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2009年08月29日

歴史


【 歴史 】


本日は一週間ぶりに尾張旭市駅に降り立ち、お祭りに参加してきました。日常からの立ち位置を変え、様々な方と会話する機会があり愉しんできました。(^O^) 帰り道、4時記す


では、話題へ。

大雑把に、弥生→平安→鎌倉→室町→江戸→現在。ですね

自分の親にも親がいて、その親にも親がいて…。名古屋のぱぴーの在所には家系図があったらしいが明治時代に博徒の祖先がいて、家や刀や家系図やいろいろ売り飛ばしたらしく…残念。(≧へ≦)

自分のルーツに思いをはせると人も殺しただろうし畑を耕しただろうし泥棒もしただろうし人を助けもしただろう…その時代その時代での当たり前の生き方や悩み事や病気に苦しんだり、夢を持っていただろうと思う。(^O^)


今の日本の人口1.4億から計算して30世代遡る(さかのぼる)と最初の二人に行き着くらしいと誰かの本で読んだ記憶があるが、まあー数学的単純計算だが。(?_?)
そうすると日本財団の設立者.故 笹川良一様のかなり昔の啓蒙コマーシャルにあったように<一日一善。人類皆、きょうだい!>ということになる(^O^)/



歴史上の時代劇テレビドラマや小説は大部分が虚構に過ぎない。大河ドラマも同じだ。セリフは脚本家が書き、人物像を理想に近づけ、かなり創り上げている。誰も歴史上の人物の発した言葉も生の顔も知らない。まさにお芝居であり、説(せつ)なのだ。o(^-^)o

ドラマで描かれる歴史上の人物は生理現象も当たり前にあり、生臭く、本当は何を考え、何をして、何に喜び、何に怒り、何を恐れ、何を思い…とは解らない。本当の事は本人とその時代に生きた数名の人しか知らないはず(^O^)/

結局は古文書から歴史やその人物像を知るしかない。本物であろうがそれ自体を信用して。その中の歴史観である。それさえ定説がひっくり返る可能性も。(つまりおおざっぱに本人自筆遺言書と同じで、日付が新しいのが認められる遺言になるでしょ…と同じ理由で古文書が…人は日により考えや思いも変わるしね…と、ぱぴーは思う)!(^^)!


歴史から学ぶとはよくあることだが、結局は人間性の進化はさほどしてないね。例えば、人を殺すことが武士の正義であったりしたが、現在で当てはめるならば正当防衛や緊急避難理論の範囲で許されているに過ぎず。その時代その時代に沿った自己防衛策である。(-_-)

武士が町人を無礼打ちで刀で斬(き)ったり、試し斬りしたり、老人宅に主君のあだ討ちのために集団で朝方に押し入り、襲ったり。歌舞伎の芝居、<寺子屋>…せまじきものは宮仕えのセリフで知られた…のように我が子の生首を差し出すことのオカルト感覚が江戸時代の民衆にはウケたり。江戸時代の刑法書(図入り解説)には見るに耐えない残虐な罰も。だから誤解を恐れず書くと歴史的に見ると現在の凶悪犯罪は非人間的かというと分からなくなる。…もちろん自分や自分の大切な人がそんなことに巻き込まれたら冷静ではいられなくなり復讐しますが…。(−_−メ)


つまり、人間性本性はさほど変わらないからこそ、気づきや理性や歴史の教訓を感じます。人の気持ち、人の心…聞こえない声、見えないものにも感覚として意識することなど…。それが犯罪予防の原点かな。でも、罪を憎んで人を憎まずの心境はなかなか理解できませんね。(-.-;)


世の中や歴史より見えないのは皆が自分自身なのかも知れないですね。
♪何を手にしたいの 答えを探さないで 何も意味など無い 勝利も敗北もなく、横たわってる心の奥の暗闇 by浜田省吾

8月27日 記 ぱぴー
posted by ぽこ at 17:16| Comment(0) | (カテゴリなし)
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