若山牧水の白鳥の詩 [2009年08月23日(Sun)]
はじめまして、私は尾張旭市の隣で、自営業を営む 『たけてぃ』と申します。 西暦1935年生の74歳。 仕事や趣味を通じて、子どもたちをはじめ、人と交わることが多く、また、日常で感じたこと思ったことなどを地元の新聞などに投稿することも好きで、今回から、 『あるちゃんの絆つなぎ』ブログにも、時々投稿させていただくこととなりました。 ブログへの投稿は、はじめてのことで、少し緊張しますが、皆さん、よろしくお願いいたします。 さて、“白鳥は かなしからずや 空の青にも 海の青にも 染まず漂う”若山牧水の詩をご存じでしょうか?中学生の時に担任の先生に教わった記憶があるが、この詩には忘れ難き思い出がある。 昭和26年終戦後6年を過ぎたが、まだ義務教育生徒の3分の2は就職した時代だった。母子家庭だった自分も当然のように就職組だが、“口減らし”で住み込み就職を強望されてい た。チヨッピリ不良化していた自分は卒業してわずか2ヶ月半ばかりの間に転々と職場を変えて、家族も呆れ果てていた頃の事だ。 職業安定所から4度目の菓子製造会社へ住み込み就職をしたが、2つ年上の先輩に、職場の人たちに対する態度が悪いと夕食の時に酷く説教され、皆が眠静まった早朝の4時頃荷物を纏めて、“俺はこんな処は嫌だから帰る!”とメモして飛び出した。 夢中で暗闇の中を走り続けた。自分の気の弱さと我慢の無さに無性に腹が立ち、涙がポロポロと流れてきた。どこをどう走ったのか分からない。時々大声を出して泣き叫んだ。新聞配達人が「オイどうしたんだ!」と声を掛けてくれたが、自分はその人に対して「うるさい!」と怒鳴った。“俺も小学校の頃新聞配達のバイトをしていた経験があるのになんてことを言うんだと、今度は自分に”バカヤロウ!“と怒鳴り、道端の石を拾って、倉庫らしい建物に投げつけて夢中で走った。 良く覚えていないが1時間ほど走ったろうか、彼方にお城がぼんやりと見えてきて、公園らしい場所の小さなベンチを見つけ腰を降ろそうとしたが、毛布を被って寝ている放浪者を見つけた。良く見ると他にも2人ほどの姿を見つけた。 当時は乞食?など珍しくもないが、自分に置き換えて又涙が吹き出してきた。家に帰れば母親や兄貴に「もう棒を折って帰ってきたか!」と怒鳴られるが落だ。自分に適した職も見つからないし、いっそう俺も放浪者が似合うかも知れない。それとも川に飛び込むか?自己嫌悪は益々度を増してきた。 公園の南側に流れるお堀端を履物も無くし素足で歩いていた。 その時である。お堀の水に白鳥が数匹泳いでいるのを見つけた。金縛り状態でじ〜と静かに泳ぐ白鳥を凝視した。如何にも暢気に静かに白鳥たちは浮んでいるように見えるが、彼らの足は川水に流されない為に必死に漕いでいる。あの純白の羽根も、詩の如く水の色にも、空の色にも染らず、そして人の目にはのんびりと見えるが、急流の川の水に巻き込まれないために彼らは必死で短い足を漕ぎ続けて生きているのだ. 俺は唯々若山牧水の詩が好きだけではなかった筈だ。一見何の苦労も無い人たちこそ精神格闘して生活しているのだ。私は一瞬自分の愚かさに気がついた。“白鳥は かなしからずや 空の色にも 水の色にも 染まず漂う”と大声あげて叫んだ。 「どうしたんや」浮浪者が飛び起きた。ワハハと大きな声で俺は笑った、そして何度も大声で「白鳥は悲しからずや-------」と叫び彼らに大きく手を振ると朝日を浴びながら公園を一目散に走り抜け街道に出た。 H21年8月20日記 |