名古屋堀川(ほりかわ) [2009年10月31日(Sat)]
【名古屋堀川(ほりかわ)】 江戸時代、名古屋城を築くのに堀川という人口水路を使い、木材や何十トンもある大きな石の塊を運んだんだろう そして尾張徳川の物資も運んだのだろうどんな風景だったんだろうか 今は川沿い両側にビルが建ち並ぶ風景。 堀川は名古屋城から名古屋市のほぼ中心を流れ熱田を通り名古屋港へ。当時は熱田より南は海のはずだ。(^-^) その堀川の真下をくぐってすぐ、日比野駅という地下鉄駅‐その駅に降り立った10月26日。そこから200m離れた国際会議場で、大きく綺麗な舞台でプレゼンをさせていただいた。真意は伝わったか否か(〃д〃) ぱぴーは出番待ち時間の間、会場エレベーターを降り、独りだけで立体交差する中庭で冷たい空気にあたり雨空を眺めていた。現代のお城、デザイン博の産物、その中庭に独り佇(たたず)み。…別件でひどく疲れていた。 o(><)o エレベーターに乗り上階、時間前に早目に戻る、会場は扉が閉められ受付の官僚さんがお一人。顔つきのいい方だった。会話が弾んだ…何でも外現場を大切にしていらっしゃるらしく、頭がいいに加えて性格が愉しかった…オープンマインド。(^O^)/ その数日後、セピア色の昔、ご縁がありお世話になったご夫婦の墓参りに出かけ、(未だにご健在でお過しと思っていたので大変驚いた(T_T))お礼を申し上げた。秋の太陽、つるべおとし…もう日が暮れてしまったが、お寺の墓場の急な階段を上り、そこは死者の眠る場所という怖さを全く感じることもなく、立派な墓石に案内され柄杓で水をすくい、花とたばこを供えさせて頂き、手を合わせた。( 人 ) …「ぱぴー!昔は手を合わせる‐そんなことする人間でもなければ、何度も言っても、言うこときかずシートベルトさえしない人間だったよな?」「いろんなことがありすぎたから…」寺の近く、墓案内してくれた方の行きつけの珈琲だけの専門店(隠れ家風)で美味しいカフェを頂き別れた。~ヾ(○゜▽゜○) 昨夜、正拳突き込みを軽目にしていると救急車のサイレン音が段々と近づいてきた。そしてぱぴーの前で停車、ご近所の奥さんが辛そうな顔で、ぱぴーにご主人の具合が悪いと…ぱぴーはどうされましたかと尋ね、「心配しなくていいですよきっときっと大丈夫だから…云々略」と励ました。(¨;) 5分後ストレチャーに乗せられたご主人、ご近所の方が2人出て来られ奥さんを励ましていた。ぱぴーは少し離れた位置にいたが奥さんに近づき再び声をかけた。「大丈夫、大丈夫、意識がある。……云々略。」「(ぱぴーさん、)何かあったらまた宜しくお願いします」 心よりお見舞い申し上げます。 本日またまた7時正拳をしていると、見知らぬ近所の坊主頭の大きな体の子供がぱぴーを見ている。ぱぴーは声をかけた…略。「おじさん、何してるの?」「空手だよ」「痛くないの?」「慣れたから痛くないよ」…中略「僕はスポーツ好きか?」「うん、サッカーとバスケ…体デカイからみんなチョロイ!(簡単に勝てる)」「ふーんそうか。スゲーなあ。僕はデカイだけじゃなく、才能があるんだよ。」ニコニコの子供。「でもなぁ 世の中、上には上がいるから本気でやるなら人の3倍練習しないとな!まあー遊びならいいけど」…中略「おじさんは家に戻るよ」「おじさん!ありがとう!」物おじせず、ちゃんとお礼の言える子供だった。w(゜o゜)w 名古屋堀川はお世辞にも綺麗な水路とは言えない。しかしその役割は大きいはず。先人たちの築いた流れがある、どんな川も大切。でも、少しは綺麗にしたいね。(∪o∪)。。。 人の意識の流れはどこへ向かっているのだろうか。地図さえなく紆余曲折をし、ゆるやかに大海へと行くのかなぁ??…それじゃあ歌のように、人生は川の流れのように…なのでしょうか??(゜ω゜?) 意識の上流や下流を船に乗り、行き来するのことも、目の前の風景を意識重畳的(ちょうじょうてき→いくつも重なり合うこと。…流れと別の船など)に見渡すこともたまには大切ですね。意識の流れは一つではないはず、ゆるやかでもない全く地図がないわけでもない。たぶんたぶん。独断独善かな?? (^-^) 10月29日 記 ぱぴー |