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虚空蔵山(4) [2009年03月17日(Tue)]
3月15日、先週に引き続き、虚空蔵山に登る。今日は岩屋口から。そう言えば、岩屋の登山ルートでは近世陶磁器は見つけていない。見つかるのは不動山ルートと木場旧道ルートばかりである。昔からの道なのであろう。
11:45岩屋口発、12:10〜12:20頂上、12:40岩屋口着。正味1時間ほどの登山だった。帰りに滝の観音に寄る。



2週間ぶり [2009年03月07日(Sat)]
2週間ぶりの虚空蔵山。
10:15自宅発、10:48木場登山口発、
木場新道ルートで11:18頂上着。
思ったほど霞んでなく、大村湾がよく望めた。
11:23頂上発、木場旧道経由で11:45登山口。



冬枯れの虚空蔵山 [2009年02月21日(Sat)]
 明日から天気が崩れるとの予報であったので、先週に引き続き、虚空蔵山に登った。頂上近くは今朝も氷点下だったのであろう。地面が少し凍っていた。思ったほど黄砂も飛んでなく、頂上からは遠くが見通せた。冬枯れと書いたが、杉の植林が多く、冬でも緑多い山である。そのため、今日も息子がマスクをしながら苦しんでいる。



劔岳<点の記> [2008年12月17日(Wed)]
 香港からドバイに向かう機上でキーボードに向かっている。新田次郎の「劔岳−点の記」を読了したところである。学生時代に通った峻峰にまつわる小説は懐かしかった。登攀活動の多くは東京の社会人山岳会の仲間と出かけたものであったが、こと劔岳のみは単独行が多く、大学の寮の後輩と出かけたこともあった。
 北陸の大学で20代前半の特別な時間を過ごしたからであろう、劔岳は特別、思い出深い。小説に登場する地名の一つ一つが鮮やかな、そして、時には色かせた記憶を呼び起こす。八ツ峰、源次郎、別山、剣沢、真砂沢、雷鳥沢、そして、三ノ窓、チンネ。名前を打ち込むだけで懐かしい情景が浮かぶ。
温泉 [2008年08月02日(Sat)]
 1週間ぶりに山に登った。登山道には江戸時代の伊万里の欠片が落ちていた。染付で網目を描いた瓶である。古くから信仰の山なので、何かの祈願のために酒か水でも入れて登っていたのであろう。


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盛夏 [2008年07月26日(Sat)]
 今日は朝から遺跡の盗掘穴の埋め戻しをした後、汗をかいたついでに山に登りに出かけた。10日ぶりの山である。気温は30度半ばだろうと思う。もう気温を聞いてもさほど驚かない。

山歴 [2008年07月09日(Wed)]
 水中考古学を専門の一つとしているせいであろう。海好きと思われている。確かに海は好きである。今は山にいる時間よりも海にいる時間の方が圧倒的に長い。しかし、正直に言うと山の方が好きである。ダイビングを始めてから、まだ13年だが、山歴はずっと長い。1歳の時にはN大学の大学山岳部OBだった親父に連れられて、というより背負われて福智山に登っている。写真は3歳の頃の自分である。

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梅雨明け [2008年07月07日(Mon)]
 久しぶりに晴れ間を見せたので、ちょうどひと月ぶりに山に登ると、その日に梅雨明け宣言が出された。霞や黄砂の季節とは違い、とても空気が澄んでおり、遠くまで見渡せた。



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虚空蔵山(3) [2007年05月03日(Thu)]
 「嬉野の不動山から登るルートとその上部からのみ見つかっているが、よく探せば他のルートでも見つかるかもしれない。」と書いたのも束の間、今日、川棚の木場旧道から登ると登山道に江戸後期の白磁瓶と白磁皿、染付碗の欠片が落ちていた。

虚空蔵山(2) [2007年05月01日(Tue)]
 虚空蔵山の頂上に石祠が祀られていることはすでに書いたが、その他に水盤も奉献されている。江戸後期の文化年間や天保年間に奉献されたものである。また、登山道の途中にも水盤が奉献されている。六角柱の台座が天明3年(1783)に「松浦郡有田皿山」の井手與四太郎によって寄進され、水盤そのものは天保13年(1842)にその與四太郎(好太郎)の孫の古賀曽左衛門によって寄進されている。おそらく天明3年に寄進した水盤が傷んだため改めて寄進したのであろう。水盤が目につくのは地元の民話にあるように虚空蔵山が雨乞いの山であったためであろうか。
 虚空蔵山で見つかる陶片もだいたいこれらの石造物の年代のものである。ちょうど磁器使用が大衆化した時代である。これに信仰登山の大衆化が重なり、今のような陶片が散見される登山道となったのかもしれない。