堀内佳美物語〜ケララ便り(10)〜 [2011年08月22日(Mon)]
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応援隊の加藤です!
堀内佳美ARCをご支援くださっている皆様、活動を支えてくれているボランティアの皆様、いつもありがとうございます! 今回はケララ便り第10弾をお届けいたします。 インド・ケララ州でIISE第1期生として学んだ日々・・・、そしてついに卒業をむかえます。 IISEにも、ともに学んだ仲間にも、今もずっと支えられています。‘ありがとう’ 多様な仲間との苦しくも愛しい日々、かけがえのない仲間。 卒業へのラストシーンをどうぞお楽しみ下さい。 連載 〜ケララ便り(10) 卒業、そして〜 高知県高知市/堀内佳美 こんにちは! みなさん、お元気ですか? 12月22日の朝無事帰国し、今、高知市の実家でこの原稿を書いています。 やっと少しずつ日本に慣れてきたところです。 今回は、文字通り瞬く間に過ぎていった、ケララで過ごした最後の数週間を、今改めて振り返ってみたいと思います。 IISEには、試験という制度が全くありません。それは入学から卒業まで一貫しています。 試験の代わりに、私たち参加者の能力や研修の成果を図るためによく用いられたのがステージ発表、いわゆるプレゼンテーションです。 教室にブースを構えて説明会を行ったり、ラジオドラマ大会をしたり、大企業の会議室を借り、ビデオ会議システムを使ってドイツと同時中継しながらプレゼンをしたり・・。 私たち第1期生最後のプレゼンは、11月7日から11日までの5日間、毎日午後3時間ほどに渡って、多目的ホールとして使っている食堂で行われました。 卒業要件の1つであるプロジェクトの企画書と予算書は11月後半に無事提出できたものの、プレゼンを成功させないことには卒業資格が与えられないので、私たちは2週間ほど前から戦々恐々としていました。 10カ国に16のプロジェクトで、各自に与えられた時間は、プレゼン15分、質疑応答15分の計30分。その中で、外部から招かれた4人の審査員に、これから自分が取り組むプロジェクトをアピールしなければならないのですから、いくら用意をしても周到ということはありません。 湖のほとりで瞑想している人がいるかと思えば、ドアを開けたら、部屋に来ていた友人がこっそり通し稽古をしているのに遭遇してあわてて飛び出してくる、というような状態でした。 発表本番は、連日食堂を埋める聴衆に恵まれ、活気に満ちたものになりました。 舞台の魔法とでもいうのでしょうか、いつも以上に質の高いプレゼンが続出しました。 みんなお互いのプロジェクトは熟知しているはずなのに、ほんの数週間のうちに、硬く青かった実が豊かに熟したかのように香りたつように鮮やか味を増しているように感じたのは私だけではないようでした。 私の発表は2日目だったのですが、マイクに声が入らないというアクシデントはあったものの、自分が信じる移動図書館の可能性、本によって高められる子供たちの無限の可能性を、自分の言葉で精一杯伝えることができ、終わったときにはふらふらでした。 すべての発表が終わったとき、いつも先頭を切ってチャント(応援歌)を指揮するエリックが立ち上がりました。 「IISE, oh say yeay (オー、セイ・イェーイ)!」 「イェーイ!」 屋根も吹き飛ばせとばかり、私たちはこぶしを突き上げて叫びました。 これで終わりなんだ、20人みんな卒業できるんだ、みんなそんな想いで互いを讃え合いました。 20代から50代まで、黒、白、黄色、キリスト教徒もムスリムも無神論者も、涙も怒りも爆笑もない交ぜとなった1年間が終わりを告げようとしていました。 男性軍が、次から次へとキャタリスト(講師)の胴上げを始めたとき、私はたまらなくなってその場から逃げ出しました。いったん緩んだ涙腺が、なかなか閉じてくれなかったからです。 卒業式はその2日後の13日。日曜日の午後、私たち自慢の野外劇場を満席にして、ヤシの木に囲まれて執り行われました。 私たちのために、州の教育委員長が、卒業証書授与のために駆けつけてくださいました。 そればかりか、ケララの王位継承者(今は王政は廃止されていますが)のマハラジャまで、なんと80歳を越えるご高齢にもかかわらず参列してくださいました。 しかし、色とりどりの伝統衣装を身に着け、順に卒業証書を受け取っていったときも、1年で最後の合唱で舞台に立ったときも、なぜか現実感がありませんでした。まるで、毎週金曜日の全体集会や、いくつもあったイベントと同じであるかのように、みんなといることが自然に思われ、2日と経たないうちに世界の端から端までバラバラになってしまうなんて、とても想像できなかったのです。 それが突然生々しさを持って現実味を帯びたのは、私が出発する前の夜、みんなで夕食を食べ始めたときのことでした。 明日からこのメンバーでこのテーブルを囲むことは2度とないのかもしれない、と思った瞬間、大きなヤシの実を丸ごと胸にギューッと押し込まれたような感じで、やっと別れが目の前に形を持って立ち現れました。 人の感情というのは、日常生活の隙間に隠れているものなんですね。 『点字ジャーナル』2010年2月号掲載 Tweet |






