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犬山城 (01/22)
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初島沖海底遺跡で調査をおこないました [2013年03月19日(Tue)]
3月13日〜18日に,静岡県熱海市初島沖海底遺跡の調査
東京海洋大学とアジア水中考古学研究所が共同で実施しました.

調査では東京海洋大学が所有する自律型水中ロボット(AUV)での遺構詳細図作成
およびマルチスキャンソナーでの海底地形図作成を主におこないました.

今回の調査の主題のひとつであった水中ロボットの遺跡への本格的な使用は,
国内では初めてのことと思います.
大学,ARIUA双方に実験的な意味合いは強いものでしたが,
確実に今後へ繋がる調査であったと思っています.

AUVでの写真の閲覧については,しばらく時間がかかるとのことですが
将来的にでも考古学研究に耐えられる図面ができれば,
初島の事例のみならず,今後の水中調査・研究にも大きな意味をもつものと思っています.

調査は,今後も継続する予定です.


今回の成果は,5月にトルコで開催予定のユネスコの水中文化遺産世界大学会議などの場で発表される予定です.
鷹島海底遺跡で,今年度の調査が始まりました [2012年06月18日(Mon)]
今日(6月18日)から,
3月に国内の水中遺跡では,初めて国史跡に指定された
鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)で,
今年度の調査が始まりました.

28日までの予定で,昨年に確認した船体と考えられものを主に,
詳細調査を実施するとのことです.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120618-00000832-yom-soci
明日から小田原市石橋沖での調査です [2011年02月25日(Fri)]
今日の東京地方は,とても暖かかったですね。
風も強く、春一番だったそうです。

明日,明後日と調査を予定している小田原市石橋の海も風の影響もあり、
大時化状態だったそうです。
明日は、風もおさまるということでしたので、
とりあえずは一安心です。

調査のようすは、このブログでもお知らせします。

それと、今日の暖かさ、強く吹いた風の影響もあったのでしょうか、
朝から鼻がムズムズ,目もかゆい、それにくしゃみの連発。
ついにきてしまったようです。
今年は、花粉が多く飛ぶとの予想がなされていましたが、
昨日までは、私のからだには一切その兆候がなかったので、
安心していましたが、
やはり甘くはなかったですね。

これから2ヶ月あまり、つらい日が続きます。
憂鬱です。
小田原市石橋沖の調査の記事が新聞に掲載されました [2011年01月15日(Sat)]
昨年末に小田原市石橋沖で実施した潜水確認調査の記事が,
今日(1月15日)の読売新聞・夕刊に掲載されました.
web版にも掲載されるとのことです.

水中考古学や水中文化遺産,およびARIUAの活動は,
より多くの方に知ってもらうことが重要です.
ですので,このような記事が掲載されることは,
意味のあることと思いますし,励みにもなります.

なお,石橋沖については今年度中にスキューバによる詳細確認調査を実施します.
びわ湖湖底総合科学調査 [2008年12月25日(Thu)]
『神秘の海底と湖底』で報告された1959(昭和34)年の「びわ湖湖底総合科学調査」は,本格調査がはじまった7月からは,そのようすが連日,新聞(京都新聞)に掲載されています

最新鋭の機器のこと,水中テレビが映し出した湖底のこと、記者が実際に潜水して見たこと(湖底漫歩という表現で)や地元の小学生・高校生とその父兄が見学船で見学したことなど、その熱狂?ぶりが記されています。

調査終了後には、一般向けの調査の報告会も開かれています

新聞社主催ということもあったのでしょうが、多くの人に関心をもたれた調査であったようです。
今の「水中文化遺産」調査を取り巻く環境を思うと、何かうらやましい感じもします。
それと同時に、このような状況が結果として、琵琶湖のみの一過性に終わってしまったことは、残念です。

ちなみに、このときに開催された調査報告会は、「水中文化遺産」調査に関するものとしては、国内ではじめてのものなのではないかと思います。
小値賀島前方湾海底遺跡調査のようす 2 [2008年09月07日(Sun)]
今年の調査では、発見した遺物の場所に水中で石にのように硬くなるパテを利用して、目印をつけました
将来、水中遺跡公園化構想の中で、海底に発見遺物の複製品等が置けるようにと考えてのものです。

このように、多くのひとに、海底遺跡を見て、理解してもらうための海底遺跡ミュージアム構想の実現に向けて、いろなことを試してみようと思っています。

皆さんも良いアイディアがありましたら、是非、提案してください
小値賀島前方湾海底遺跡調査のようす [2008年09月06日(Sat)]
8月24日から開始した小値賀島(おぢかじま)前方湾(まえがたわん)海底遺跡調査が、予定通り30日に無事に終了しました。

今年は、昨年に海底遺跡見学会をおこなったクスクリ崎沖で、遺跡の範囲を確認するための目視を主体とした調査をおこないました。
調査には,研究所員のほかに、韓国のwoori文化財研究院の若手研究者ら5名、イタリアの研究者1名も参加するなど、国際色豊かな調査となりました。

調査では、中国陶磁を主体とした陶磁器類(中世主体)約40点と中国型碇石4本がみつかり、周辺に多くの遺物があることが再確認されました。



碇石は完全なかたちで残っていたもの2本、折れた状態のもの2本ですが、折れたものうちの1本は、復元される長さが3mを超えるような大型のものでした。



これまでに、小値賀島周辺で11本の碇石がみつかっていますので、これで合計15本となりました。
この数値は、博多湾に次ぐものです。
これまでの調査成果を考えれば、今後の調査で、その数はさらに増えることでしょう。
あらためて、小値賀が大陸と日本を繋ぐ航路上にあって、重要な寄港地であったことを再認識させられる成果でした。

なお、掲載した写真は、当研究所員でもあるプロフォトグラファーの山本祐司さんが撮影されたものです。
遺跡の調査 2 [2008年01月23日(Wed)]
今朝、今年初めての積雪がありました。
午後には雨にかわりましたが、とても寒い一日でした。


遺跡の調査のうち、遺跡の広がりを調べる調査は発掘はともないませんが、とても重要な調査です。
遺跡がありそうな場所を地表や崖面などを丹念に見ながら歩いたり、地元の方々から情報を収集たり、地道で地味な作業です。
この作業は、陸上でも水中でも同じです。
水中の遺跡も海岸を歩いたり(打上げられた遺物を探しながら)、地元のひと(とくに、海をもっとも知っている漁師さん)からの情報収集が必要です。

遺跡といってもさまざまな種類があります。
また、遺跡がある地形(立地)もさまざまです。
ですから、どこにどのような遺跡がどのくらいの範囲にあるのかを知ることは、重要なことで、発掘調査を実施するための重要な情報にもなります。
日本の沈没船調査 [2007年10月10日(Wed)]
水中考古学には、研究目的によりさまざまな分野があることは以前紹介しました。
そのなかでも、沈船を対象にする分野があります。
文字どおり沈んだ船−沈没船−を調査し、船の様相や積載物の内容などから当時の造船技術や交易のようすなどを復元するもので、英語では−maritime archaeology−と呼ばれ、諸外国では水中考古学のなかでも盛んに調査・研究がおこなわれています。

この沈没船の調査ですが、日本で本格的にはじまったのは、1974(昭和49)年から実施された北海道江差町の旧江戸幕府軍艦「開陽丸」の調査からです。
この「開陽丸」の調査は、日本で初めての本格的な水中考古学調査でもあります。
調査では、船体の一部とともに数々の遺物がひきあげられました。

その後は、長崎県鷹島沖の「鷹島海底遺跡」(元寇時の軍船等)、広島県福山沖の「いろは丸」(海援隊のチャーター船)、房総沖の「ハーマン号」(旧熊本潘のチャーター船)、南伊豆沖の「ニール号」(フランスの郵船)などの調査がおこなわれています。

鷹島海底遺跡」をのぞくと、いずれも幕末から明治にかけての蒸気船で、調査により船体の一部がみつかり、船体の位置はほぼ特定できているのですが、より詳細な調査はおこなわれいません。

これらは、今後の調査成果が期待されるのですが、費用がかかり、緊急性がないこともあり、継続的に調査ができていないのが現状です。

なお、「開陽丸」の出土品は江差町の開陽丸青少年センターで、「いろは丸」の出土品は広島県福山市のいろは丸展示館でそれぞれみることができます。
池尻海底遺跡の探査 [2007年09月26日(Wed)]
 9月15日に「海底遺跡ミュージアム構想」の遺跡見学会候補地として佐賀県玄海町の池尻海底遺跡(いけじりかいていいせき)の探査を玄海町教育委員会立ち会いのもと、研究所員4名が参加しておこないました。

 池尻海底遺跡は、玄界灘に面する玄海町最北端、佐賀県東松浦半島の北端の入り江に位置しています。
 北側には、九州電力玄海原子力発電所があります。


 海況は、冬季をのぞけば穏やかなところです。
 また、車利用で福岡市内から1時間30分、その他の九州各地からもおおむね3時間以内で到着できます。

 遺跡は、1989(平成元年)9月に玄海町教育委員会と佐賀県教育員会が主体となって、消波堤建設にともなって調査がされ、その後、調査された部分のみが周知の遺跡として登録されています。

 1989年の調査では、約740m2の範囲の水深4〜5mから19世紀初頭(江戸時代末期)の肥前系磁器を主体とする遺物が引き上げられ、港でない場所からの出土であることから、船の積載品の漂着あるいは難破にともなうもの可能性が考えられています

 ただし、その後の調査はおこなわれておらず、遺跡の性格や広がりについてはよくわかっでいません。


 今回の探査は、遺跡見学会候補地としての可能性をさぐるためと遺跡のひろがり・現況を確認するためにおこないました。



 探査の結果、海底にはたくさんの海草類が繁茂していることもあって、目視が困難な状況でしたが、遺物は1989年の調査と同時代の磁器2点(水深5と9mの地点)が確認されました


 しかし、遺物が確認された位置は、周知遺跡範囲から約100m離れていたことから、遺跡としてはかなり広範囲にひろがっていることが確認されました

 これで、すぐに次回以降の海底遺跡見学地に決定というこにはなりませんが、不確定な点の解明をふくめて今後、改めてより詳細な調査をおこなう意義はある遺跡です。

 なお、1989年の調査で引き上げられた遺物は、玄海町歴史民俗資料館でみることができます。