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地図 [2012年08月10日(Fri)]
 小学校の低学年の頃、私は地図が好きだった。写真が趣味だった父親はよく地図を接写して、私のために焼き付けてくれていた。その頃から遠い地に憧れていたのかどうか、よくわからないが、とにかく地図が好きだった。日本全図や九州全図が刷られたハンカチをいつも持っていた。もちろん手をふくわけではない。
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学歴 [2012年08月02日(Thu)]
 学歴というものを一番意識したのは、高校を退学してしばらく経った頃のことである。中退した直後は、高校に通っていた頃から働いていた小倉の室町の店でそのまま住み込みで働いていたので、特に意識はしなかった。周りにいるのは似たような学歴だったし、中学すらろくに出ていないのに比べれば、高校中退の私の方が高学歴だった。私もその世界の住人ではあったが、学歴の低さを自慢しあう不思議な住人が多い世界だった。
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facebook [2012年07月12日(Thu)]
 フィリピンの友人たちに勧められて、facebookを始めたが、ほとんどログインすることもなく、過ごしていた。そして、今日、遠い昔の同級生よりメッセージが届いていた。小さい頃の友達の名前で検索したら当たったらしい。メッセージの日付から2ヶ月近く経っていた。
 小学生時代、最も仲のよかった友達である。とても頭のいい友達で、私よりずっとしっかりしていた。彼と最後に会ったのはいつだったろう。私は小学5年生の時に引っ越しして、転校しているので、その時だろう。もう40 年近くになる。私が児童会役員の選挙に立候補した時、彼が選挙管理委員をつとめたことを改めて思い出した。その時の担任の先生の訃報を同じく当時の同級生から聞いたのは昨年のことだった。私たちが育ったあの基地の町は確実に遠ざかっている。
台風(3) [2012年02月03日(Fri)]
 名古屋の近くの広瀬梁の梁場で鮎料理を食べた後、馬籠、妻籠と出かけ、Oさんと別れた。さらに中央本線を列車で東に進んで東京に戻ることにしたが、長野と山梨の県境で台風に遭遇した。与論に置いてきたはずの台風だった。いつの間にか先回りされたような感じであった。いずれにせよこの台風に足止めを食らう運命にあったのだろう。列車は前にも後ろにも動かず、当時の記憶が正しければ、車内で菓子パンが配られたと思う。
台風(2) [2012年02月02日(Thu)]
 与論を出た船は、迫る台風を置き去りにしながら、神戸へと向かった。行きの星空と麻雀は覚えているが、帰りの船のことはあまり記憶がない。
 神戸から京都、名古屋へと乗り継ぎ、やはり前の冬のスキー場で一緒に働いたOさんを訪ねた。ご実家が豆腐屋と豆腐料理を営むOさんは、私より一回り以上の年上の方であるが、30年近く過ぎた今も私の誕生日には贈り物を送ってくださる。家にある宮崎駿のビデオの一群はOさんが私の息子のために送ってくださったものである。最後にお会いしたのはもう20年ぐらい前になるだろうか。
 スキー場で働いていた時、翌夏の北海道の牧場のバイトを紹介してくださったのもOさんだった。牧場の倒産で実現しなかったが。
台風(1) [2012年01月31日(Tue)]
 特に珍しいことではないのだろうけど、同じ台風に二度遭遇したことがある。あれは東京に住んでいた頃、前の年の冬に知り合った友人が与論島でバイトをしていて、遊びに来いと言ってきた。ちょうど発掘調査も盆休みに入ったので、東京から那覇行きのフェリーに乗り込んだ。2泊3日の船旅だったが、夏だったので夜は船内ではなく、満点の星空を見上げながら甲板で寝た。昼は船室に入り、船で知り合ったやつと麻雀をして時間をつぶしていた。
 与論に着くと、友人は昼間は海の家の仕事だというので、一人で海岸に行ったり、ぶらついていたが、どうも台風が来るらしいという。夜、友人と浜に繰り出したが、明日の船に乗らなければしばらく船が出ないかもしれないと脅される。
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公衆電話ボックス [2012年01月30日(Mon)]
 今はめっきり数が減った公衆電話ボックス。いつの旅だったか、冬であったことは確かだ。どこの町であったか覚えていないが、地方のさびれた駅前だったことは覚えている。列車もなくなり、宿に泊まる金もなく、田舎ゆえ深夜喫茶もない。道路脇で私を誘う灯りが公衆電話ボックスだった。段ボールの切れ端をボックスの下の方の隙間にあてがい、膝を抱えてみたり、背中と足でつっぱってみたり、とにかく不自然な体勢で朝まで過ごした。泊まるというよりほとんどビバークと言ってよい。
 身近な人間でそんなことをしたのは自分ぐらいだろうと思っていたら、近所に住む大学の後輩も同じことをしたことがあると言っていた。そう言えば彼は道路やエレベーターで寝たことがある人だった。私を知る人は誰のことかわかると思う。
軍艦島 [2012年01月10日(Tue)]


 野母崎から洋上に浮かぶ軍艦島を望む。正確には浮かんでいないのだが、確かに碇泊した軍艦に見える。かつて炭鉱で栄え、その閉山とともに廃墟となった端島である。
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実測 [2012年01月06日(Fri)]


 考古学の遺構や遺物の記録化や資料化の方法の一つとして、実測がある。文字通り、実際に計測して図化するものである。これまで陸上はもちろん水中でもずいぶん行ってきた。
 遺物の実測は面倒だけど、注意深く観察しながら計測するため、勉強になると言われたし、実際にそうであったが、最近はなかなかそうした実測には出会わない。初めて遺物の実測を行ったのは、大学の考古学サークルの部室であったと思う。誰に習ったわけでもなく、自己流に近い。そして、ある程度の数をまとめて実測したのは、大学3年の波佐見の陶磁器調査が最初であった。だいたい1日50点ぐらい連日、磁器碗・皿の実測ばかりしていた。当時は江戸時代の陶磁器に興味があったわけでもなく、他の多くの考古学専攻生と同じように古い時代こそが考古学の対象であった。そのため、遺物を実測しているという実感はなく、ひたすら割れた茶碗を計測する作業であって、勉強ではなかった。(ちなみに卒論のテーマは中国の新石器時代であった。)
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大学受験 [2011年10月31日(Mon)]
 大学受験する時はもう21になっていた。17で高校を中退して、放浪を重ねていた。20才の夏にマッターホルンに登った後、そろそろ大学に行こうかと思いながら帰国した。
 勉強は3年ぐらいのブランクがある上、夏までヨーロッパで山に登っていたので、共通一次までは4ヶ月ほどしかなかったが、この4ヶ月は馬鹿みたいに勉強した。ほとんど山ごもりのような感じだった。
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