先日、某公立がんセンターに乳がんで紹介状を書いたカンボジア人女性67歳。もともとはインドシナ難民として日本に定住していたが、日本語も上手にならず・・・カンボジアの政治情勢が落ち着いてから帰国し、定住ビザも失効してしまい、ときどき日本に定住している息子を訪ねてやってくる短期滞在者という法的立場だった。そのために日本の公的保険には加入できず、それが理由で某公立がんセンターでは電話で予約の段階で診察を断られた。
これについては、法的問題があると思われる。たしかに入院・手術となると医療費が払えなくなるケースもあるのだろう。そういう医療費の未納を避けるために定めたルールなのだろうが、おかしい。診察して診断を確定するところまでなら医療費の未納は考えにくいはずだ。はじめから「短期滞在で無保険は診ません」というのは乱暴すぎる。
この女性について今日、思わぬところから情報提供書をいただいた。済生会横浜市東部病院の乳腺外科の医師から、診察に来たので、帰国しての医療を勧めたが、日本での治療を強く望んだので受け入れて、できるだけのことはしますという内容だった。とてもうれしく思った。一方、このような善意の病院、善意の医師に医療費の未納など、災いが見舞われないないよう、お返事を書いておいたほうがよいと思った。
2022年11月29日
令和4年11月29日火曜
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2022年11月28日
令和4年11月28日月曜
このところ、土曜日の仕事量が半端なく多い。朝の7時前にクリニックにやってくると、7時半ごろから電話が鳴り始める。8時55分ごろの仕事開始時間(正式には9時15分から)を待てないのか、発熱している人からの電話が多い。中には発熱直後の人が少なからずいて、抗原検査で陰性だからPCR検査をしてほしいと言われるが・・・発熱してからの時間が6時間は経過していなければ、たとえ結果が陰性でも陰性とは言い切れない。10時から11時半ぐらいまでが発熱患者がクリニックの外で待機してくださっているピーク時間帯だ。検査をし、結果を説明し、さらに陽性者については今後の生活指導をしなければならず、そのために看護師が1人、取られてしまうし、外国人の場合はフィリピン人スタッフやその他の該当する言語スタッフがそれに取られてしまう。そのために発熱以外のことで診察を待っている患者の診察が進まないこともある。待ってくださっている患者の顔を見るたびに心苦しい。さらに午後1時になんとか診察を終えると、新型コロナの予防接種の始まり。問診票を確認したりと息を抜く時間がない。26日の土曜日も接種を受けた中にかなりの数の外国人が含まれていて、説明に苦慮していたようだ。政府は新型コロナの五類感染症への変更をできるだけ早く行うという腹づもりらしい。早くしてほしい。26日土曜の外国人患者総数は21人。
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2022年11月26日
令和4年11月26日土曜
川崎市からやってきたフィリピン人男性25歳、少し日本語が話せるフィリピン人の若い女性が付いてきた。症状は咳と鼻水、6日前ぐらいから続いているのだという。発熱はないが、発熱を伴わない人で新型コロナの抗原テストが陽性という人をかなり診ているので、今や、発熱していなくても新型コロナを否定することができない。6日前からとなると抗原テストではもはや反応が出ないかもしれないので、PCR検査を勧めた。が、明らかに不満そうな態度。明日の朝と夕方に外せない仕事があるのだと言う。だが、もしも新型コロナに感染していれば、外せなくても外さなければならなくなってしまう。風邪薬が欲しいと思ってやってきたのか? 結局、川崎市で検査をすると言って、そのまま帰って行った。
こんな事例が出てくるのも、新型コロナウィルス感染症の症状がかなり軽くなってきたからだろう。2年半前に日本に初上陸したころとは明らかに重症度が異なるし、2月の第6波のときとも違う。もともと、コロナウィルスはいわゆる風邪の原因ウィルスなのだから、風邪と見分けがつかなくなってくるのも当然だ。新型コロナウィルス感染症をいつまで2類感染症に据え置くのかということは、このブログでも、たぶん第6波が収まったあたりから書いてきたと思う。昨日の夕方のニュースを見たら、厚労大臣が2類から5類への変更について検討をするように専門家に依頼するとのことだった。ようやくか?とも思ったが、最初の感想は日本政府の腰の重さだ。世界中で新型コロナに対する対応が軽くなっていく中、2類感染症扱いを貫き、世界中の軽い対応で新型コロナウィルス感染症の広がりが確認できないことを十分に確認したうえで、時間に時間をかけて慎重な上にも慎重に・・・ようやく、5類感染症への変更検討を始めるなんて・・・検討を始めたら「ノー」などという結果は今では出まい。医学的な証拠の上に政治がもっと早く大胆に方針を決定していたら、日本の医療も経済も人々もこんなに痛い思いをしなくてもよかったろう。伝統的なやり方だが、こういう手法に激動の瞬間を切り開いて乗り切る力があるとは思えない。
こんな事例が出てくるのも、新型コロナウィルス感染症の症状がかなり軽くなってきたからだろう。2年半前に日本に初上陸したころとは明らかに重症度が異なるし、2月の第6波のときとも違う。もともと、コロナウィルスはいわゆる風邪の原因ウィルスなのだから、風邪と見分けがつかなくなってくるのも当然だ。新型コロナウィルス感染症をいつまで2類感染症に据え置くのかということは、このブログでも、たぶん第6波が収まったあたりから書いてきたと思う。昨日の夕方のニュースを見たら、厚労大臣が2類から5類への変更について検討をするように専門家に依頼するとのことだった。ようやくか?とも思ったが、最初の感想は日本政府の腰の重さだ。世界中で新型コロナに対する対応が軽くなっていく中、2類感染症扱いを貫き、世界中の軽い対応で新型コロナウィルス感染症の広がりが確認できないことを十分に確認したうえで、時間に時間をかけて慎重な上にも慎重に・・・ようやく、5類感染症への変更検討を始めるなんて・・・検討を始めたら「ノー」などという結果は今では出まい。医学的な証拠の上に政治がもっと早く大胆に方針を決定していたら、日本の医療も経済も人々もこんなに痛い思いをしなくてもよかったろう。伝統的なやり方だが、こういう手法に激動の瞬間を切り開いて乗り切る力があるとは思えない。
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2022年11月25日
令和4年11月25日金曜
昨日は発熱者の受診がことのほか多かった。前日が祭日であったためもあるだろう。新型コロナ抗原検査を行った人のうち、23人が陽性だった。ここ1週間2週間がピークだろう。少しショックだったのは・・職場でA型インフルエンザが発生しているとやってきた発熱した女性のケースだった。とりあえず、新型コロナの抗原検査とインフルエンザの抗原検査を同時に行ってみた結果、新型コロナは陰性、インフルエンザのA型が陽性だった。とうとう来たかと思った。かなりだるそうで座り込んでいた。今後は新型コロナが陰性の人にはインフルエンザを検査すべきか検討しなければならないか、あるいは結果待ちの時間を少なくするために同時に両者を検査しなければならないだろう。
インドシナ難民として37年ぐらい前に日本に定住目的でやってきたベトナム人のご夫婦、奥様が80台半ばで数年前から認知症で、ご主人がそれに振り回されている状態だった。奥様の介護保険の意見書も書いたりはしていたのだが、デイケアに出かけて行っても、日本語がわからないため、すぐに行きたくないと言い出し、ご主人がお子さんたちの手を借りてなんとか奥様の面倒を見ていた。ご主人も前立腺肥大や過活動膀胱があり、なにより奥様の面倒を見ることで鬱状態になったこともあった。生活保護を受けていた彼らだが、役所から生活保護打ち切りの連絡があった。理由は先月も役所に連絡をすることなくベトナムに出かけており、それを確認したところ、1月にベトナムに帰国することに決まったそうだ。奥様の認知症がかなり悪化し、言葉のわからない日本にいることに限界を感じたらしい。複雑な気持ちになったが、一番の複雑な気持ちの原因は言葉がわからない本人たちからではなく、日本語が達者な近くに住んでいるはずのお子さんたちから僕のクリニックに帰国に関して何の連絡もないことだ。生活保護は11月で打ち切るそうで、12月の医療費は自費で支払うことになる。ご夫婦合わせて6万円ぐらいになることがわかった。
日本に住む人口の3%近くが外国人だ。多くは労働できる世代の若い人たちだが、日本人と結婚しているフィリピン人や中国人、韓国人、南米からやってきた日系人やインドシナ難民など、70代、80代の人たちもじわりじわり増えてきている。こういう方々が介護を受けるような時代はすでに始まりかけている。認知が始まると、後で覚えた日本語は忘れ、日本に来る前に使っていた言葉しかわからなくなってくる傾向が強い。どのような対策を取るべきか、まずは厚労省等が問題認識を持っているかどうかだろう。
インドシナ難民として37年ぐらい前に日本に定住目的でやってきたベトナム人のご夫婦、奥様が80台半ばで数年前から認知症で、ご主人がそれに振り回されている状態だった。奥様の介護保険の意見書も書いたりはしていたのだが、デイケアに出かけて行っても、日本語がわからないため、すぐに行きたくないと言い出し、ご主人がお子さんたちの手を借りてなんとか奥様の面倒を見ていた。ご主人も前立腺肥大や過活動膀胱があり、なにより奥様の面倒を見ることで鬱状態になったこともあった。生活保護を受けていた彼らだが、役所から生活保護打ち切りの連絡があった。理由は先月も役所に連絡をすることなくベトナムに出かけており、それを確認したところ、1月にベトナムに帰国することに決まったそうだ。奥様の認知症がかなり悪化し、言葉のわからない日本にいることに限界を感じたらしい。複雑な気持ちになったが、一番の複雑な気持ちの原因は言葉がわからない本人たちからではなく、日本語が達者な近くに住んでいるはずのお子さんたちから僕のクリニックに帰国に関して何の連絡もないことだ。生活保護は11月で打ち切るそうで、12月の医療費は自費で支払うことになる。ご夫婦合わせて6万円ぐらいになることがわかった。
日本に住む人口の3%近くが外国人だ。多くは労働できる世代の若い人たちだが、日本人と結婚しているフィリピン人や中国人、韓国人、南米からやってきた日系人やインドシナ難民など、70代、80代の人たちもじわりじわり増えてきている。こういう方々が介護を受けるような時代はすでに始まりかけている。認知が始まると、後で覚えた日本語は忘れ、日本に来る前に使っていた言葉しかわからなくなってくる傾向が強い。どのような対策を取るべきか、まずは厚労省等が問題認識を持っているかどうかだろう。
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2022年11月24日
令和4年11月24日木曜
22日の外国人患者は20人。カンボジア人女性65歳に内視鏡検査を施行。インドシナ難民として36年前に定住目的で入国。あのころは同じインドシナ難民としてくくられるベトナムからの難民がボートヒープルと呼ばれて有名だった。ベトナムの海岸から人目を忍んでブローカーの言葉を信じて小さな小舟に乗り込み、外海へ。南シナ海で外航航路の大きな船に見つけてもらい、その船に乗せてもらって人道的な配慮から一番近いまたは船にとって都合のいい港で降ろしてもらい、その国の受け入れ許可をもらうケースが多かった。大きな船に見つけてもらえなかったり、見つけても無視されたり、天候の悪化で小舟が転覆してしまったりと命がけの逃避行だった。実際にかなりの人たちが亡くなったと聞く。乗っている人たちも南ベトナム時代の兵士や警察、役人とその家族など、北ベトナムと敵対してきた人たちが迫害や虐殺を恐れて、命がけの逃避行もいとわないという人たちだった。当初は船が日本の港に着いて上陸が許可されても、日本政府としての受け入れ態勢が整っておらず、群馬県にあるカリタスジャパンなどの施設に収容されていった。このような人たちが次々と船で日本の港にたどり着くようなことが続き、さらにすでに難民を受け入れていた欧米から「日本の難民支援はお金は出すが、欧米やオーストラリアが行っているような難民の受け入れはしない」と非難される事態になって日本政府も本腰を入れてインドシナ3国からの難民受け入れに取り組むようになった。
具体的にはアジア福祉教育財団の中に難民事業本部を作り、その下に国際救援センター(東京・大井)、大和定住促進センター、姫路定住促進センターの3つの受け入れ機関を作った。たぶん、外交上の問題を考え、政府自身が取り組むスタイルにはしなかったのだろう。アジア福祉教育財団そのものは民間団体だったが、理事長が旧文部省の大臣を務めた人物で、難民事業本部にも法務省、外務省関係者が多数入っていて、政府から助成金、委託事業費が降りていたことから、実質的には日本政府が取り組んでいた事業と言えよう。
以後、とくにカンボジア難民に関してはカンボジア国境の西に接しているタイ国サケオ県のカオイダン難民キャンプに、ラオス難民に関してはラオス国境のメコン河を渡った南に広がるとイサーンと呼ばれる東北タイに設けられたラオス難民キャンプに難民事業本部のチームが出かけて行って、日本に定住する希望者を募り、その希望者に面談を行っていた。その結果、日本を経由して第三国に行くのではなく、日本に定住したいという人たちが日本政府の許可のもとに飛行機でタイのドンムアン空港から成田空港にやってくることになった。日本に到着した彼らは大和定住促進センター、または姫路定住促進センターに入所し、約1年日本語や日本の習慣を学び、就職先が決まった順に退所していった。カンボジアやラオス難民が東京の国際救援センターに入所することはなかった。国際救援センターの入所者はベトナム人だけで、これはベトナム人とカンボジア・ラオス人の民族感情がフランス植民地時代からの歴史的な理由で悪かったからである。
大和定住促進センターに入所した人たちは入所後、一週間ぐらいのうちに近くの公立病院で健康診断を受けることになっていた。その担当が僕だった。平日の午後、使っていない外来診療の部屋でタイの難民キャンプ出国時の健康診断の英文データーを読みながら、カンボジア語やラオス語の通訳を交えて次々と検診を行った。幼い子供から大人まで、皆が不安な目をしていて、10人から20人単位での検診であったのに彼らの待合室が静まり返っていたことが今でも忘れられない。
内視鏡検査を行ったカンボジア人女性は僕が検診を行った一人、彼らとはそんなころからの間柄だ。定期的に通院してくる人もいるし、病気になった時だけ、やってくる人もいる。36年といえば、僕が生きてきた時間の約半分、こんなに長い時間を共有してきたのかと思う。彼らが古い友人のように接してくれるのがうれしい。内視鏡検査の結果は例年通りの難治性逆流性食道炎だった。症状はないようだが、もう一段強く胃酸分泌を抑える薬剤に変更した。
具体的にはアジア福祉教育財団の中に難民事業本部を作り、その下に国際救援センター(東京・大井)、大和定住促進センター、姫路定住促進センターの3つの受け入れ機関を作った。たぶん、外交上の問題を考え、政府自身が取り組むスタイルにはしなかったのだろう。アジア福祉教育財団そのものは民間団体だったが、理事長が旧文部省の大臣を務めた人物で、難民事業本部にも法務省、外務省関係者が多数入っていて、政府から助成金、委託事業費が降りていたことから、実質的には日本政府が取り組んでいた事業と言えよう。
以後、とくにカンボジア難民に関してはカンボジア国境の西に接しているタイ国サケオ県のカオイダン難民キャンプに、ラオス難民に関してはラオス国境のメコン河を渡った南に広がるとイサーンと呼ばれる東北タイに設けられたラオス難民キャンプに難民事業本部のチームが出かけて行って、日本に定住する希望者を募り、その希望者に面談を行っていた。その結果、日本を経由して第三国に行くのではなく、日本に定住したいという人たちが日本政府の許可のもとに飛行機でタイのドンムアン空港から成田空港にやってくることになった。日本に到着した彼らは大和定住促進センター、または姫路定住促進センターに入所し、約1年日本語や日本の習慣を学び、就職先が決まった順に退所していった。カンボジアやラオス難民が東京の国際救援センターに入所することはなかった。国際救援センターの入所者はベトナム人だけで、これはベトナム人とカンボジア・ラオス人の民族感情がフランス植民地時代からの歴史的な理由で悪かったからである。
大和定住促進センターに入所した人たちは入所後、一週間ぐらいのうちに近くの公立病院で健康診断を受けることになっていた。その担当が僕だった。平日の午後、使っていない外来診療の部屋でタイの難民キャンプ出国時の健康診断の英文データーを読みながら、カンボジア語やラオス語の通訳を交えて次々と検診を行った。幼い子供から大人まで、皆が不安な目をしていて、10人から20人単位での検診であったのに彼らの待合室が静まり返っていたことが今でも忘れられない。
内視鏡検査を行ったカンボジア人女性は僕が検診を行った一人、彼らとはそんなころからの間柄だ。定期的に通院してくる人もいるし、病気になった時だけ、やってくる人もいる。36年といえば、僕が生きてきた時間の約半分、こんなに長い時間を共有してきたのかと思う。彼らが古い友人のように接してくれるのがうれしい。内視鏡検査の結果は例年通りの難治性逆流性食道炎だった。症状はないようだが、もう一段強く胃酸分泌を抑える薬剤に変更した。
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2022年11月22日
令和4年11月22日火曜
珍しく、僕の方の外国人患者は一人だけだった。ぺルー人男性19歳、一昨日から発熱しているとのこと。呼吸器系症状もあり。ベルー人の母親が心配そうに付き添ってきた。新型コロナの抗原検査を施行。これで陽性なら母親にも感染してしまっているだろうと心配したが・・・結果は陰性だった。小児科のほうは外国人患者が8名。米軍基地からやってきた米国人男児、ほかにベトナム人、韓国人、フィリピン人とペルー人が3人。
73歳となり、今後、自身のクリニックとどうかかわっていくのか、慎重に考えなければならない時期になってきた。具体的にはクリニックの継承についてだ。いつまでもと言われても頭と健康にも限界がある。最近は医療機関を売却するオーナーも少なくないし、仲介する業者もかなりの数、あるようだ。某銀行筋から一度会ってくれとせがまれて会ったことがあるが、話を聞いていてすべてがお金に結び付いていくような考え方に違和感を覚えた。
一か月に延べ300人以上の外国人が来てくださる。それも通年で。近年は近くの米軍基地の中からの患者も急増している。このクリニックの使命はすでに僕個人のクリニックという範疇を超えており、たぶん地域の外国人患者にはなくてはならない存在になっているのだと実感する。今までの考えを引き継いでくれなければ、通院してくれている外国人患者や外国人コミュニティには申し訳が立たない気がしてならない。いろいろと話し合った結果、来年度から今は大学病院に勤務する神経内科専門医の娘が週1回手伝ってくれることになった。
73歳となり、今後、自身のクリニックとどうかかわっていくのか、慎重に考えなければならない時期になってきた。具体的にはクリニックの継承についてだ。いつまでもと言われても頭と健康にも限界がある。最近は医療機関を売却するオーナーも少なくないし、仲介する業者もかなりの数、あるようだ。某銀行筋から一度会ってくれとせがまれて会ったことがあるが、話を聞いていてすべてがお金に結び付いていくような考え方に違和感を覚えた。
一か月に延べ300人以上の外国人が来てくださる。それも通年で。近年は近くの米軍基地の中からの患者も急増している。このクリニックの使命はすでに僕個人のクリニックという範疇を超えており、たぶん地域の外国人患者にはなくてはならない存在になっているのだと実感する。今までの考えを引き継いでくれなければ、通院してくれている外国人患者や外国人コミュニティには申し訳が立たない気がしてならない。いろいろと話し合った結果、来年度から今は大学病院に勤務する神経内科専門医の娘が週1回手伝ってくれることになった。
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2022年11月21日
令和4年11月21日月曜
19日土曜日は31人の外国人患者が来院。午後1時の診療終了直後から30人分の新型コロナワクチン接種を始めなければならないので、かなり時間に追われた。新型コロナが流行りだした一昨年より、午前中に2件行うことをルーチンにしていた上部消化管内視鏡検査も1件に絞っている。クリニックの外に発熱患者をそうそう長くは待たせられないからだ。どうしても具合が悪い人は午後からでも臨機応変に内視鏡検査を行っている。19日の朝、別々にやってきたベトナム人女性が胃が具合悪いと訴えていると受付から聞いた。ベトナム人スタッフがやってくる日にわざわざ合わせて県内の遠方からもベトナム人がやってくる。二人ともそういう人たちだ。伊勢原市からやってきた48歳の女性はかなりの痛みを訴えており、スタッフを説得してすぐに内視鏡検査を行うことにした。次の厚木市からやってきた50歳の女性も内視鏡検査を行わねばならないとしたら大変なことになる・・・・というか、できないだろうと悲観的になりながら診察を行った。すると整形外科に行って鎮痛剤をもらってから胃が痛くなったと教えてくれた。そこで、鎮痛剤の副作用による胃潰瘍が最も疑わしいと話し、内服薬処方をすることで納得してもらえた。48歳の女性の内視鏡検査では十二指腸潰瘍瘢痕と対側にしもふり状の潰瘍を認めた。やはり、急いで検査を行ってよかった。
土曜日のブログの続きだが、自由診療の部分については医療機関は自由に価格を設定できる。そういう自由はあるのだが、そもそも診療を特定の人に限って適切なる理由なく拒否できるのかどうか、私は明確な答えを持ってはいない。たとえ、合法的であったと仮定しても現実的には公的保険を持たない外国人に限って診ませんというのは外国人差別であるという非難を受けかねない。また都内の某国立病院のように、自費診療については日本人は保険診療の10割、外国人は30割というのも差別と言われかねないだろう。1981年に我が国が加盟した難民の地位に関する条約の第4条に謳われている「福祉については内外平等原則」については3か月以上の中長期に我が国に在留する外国人に対する対応であるというのがわが国政府の立場だ。たしかに自費診療となるのは公的保険を持たない短期の滞在者が多いのは事実だが、彼らがすべてではない。外国人患者が多い医療機関では、彼らによる医療費の未納を恐れてだろう、いろいろなルールを設けているようだが、上記の2例でもわかるように、ある意味、ブラックすれすれのところがある。法律上、問題がないとされても外国人差別という非難は避け難い。これがマスコミに取り上げられたら、これらの病院は大きなトラブルを抱えることになるだろう。わが道を自分たちで考えるのは当然の権利だが、それについては法律的にはどうなのか、倫理上はどうなのかという検証が必要だ。いわば組織としての危機管理だ。そのためには法律や外国人医療の専門家が外部からのアドバイザーとして加わることが必須だと思う。
土曜日のブログの続きだが、自由診療の部分については医療機関は自由に価格を設定できる。そういう自由はあるのだが、そもそも診療を特定の人に限って適切なる理由なく拒否できるのかどうか、私は明確な答えを持ってはいない。たとえ、合法的であったと仮定しても現実的には公的保険を持たない外国人に限って診ませんというのは外国人差別であるという非難を受けかねない。また都内の某国立病院のように、自費診療については日本人は保険診療の10割、外国人は30割というのも差別と言われかねないだろう。1981年に我が国が加盟した難民の地位に関する条約の第4条に謳われている「福祉については内外平等原則」については3か月以上の中長期に我が国に在留する外国人に対する対応であるというのがわが国政府の立場だ。たしかに自費診療となるのは公的保険を持たない短期の滞在者が多いのは事実だが、彼らがすべてではない。外国人患者が多い医療機関では、彼らによる医療費の未納を恐れてだろう、いろいろなルールを設けているようだが、上記の2例でもわかるように、ある意味、ブラックすれすれのところがある。法律上、問題がないとされても外国人差別という非難は避け難い。これがマスコミに取り上げられたら、これらの病院は大きなトラブルを抱えることになるだろう。わが道を自分たちで考えるのは当然の権利だが、それについては法律的にはどうなのか、倫理上はどうなのかという検証が必要だ。いわば組織としての危機管理だ。そのためには法律や外国人医療の専門家が外部からのアドバイザーとして加わることが必須だと思う。
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2022年11月19日
令和4年11月19日土曜
気になることがあった。昨日の午前、カンボジア人女性67歳が来院。息子さんに付き添われてきた。僕が近くの公立病院に外科医として勤務していたとき、市内に開設されていたアジア福祉教育財団難民事業本部傘下のインドシナ難民定住促進センターの嘱託医を務めていて、カンボジア人、ラオス人難民の健康をチェックしていたため、35年を過ぎた今でも、なにかあると僕のところに相談しに来てくれる人たちは多く、とくにカンボジア人が多い。
彼女もそういう一人だ。日本で育って僕らと同じように日本語を使う息子さんが言うには胸にしこりがあるのだという。話からは感染性の粉瘤でもできたのかと思っていたが、胸を見せてもらって驚いた。左の乳房の中心から上部にかけて硬いしこりがあり、ノギスで計測すると9×7.5センチであった。進行性の乳がんであろうとすぐにわかった。息子さんに乳がんにまずまちがいないだろうと話し、近くの公立病院の乳腺外科に診てもらおうとして気がついた。カルテの保険証の内容記載のところが空白となっている。日本の公的保険で診察を受けているわけではないということだ。息子さんに訳を聞いて了解できた。定住目的で日本にやってきたものの、日本語は上手にならず、日本になじめず、幸いなことに戦火が収まった故国カンボジアに帰ったのだった。すでに定住ビザは有効期限が切れていて、今回は親族訪問の短期滞在ビザで来ていて、1月に帰国予定なのだそうだ。
息子さんには自費で日本で乳がん治療をした際の費用について、内容によっては彼の給与からは天文学的数字になりかねないので、カンボジアにすぐに帰っての治療を勧めてみた。今や、プノンペンにも立派な病院がある。すると、なんとか自分で支払うので日本で治療してほしいと言う。こういうときのお金の約束ほど、あてにならないものはないことを知ってはいるが、とりあえず、正式な診断を下し、今後の見通しについて検討をつけるまでの費用なら支払えるだろうと思い、近くの公立病院の乳腺外科に連絡を取った。すると、完全予約制で、今から初診の予約を取ると12月の中旬になると言われた。進行性の悪性腫瘍に対して、一か月も待たせたらどういうことになるのか専門医ならわからぬわけはあるまいと思い、乳がんについてだけはがん専門病院の名称を使用許可されているこの病院を受診してもらうことはあきらめた。次の手段として、県のがん専門病院にすがることにして紹介状を書いた。この病院の予約は患者または患者家族から直接取ってもらうシステムになっているので、息子さんに電話してもらうことにした。すると・・・しばらくして息子さんが戻ってきて、電話してやりとりしていた中で、日本の公的保険には加入していないということを放したら、日本の公的保険に加入していないひとは受診できないと断られたと教えてくれた。たぶん、電話番号からは対応したのは予約専門の部署だと思うので、個人的な見解ではないだろう。
どういういきさつがあって、そのような方針になったのかは知らない。しかし、もし日本の公的保険に加入していない人は診ないというのがこの病院としての方針だとすると差別と言われても仕方がないだろうし、もし万が一、日本の公的保険に加入していない外国人は受け付けないというのなら、人種差別と言われても違うとは言えまい。きっと自由診療で支払いますと言っておいて、未納金を踏み倒した外国人がいたか、あるいはそのようなトラブルを避けたいという方針からなのだろうが、まずは診るというところまではすべきだろう。単に正確な診断をつけるまでなら支払えないような金額になるとは思えない。その後に方針を話し合う時点で、医療費支払いの見通しが立たない、困難と判断した時点で受け入れを拒否し、帰国しての治療を勧めるなら、それはそれで法的な問題はないだろう。外国人受け入れのルール等について各医療機関が各々、話し合って作り上げておくことには意義がある。しかし、その際には外国人医療の専門家や法律の専門家が加わらないと、面倒なことには一切タッチしたくない的な実りのないルールになりかねない。ましてやこのケースのように法律上の問題を抱え込んでしまう可能性がある。以前から僕が主張していることなのだが・・
彼女もそういう一人だ。日本で育って僕らと同じように日本語を使う息子さんが言うには胸にしこりがあるのだという。話からは感染性の粉瘤でもできたのかと思っていたが、胸を見せてもらって驚いた。左の乳房の中心から上部にかけて硬いしこりがあり、ノギスで計測すると9×7.5センチであった。進行性の乳がんであろうとすぐにわかった。息子さんに乳がんにまずまちがいないだろうと話し、近くの公立病院の乳腺外科に診てもらおうとして気がついた。カルテの保険証の内容記載のところが空白となっている。日本の公的保険で診察を受けているわけではないということだ。息子さんに訳を聞いて了解できた。定住目的で日本にやってきたものの、日本語は上手にならず、日本になじめず、幸いなことに戦火が収まった故国カンボジアに帰ったのだった。すでに定住ビザは有効期限が切れていて、今回は親族訪問の短期滞在ビザで来ていて、1月に帰国予定なのだそうだ。
息子さんには自費で日本で乳がん治療をした際の費用について、内容によっては彼の給与からは天文学的数字になりかねないので、カンボジアにすぐに帰っての治療を勧めてみた。今や、プノンペンにも立派な病院がある。すると、なんとか自分で支払うので日本で治療してほしいと言う。こういうときのお金の約束ほど、あてにならないものはないことを知ってはいるが、とりあえず、正式な診断を下し、今後の見通しについて検討をつけるまでの費用なら支払えるだろうと思い、近くの公立病院の乳腺外科に連絡を取った。すると、完全予約制で、今から初診の予約を取ると12月の中旬になると言われた。進行性の悪性腫瘍に対して、一か月も待たせたらどういうことになるのか専門医ならわからぬわけはあるまいと思い、乳がんについてだけはがん専門病院の名称を使用許可されているこの病院を受診してもらうことはあきらめた。次の手段として、県のがん専門病院にすがることにして紹介状を書いた。この病院の予約は患者または患者家族から直接取ってもらうシステムになっているので、息子さんに電話してもらうことにした。すると・・・しばらくして息子さんが戻ってきて、電話してやりとりしていた中で、日本の公的保険には加入していないということを放したら、日本の公的保険に加入していないひとは受診できないと断られたと教えてくれた。たぶん、電話番号からは対応したのは予約専門の部署だと思うので、個人的な見解ではないだろう。
どういういきさつがあって、そのような方針になったのかは知らない。しかし、もし日本の公的保険に加入していない人は診ないというのがこの病院としての方針だとすると差別と言われても仕方がないだろうし、もし万が一、日本の公的保険に加入していない外国人は受け付けないというのなら、人種差別と言われても違うとは言えまい。きっと自由診療で支払いますと言っておいて、未納金を踏み倒した外国人がいたか、あるいはそのようなトラブルを避けたいという方針からなのだろうが、まずは診るというところまではすべきだろう。単に正確な診断をつけるまでなら支払えないような金額になるとは思えない。その後に方針を話し合う時点で、医療費支払いの見通しが立たない、困難と判断した時点で受け入れを拒否し、帰国しての治療を勧めるなら、それはそれで法的な問題はないだろう。外国人受け入れのルール等について各医療機関が各々、話し合って作り上げておくことには意義がある。しかし、その際には外国人医療の専門家や法律の専門家が加わらないと、面倒なことには一切タッチしたくない的な実りのないルールになりかねない。ましてやこのケースのように法律上の問題を抱え込んでしまう可能性がある。以前から僕が主張していることなのだが・・
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2022年11月18日
令和4年11月18日金曜
フィリピン人女性39歳、職場の検診で中性脂肪が高いと指摘され、来院。職場から持参した書類を見たところ、18日までに会社に受診結果を報告するようにとあった。ずいぶん期間が短いなと思って、よくよく読むと・・・・書類を受け取ったのが10月の18日、一か月も余裕があったのに、医療機関に行くのがいやで、放置していた結果、切羽つまった状況に陥ったらしい。中性脂肪の数値は260、今、検査会社から上がってきた結果は342、かなり増加している。聞けばラーメンが好きで必ずスープは全部飲む、チョコレートは大好きという食生活。半年で6キロ、体重が増えたという。まずはこちらを改善するように話すつもりだ。フィリピン人女性54歳、日ごろは高血圧で受診しているが、カルテを見たら、3か月来院していなかった。一昨日から発熱と咳があると来院。新型コロナの抗原検査を行ったところ、陽性だった。風邪と思ったと話すので、昨日は仕事はどうしたの?と尋ねると、「昨日も今日の午前中も仕事をしていた」と話すので、かなりあわてた。すぐに職場に連絡をして陽性であることを報告するようにと説明した。彼女の場合も一人で、スマホで陽性登録することにはかなりのハードルらしく、ひとつひとつ、フィリピンスタッフが教えていた。フィリピン人の多い職場らしく、明日からが心配になる。
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2022年11月17日
令和4年11月17日木曜
不思議なことがあるもので・・・この数日、確かに発熱の患者が増えてきた。クリニックの外に新型コロナの検査のための検体採取に出ていくと、数人の方が待っている。しばらく見なかった光景だ。そして先週まであんなに多かった一般診療の患者の数が信じられないほど少なくなっている。テレビで再び、新型コロナの感染者数が急増していると聞くと、皆さん、医療機関に行くことを控えるのだろうか?
先日、日本人にはありえないぐらいの肥満の米国人男性が訪ねて来て、膝の痛みと腫れ、そして腹部の肉が余ってたれさがっている部分の皮膚に何かができていて、クリームを塗っても治らないと話していた件の結末について・・・米軍基地内に住んでいる人なので日本の公的保険はなし。自費診療としては僕のクリニックが保険点数10割で一番安いはずなので診て差し上げたいのだが二つとも専門外なので、近くの専門医を紹介した。きちんと受診してくれたらしく、結果報告が届いた。整形外科医からは検査中という内容、皮膚科専門医からはカンジダ症との返事だった。これではいわゆる湿疹用のクリームを塗っていてよくなるわけはないし、ステロイドが含まれていたらむしろ、使用することで悪化していたのではないかと推察する。このようなとき、手軽に湿疹と考えて、湿疹用のクリームを処方しなくて本当によかったと思う。
先日、日本人にはありえないぐらいの肥満の米国人男性が訪ねて来て、膝の痛みと腫れ、そして腹部の肉が余ってたれさがっている部分の皮膚に何かができていて、クリームを塗っても治らないと話していた件の結末について・・・米軍基地内に住んでいる人なので日本の公的保険はなし。自費診療としては僕のクリニックが保険点数10割で一番安いはずなので診て差し上げたいのだが二つとも専門外なので、近くの専門医を紹介した。きちんと受診してくれたらしく、結果報告が届いた。整形外科医からは検査中という内容、皮膚科専門医からはカンジダ症との返事だった。これではいわゆる湿疹用のクリームを塗っていてよくなるわけはないし、ステロイドが含まれていたらむしろ、使用することで悪化していたのではないかと推察する。このようなとき、手軽に湿疹と考えて、湿疹用のクリームを処方しなくて本当によかったと思う。
posted by AMDAcenter at 09:07
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