向島百花園の萩 [2009年10月06日(Tue)]
「楽しく散歩」の風来坊です。
本日は向島百花園の紹介です。 向島百花園は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜1830年)に造られた庭園です。庭園を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢です。交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園したのがはじまりです。 萩のトンネル 開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、例えば、宮城野ハギ、筑波のススキなど詩経、万葉集など中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説では、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものだそうです。 萩のトンネル 百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。庭園内には、庭造りに力を合わせた文人墨客たちの足跡が残されており、芭蕉の句碑を含め、合計29の句碑、石柱が随所に建てられています。 民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けております。 初秋を彩る向島百花園の名物が「萩のトンネル」です。 トンネルの全長は約30メートルです。 「ミヤギノハギ」と「シロバナハギ」の2種類のハギが、紅白に咲き誇るそうですが、白花のほうが若干遅咲きのようです。 向島百花園というだけあって、ハギ以外にもさまざまな花が咲いていました。 詳しいレポートは、ホームページ「楽しく散歩」の「新着情報」でご覧いただけます。 風来坊 |