [2016年03月31日(Thu)]
先日,このブログでも紹介した
「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」のクラウドファンディングの締切の4月12日がせまってきました.
今日現在,目標額まで400万円を切りました

プロジェクトチームから,あらためてお知らせをいただきました.


【「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を応援してください
実現なるか!? 4月12日(火)までにあと400万円!
https://readyfor.jp/projects/koukai
なんと3万年も前に祖先たちが挑戦した偉大なる航海を、国立科学博物館などの 一流の専門家たちが結集して再現するという、夢とロマン溢れるプロジェクトで す。たくさんの人からのご支援があれば実現できます。プロジェクトの会員に なって、太古の航海の謎を一緒に解きましょう!
※ インターネット上で資金募集する仕組みを使っています。期間内に設定した目 標金額に到達しなかった場合には、支援が全額キャンセル(返金)となります。

プロジェクト代表・海部陽介(国立科学博物館・人類史研究グループ長)



「日本人のルーツ」にたいしてのひとつの仮説を証明できるのか,結果をみてみたいですね.
賛同される方は,ご支援をぜひ.
『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』 [2016年02月13日(Sat)]
国立科学博物館が代表となり,琉球列島に人類が移住してきた3万年前の航海を復元するというプロジェクトが始動します.

『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』(代表:海部陽介・国立科学博物館研究グループ長)と題し,
「祖先たちのすごい過去を解き明かそう!」「日本人はどこからきたのか?」をキャッチフレーズに,太古の人類の知られざる「凄い過去」を解き明かそうとする壮大なプロジェクトです.
期間は,今年から来年にかけての2年間.

実験の場所は,旧石器時代の遺跡調査により,新知見が相次いで発表されてきた沖縄です.
舟を学術的な根拠に基づいて復元,それを用いた実験航海により大陸(台湾)からの「舟」による移動を検証するとのことです.
成果は国内だけでなく世界にも向けて発信するそうです.

プロジェクトチームのメンバーは,古環境学・海底地形学・植物学・人類学・考古学・民族学・海洋スポーツ健康科学などの研究者および探検家・草舟職人・カヤック大工・シーカヤック航海者・海洋文化ドキュメンタリー製作者などエキスパート.
さまざまな分野が融合したまさにオール日本としての学際的プロジェクトです.
ARIUA会員もメンバーに入っています.

プロジェクト実現のためには多額の費用が必要で,それを補うためにクラウドファンディングにより必要資金の一部を募るそうです.

詳細については,プロジェクトのサイトをご覧ください.
https://readyfor.jp/projects/koukai

「世界遺産目指す鎌倉」これが現状です [2012年09月16日(Sun)]
今朝の『朝日新聞』「神奈川・さがみ野版」に,
「世界遺産目指す鎌倉、混雑解消が先? 冷める市民」
という記事がありました.
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201209150534.html?id1=2&id2=cabcajbg

来年6月、「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録を目指している鎌倉ですが,
多くの市民は冷めており,
それより,
休日に慢性化している交通渋滞の解消など抜本的な対策を求めている
そうです.

もっともなことだと,思います.

「世界遺産」にすることがそんなに重要なことなのでしょうか?
文化遺産にとって,本当に必要なことなのでしょうか?
現在の生活を差し置いて,目指すことが正しいことなのでしょうか?
そもそも「鎌倉」に「世界遺産」の「称号」は必要なのでしょうか?

神奈川県では,高校でも積極的に「世界遺産・鎌倉」を取り上げるように指導がなされている.
ある意味,必死なのでしょう.
ただし,文化遺産行政のトップダウン
これ,本来の姿なのでしょうか?

私は,ボトムアップこそ,重要で,多くの人の理解を得られると思います

他地域でも「世界遺産」目指して,
「周知活動」なるものを繰り広げています.
わざわざ,東京にまで出てきて.

これまでして得する人は,誰なのでしょうか?
少なくとも,「文化遺産」でないことだけは,確かだ思いますが.
東京駅・丸の内駅舎の復原 [2012年07月04日(Wed)]
今,東京駅・丸の内駅舎は創建時の姿への復原工事が最終段階に入っているとのことです.
10月に完成予定とのことです.

この丸の内駅舎は,1914(大正3)年に創建されたが,
戦災により被害を受け,戦後の復興により,現在のかたちになったものです.
(創建時との大きな違いは,当初の3階建が2階建になったことです)
Tokyo_station01_1920-2.jpg
        復原前の丸の内駅舎(Wikipediaより)

2003(平成15)年には,
「煉瓦造で最大規模,首都東京を象徴する建築」
として、
「意匠的に優秀なもの,歴史的価値の高いもの」
という指定基準から、
国の重要文化財(建造物)に指定されました。

この復原なのですが,賛否両論があるそうです.

重要文化財に指定された理由には,
「わが国の明治・大正期を代表する建造物のひとつである。
とありますが,指定されたものは,戦後に復興された建物です.

重要文化財に指定された建造物を「復原」とはいえ,
「かたち」を変えてしまう.
「現状変更」してしまう.
指定理由からなのでしょうか?

違和感があります.

現地・現状保存が原則の「埋蔵文化財」では考えられません.

この原則を破って,重要文化財に指定された建造物の例として,
旧横浜船渠・第二船渠(1896年竣工)があります.
位置を少しずらし,しかも少し長さを短くして,整備されています.
さらに,現状はドックヤードガーデンとして,多目的に使用されています.
保存・活用型の重要文化財として,
大都市での重要文化財の在り方もふくめ,従来の文化財概念を変えたともいわれたものでもあります.

ただし,旧横浜船渠・第二船渠のばあいは,実際に使われた部材で移築復原をしていますが,
今回の丸の内駅舎のばあいは,
現状にない部分の部材は,あらたに作り,使用しているそうです.
たとえば,煉瓦については,色や風合いを過去のものと同じように復原をしているようです.
それを復原した業者は,
現在の技術で,過去の劣った技術のものを復原するのはむずかしい
とも言っているようです.

この復原は現在残っているものをもとに復原をしているのでしょうから,
将来の経年変化も同じように復原ができているのでしょうか?
素朴な疑問です.
他の部分についても,同じような疑問はあります.

建造物とはいえ,創建時のものを現代の技術で復原することがその遺構(建造物)にとって,
最良なことなのでしょうか?
しかも,指定建造物の現状を変えてしまう.
無いものを作ってしまう.
それが,重要文化財.......?

何か,現代技術の自己満足,のようにも感じられます.

へそ曲がりのたわ言かもしれませんが,
今回のNewsを聞いて,何か違和感を覚えましたので.

皆さんは,いかが思いますでしょうか?
鞆の浦の埋立て・架橋事業中止へ [2012年06月22日(Fri)]
建設か,景観を守るか,で長い間,協議が続いていた
鞆の浦埋立て・架橋事業」にたいして,
その最終判断を任せられていた広島県知事が,
計画を中止する方針を固めたとのことです.

これで,「埋立て・架橋事業」計画は白紙となり,
新たな局面を迎えることとなります.

知事の英断には,敬意を表します.
約30年かかりました.

確かに,現地に行くと,
その景観の美しさを実感しますし,
「何で,この海を.....」とも感じます.
1024px-Sensuizima-2.jpg
       鞆の浦近景(Wikipediaより)

反面,旧くからの港町特有の狭い道,細かくクランク状に巡る道も実感します.
生活道路の整備の必要さも感じます.

ただし,代替え案があったにもかかわらず,
なぜ,埋立て・架橋,だったのか,
という疑問も感じます


知事も言っていましたが,これからが大切です.
景観は残されることとなりましたが,
人びとの暮らしは,まだ,改善されていません.
これまで約03年という長い間,ある意味放って置かれたのですから.

前向きの協議により,
より良い形になれば,と思っています.

とりあえずは,あの景観が守られたことには,
一安心をしています.
Setostamp1939.JPG
       切手になった鞆の浦(Wikipediaより)
五浦六角堂、一般公開再開 [2012年05月05日(Sat)]
昨年の東北大地震による津波で、流失してしまった
五浦六角堂(1905年創建。茨城県北茨城市)が、再建され、
4月28日から一般公開が再開されました。
http://www.ibarakiguide.jp/db_kanko/?detail&id=0800000000042

流失直後から再建が検討され、
関係者の尽力と多くの方からの寄付により、
再建当時の工法および再建当時と同じ材料で、再建され、
創建当時のものに、可能なかぎり近づけたそうです。
あれから1年 [2012年03月13日(Tue)]
東北や関東に大きな被害を及ぼした東日本大震災とその後に起こった原発事故による被害から
1年がたちました。

地震が起きたときに、私は調査で訪れていた八丈島にいました。
調査を終え、メンバーと飛行場に向かっていた車中のラジオで、
地震の一報を聞きました。

羽田空港は閉鎖されため、八丈島からの飛行機はすべて欠航、
延泊を余儀なくされました。

その夜、テレビで観た映像は、とても現実とは信じられないものでした。
船と車、そして家までもが一緒に流されている。
とてつもない勢いを内陸部へ押し寄せる津波。
これまでに実際のものとしては、観たことがないため,
バーチャルかと、錯覚するかのような映像でした。

今でもその時の映像は、鮮明に覚えています。

あれから、早1年。
被災地には、その時の爪痕はまだ残されています。
そして、その後の原発事故は周辺地域の人びとの生活の基盤を奪うともに、
社会的にも大きな影響を与えています。

この1年、地震のこと、津波のこと、原発のこと、
そして自分自身、被災地に何ができるのか、
自身が被災したらどうのように行動したら良いのか、
これまでじっくりと考えたことがないことについて、
いろいろなことを思い巡らしました。

今日は、原発事故により、
多くの生徒たちが地元を離れた福島県の中学校で卒業式がおこなわれたそうです。
神奈川台場、その後 [2011年07月27日(Wed)]
今朝の神奈川新聞に、
横浜市神奈川区にある神奈川台場遺存地のマンション建設現場で関連遺構がみつかった、
という記事がありました。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1107270004/

神奈川台場については、このblogでも紹介したことがあります。
幕末に開港した横浜港防衛のためにつくられた人工島としての「台場」です。
(人工島として水中遺跡の範疇にもはいります)
神奈川台場については、次のサイトにわかりやすく説明されています。
http://www.katsu-iwai.com/index.html

現在も跡地に行くと石垣の一部が露出しており、見ることができますし、
最近の発掘調査では、関連遺構が良好な状況で残っていることが明らかとなっています。
その範囲も当時の図面や残存遺構から明らかにされています。

地元では、保存・活用の計画もなされています。

この神奈川台場跡の一角に、マンション計画が持ち上がり、
計画段階から、市民が反対し、横浜市と協議が進められてきたという経緯があります。

結局、工事は市側が「台場に影響はない範囲」として、認可・着工され、今日にいたっています。
記事によれば、長さ17m、高さ約2.5mにわたり石垣がみつかったということです。

この結果は十分に予測できたことです。
ただし、そのような状況を知っていながら横浜市は工事は認可したのですから、
現実問題として保存は難しいでしょう。

ちなみに、神奈川台場は文化財保護法にいう「周知の埋蔵文化財包蔵地」には指定されていません。
これは、横浜市が「おおむね中世まで」を周知化範囲として、
それ以降(近世・近代)は、周知化していないということにも起因しています。

実際に、横浜港関連の「遺跡」は周知化されていませんし、
昨年の「開港150年祭」にともなった整備事業でも「遺跡」の発掘調査はなされませんでした。
また、外国人居留地跡では、県事業にともなった調査を㈶かながわ考古学財団がおこなったのにたいして、
道路を挟んだ工事にともなっては、調査がなされていないという埋蔵文化財行政の矛盾を目のあたりにしたことがありました。

最近になって横浜市は、保護対象とすべき近代遺跡については、
「周知の埋蔵文化財包蔵地」と位置づけるという「要綱」をつくっています。
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/pdf/houkoku_03.pdf

このようななかでの今回のニュースです。
市側はあくまでも「台場に影響はない範囲」と説明しているようですが、
埋蔵文化財行政のちぐはぐさは否めなません。

水中文化遺産とも関連する問題ですので、考えせさられます。
「太陽の船」発掘開始 [2011年06月24日(Fri)]
連日の30℃越えで、早くも少しバテ気味です。
まだ,夏前だというのに、夏本番が思いやられます。

さて、昨日の読売新聞・電子版に、
エジプトの「太陽の船」の2隻目の発掘調査が始まった
という記事がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110623-00000952-yom-soci

「太陽の船」は、
「古代エジプト第4王朝(約4500年前)のクフ王の巨大ピラミッド脇に埋まる世界最古級の大型木造船」
です。

その2隻目の発掘作業が23日、首都カイロ郊外ギザで始まったそうです。

調査団長は,吉村作治・早大名誉教授。
復元までをおこなうそうです。
復元までには、4〜5年をようし、総事業費は約10億円だそうです。

すごい規模ですね。
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