特別展示「波打ち際の宝石たち」―D・M・ギルフォイルの上総興津浜で二十年にわたる陶片の蒐集―」を観て [2020年01月12日(Sun)]
先日紹介した千葉経済大学地域経済博物館で開催中の
特別展示「波打ち際の宝石たち」―D・M・ギルフォイルの上総興津浜で二十年にわたる陶片の蒐集―」 を観てきました. https://www.cku.ac.jp/news/20191114-01.html 今回の展示を見て,感じたことを記します. 以前から話に聞き,報告書も確認していましたが, 遺物を実見するのは初めてでした. 2010年に刊行された専門家による資料調査報告書では, 資料が収集された「興津浜」を遺物の質や量から「興津海浜遺跡」と命名しています. 今回の展示では, 地元のデビッド・M・ギルフォイル氏が1980年代初頭から2005年にかけて, 千葉県勝浦市の興津浜(おきつはま)で収集した縄文時代から近世にわたる陶磁器・ガラス・玩具・古銭・瓦など2万点以上の資料のうち約200点が展示ケースの収められていました. また,ギルフォイル氏による資料収集にかかわる解説文もパネルに掲示されていました. 実見の感想として,収集資料の多時期・多様さを再認識するとともに, 思っていた以上に遺存状態の良好な資料が多く,とくに割れ面の摩耗がほとんど見られない資料が多いことには興味を覚えました. 遺跡の由来について報告書では, もっとも資料量が多く,状態の良い近世資料(17世紀初頭以降)のピークが17世紀末から18世紀前半にあることから,判断は難しいとしながら, 1704(元禄16)年の元禄地震にともなう津波による生活材の流出, あるいは近世興津港の繁栄ぶりから各地からの物資輸送を担った船舶の沈没にともなうものと,考えています. いずれのばあいであっても,割れ面の摩耗がほとんど見られない資料が多いということは, 海中に没した早い時期に,海底に埋もれたと考えるのが妥当だと思います. それが,海底にも影響をおよぼすような荒天による波浪の影響で,一気に海岸に打ち上げられたものと考えられます. したがって,今でも海底下に埋れている遺物多くあると思います. しかし,ギルフォイル氏によると1996(平成8)年を境に,海岸で収集される遺物は激減したとのことです. この年には,国土交通省が推進していた 「景観等に配慮した事業が実施できる」「エコ・コースト事業」の対象地として,興津浜が承認され, 「アカウミガメが産卵できる環境づくり」のため, トラック8千台におよぶ砂が海岸に入れられています. おそらくは,この砂が海中に流出して海底に堆積したことにより, 海底下に埋没している遺物が海底面に出にくくなり,海岸へ打ち上げられる量も減ったのではないかと考えられます. 同様の事例として,各地の海水浴場でみられるシーズン前の海岸への多量の砂の投入をともなう「造成」があります. これらの事業に際しては,海底下に残る遺物や海岸に打ち上げられた遺物への配慮はみられません. また,各地で行われている海岸清掃(ビーチコーミング)も「遺物」をゴミとして処理され, やはり配慮はみられません. 実際に海岸近くにある自然・生物系の博物館では,海岸清掃で拾われた陶片等の「遺物」が, 「拾われたゴミ」として展示されている例もあります. もちろんこのような行為は,文化財としての「遺物」を故意に無視しているのではなく, 「知らなかった」という関係者間の情報共有がなされていない結果だと思います. 海岸で確認できる遺物散布地(海岸遺跡)は,興津浜の例でもわかるように, 収集遺物の観察を通して由来を知ることができ,海底遺跡把握にも重要なデーターともなります. 何もないところには,遺物は散布していませんので. 遺物散布が確認されてる海岸の多くは,文化財保護法における「周知の埋蔵文化財包蔵地」として登録がなされていません. 登録がされていれば,上記のような行為も配慮がなされたうえで実施されたことでしょう. もちろん地域の経済活性化のための海岸利用という側面もあるでしょうから, 文化財優先というわけにもいかない事情は理解できますが, せめて関係者間で情報共有をして,陶片ひとつでも文化財であるという認識を多くの方が理解するだけでも, 文化財保護には意義深いことと思います. その意味でも海岸遺跡にもっと注目をしてもらいたいと思います. なお,展示は2月1日(土)まで。土曜日は開館しています。 遺物調査報告書も販売していました。 海岸遺跡を理解するうえでも,ぜひ多くの方に見ていただきたい展示です. |