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紫川の水面(8) [2008年08月08日(Fri)]
 春まで小倉の店で働いていたが、その後、京都、そして、東京へと移り住んだ。東京ではバイトをしては山に登っていた。金を貯めては新宿発の夜行に乗り込み、松本から沢渡、上高地へと向かった。確かに日本は学歴社会である。高校中退のままではバイト探しも限られる。最初のバイト先は保谷駅前の喫茶Sだった。
 喫茶Sでは、二人の高校生と一緒に働いた。三人で養老の滝によく飲みに行った。まだ練馬ものどかな感じだった。ある夜、酔った帰り、駅前でペンキ屋の二人連れと殴り合いのけんかになった。理由は連れの一人の肩が相手に当たっただけ。なぜペンキ屋とわかったかと言えば、相手が自ら「俺はペンキ屋だ!」と叫んでいたから。
 しかし、場所が悪かった。駅前の派出所の前だったので、すぐに警官が飛び出してきた。警官の前でなめとるのか、と言わんばかりの顔で派出所に連れていかれた。全員、指紋もとられた。どこかでお世話になってもすぐに身元が割れることは間違いない。
 その夏、東京であったか千葉であったか、よく覚えていないが、とにかくどこかの高校の校舎で大学入学資格検定を受験した。大検の場合、受験科目は多いが、大学受験に比べると問題自体はそれほど難しくない。体育の実技試験がバスケットボールであったことだけはよく覚えている。高校3年間、あれほど厳しかった体育の授業で得る単位と、単にゴールにシュートを入れるだけの実技試験と単位という点で同じ意味があると思うと、少し馬鹿らしかった。受験生の中には自分のように高校を中退したものも多く、お互い自己紹介する場合にはみんな退学理由を付け加えていた。たいした理由ではなかったように覚えている。考えてみれば、「たいした」理由でやめた連中は大検なんて受けないだろう。一方、受験生の中には最初から高校へ行っていないものもいた。高校に行くかわりに予備校に通い、受験勉強に専念するのだという。さすが東京には変わった奴がいるものだと思った。
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