上野公園散策その3 [2010年02月21日(Sun)]
「楽しく散歩」の風来坊です。
上野恩賜公園の紹介3回目です。 上野東照宮の参道を出て、左手に30mほど進んだところが「上野動物園」の入り口です。 上野動物園は都立の動物園で、開園は明治15年(1882年)3月20日で、日本で最も古く、年間入場者が日本一の動物園です。 ジャイアントパンダがシンボル的存在でしたが、2008年4月30日に「リンリン」が死亡し、現在はパンダが1頭もいなくなりました。 来年には新しいパンダが来るとのことです。 上野動物園 上野動物園をでて真っ直ぐに30m程進んだ右手に「小松宮親王像」があります。 小松宮彰仁親王は鳥羽・伏見の戦いでは東征大将軍として参戦し、また戊辰戦争では奥羽征討総督として官軍の指揮を執っています。 小松宮親王像 小松宮親王像の前方に広場が広がっており、その左手に噴水があります。 将軍綱吉は、上野公園の噴水のあるところは、竹の台と呼ばれていたところですが、将軍綱吉はここに根本中堂を建てました。 したがって、この付近が寛永寺の中心だったということができます。 慶応4年(1868年)5月15日の上野戦争で主要な伽藍の殆どが焼失してしまいました。 竹の台噴水 竹の台噴水の東京国立博物館に向かって右側に「野口英世の銅像」があります。 野口英世は福島県猪苗代町出身の細菌学者で、黄熱病や梅毒などの研究で知られており、コッホから始まる細菌学的医学権威の最後の一人といわれています。 アフリカで黄熱病の研究中、自ら感染し昭和3年(1928年)、51歳の若さでなくなりました。 野口英世の銅像 竹の台噴水の左側の林の中に、「ボードワン博士像」があります。明治新政府は、この地を陸軍用地、病院建設予定地として考えていましたが、ボードワン博士が、近代的な公園にすべきと提言したことにより、1873年に日本最初の公園が誕生しました。 上野公園生みの親とも言える人物です。 ボードワン博士 詳しいレポートは、ホームページ「楽しく散歩」の「新着情報」でご覧いただけます。 風来坊 |