タイ人女性75歳、日本人の40代ぐらいの女性が付き添ってきた。この女性の父親である彼女の日本人のご主人が脳梗塞で倒れ、回復してきてはいるが、以前のように車を運転してはここまで来れないという。住まいは隣のA市だ。A市も広く、かなりここからは遠いことがわかる。どういう病気で通っているのですか?と問われた。この付き添いの女性からみるとタイ人女性は父親の後妻にあたる人か、法律的には単なる同居人なのか、そんなところだ。ある意味、利害が反することにもあり、質問によっては答えにくいところもあるのだが、どうやら険悪な雰囲気はないので高血圧ですと答えた。そこからいろいろと話しをしたが、要するに僕のクリニックまで車で送ってくるのは大変なので、近くの医療機関ではいけませんか?と転院について質問しているのだとわかった。タイ人女性は電車で遠回りしても自分で来れるからそれでいいと話しているとも教えてくれた。タイ人女性がいつもやってくるのは土曜日だ。土曜日はタイ語の通訳スタッフが毎週いて、そのうちの2人はタイ人だ。彼らとタイ語で話をしていくのが楽しみでたまらないのが毎回、よくわかる。精神的な癒しとなっているのだろう。この点についても話したら、付き添ってきた日本人女性はよくわかってくれた。
月曜日に受付においてあるAMDA国際医療情報センターの募金箱の回収に事務局スタッフがやってくるというので、中の金額を確認したら4万4千円を超える金額が入っていた。患者の皆さんの好意に感謝。看護師が言うには、市内でタイレストランを経営しているタイ人女性や北隣のS市に住んでいるインドシナ難民として日本に定住を許可されたカンボジア人女性などがやってくるたびに募金箱にお金を入れてくれているのだとのことだった。もしかしたら彼らにとってはタイ語でタンブンという徳をこの世に積むという上座部仏教の教えの実践なのか・・・・いずれにしてもいつもの彼らの生活はつつましいものなのに・・・感謝の言葉がなかなか見つからない。
2022年06月30日
令和4年6月30日木曜
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2022年06月28日
令和4年6月28日火曜
昨日書いたベトナム人実習生の受け入れ先の担当者が病状など聞き取りにやってきた。そこで彼が直面している父親の問題、婚約者の問題、家族構成の話をしたところ、やはりかなりの部分について知らなかったようだ。このような状況下では彼のメンタルが完全に壊れていて、不眠症ともなっており、11月まで実習を続けるのは困難で帰国させてあげるべきと、担当者も「そんな状況とは知らなかった。先生のおっしゃるように早急に進めます」と話してくれた。実習生や研修生を受け入れるのにあたり、なにか困りごとができたりした場合に相談先があるのか?と尋ねたところ、「業者のところに通訳を兼ねた人がいて、その人には相談できる」と教えてくれた。やはり、実習生や研修生の受け入れについてはひとつの小さな企業が海外からの受け入れに関する法的なことをこさせるわけもなく・・・・間に介在する業者が取り仕切り、そこに言葉のわかる人がいるらしいということがわかった。こういうシステムはよくない。業者が設置した相談窓口なるものに実習や研修で悩みを抱えた外国人が相談するだろうか? とくに実習先や研修先の事業所に対する不満など、場合によっては自らに跳ね返ることもあり、相談しようとは思わないだろう。外国人の研修生、実習生の受け入れ制度を構築する場合、彼らが病気に罹患したり、悩みを抱えたりした場合に相談するところを設置すべきで、なおかつその設置は受け入れ事業所や業者から独立した組織として設置されなくてはならない。担当者に訊ねたところ、実習生が実習途中で脱落すると、その事業所にはなんらかの罰があるとのことだった。罰を回避するために事業所はなんとか期限まで実習を続けさせようとする・・・・今回のこともこういうところに根があったのだと思う。
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2022年06月27日
令和4年6月27日月曜
先日、軽度の発熱と体調の悪さで実習先の方に付き添われてやってきたベトナム人の実習生27歳、新型コロナの抗原検査は陰性だったが、顔つきを見ても不安そうで落ち着かず。寝られないらしいと会社の方が話していた。25日の土曜日はベトナム人スタッフが来てくれる日なので、この日に再度来院してもらい、ベトナム人スタッフに間に入ってもらい、何がどうなっているのかを聞き取りたいと思っていた。前日に電話があり、会社の方は用事があって来られないというので、むしろ好都合かなと考えた。朝10時過ぎに彼は一人でやってきた。明らかにおどおどしていて落ち着かない。訴えるような目をしている。ベトナ人スタッフには診察室に入る前に事情を聞いておいてもらった。すると・・・ベトナムにいる彼の父親が糖尿病がひどくてかなり危ない状態であり、弟は先天的な体の障害があり、父親の面倒を見られず・・彼の婚約者という女性も家を出て、姿をくらましてしまったということ。だから11月の実習の終了を待たずに帰りたいとのことだった。会社には何度もすぐに帰りたいことを伝えたが、11月までのことだからととりあってくれないという。こういう事情がきちんと伝えられなければ、会社としても単なるホームシックと考えるかもしれないし、政府に提出する報告書に一名、途中で帰国とは書けないのだろう。きっとこの会社の評価に影響するにちがいない。帰国をさせなければ彼の精神衛生上もよくないし、なんらかの形で帰国した後、日本が嫌いになるにちがいない。会社の方とは29日の月曜にクリニックにやってきて事情を話し合うことになっているので、強力に帰国の手続きをすぐに取るように話すつもりだ。一時しのぎとは思うが、睡眠導入剤と安定剤を処方して渡した。この一件だけで言い切ることはむずかしいが、実習生を法律に則り、発展途上国から受け入れるのであれば、滞在中に彼らの悩みを相談したり、体調など相談する制度が必要だろう。このあたりがどうなっているのか、27日に会社に訊ねてみるつもりだ。
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2022年06月25日
令和4年6月25日土曜
ちょうど出勤時間に近くで鉄道事故があり、踏切があかずに道路は渋滞。おかげでゆっくりとした時間をすごすことができた。フィリピン人女性42歳、健康診断の結果を持ってやってきた。なにか赤い印がついているところがあるので心配だと・・・見るとγ-GTPが190、尿酸が7.4と高値になっている。ふたつがそろって高いとまずは飲酒を思い浮かべる。お酒は飲むの?と尋ねると、小さくうなずく。お酒が原因だろうから、控えるようにと話した。あとでフィリピン人スタッフが教えてくれたが、フィリピンパブの雇われママをしているとのこと、「まじめに」仕事をしていたら、お酒の量も増えることだろうと妙に納得した。
アジア系の女性42歳、DVで他県から逃げてきているとのこと。保険診療ではなく、自費で診療してほしいと言う。保険診療しても知られたくない人に居場所を知られる心配はないはずなのになぜ?と思い、その他県の役所の福祉課に電話した。すると・・・今は自費で診療してもらい、数か月後に安全になってから加入する新たな保険で、保険診療に切り替えてほしいとのこと。これには少し怒りを感じた。理由はその手続きがややこしいこと、自費診療だという前提で、彼女が心配でしてほしいという検査を全部、行ったのに・・これが保険診療となると病名と合致しない検査は通らなくなる。こういう人の仕事を面倒臭く、ややこしくするようなことを勝手に進めないでほしい。かなり、怒りを感じた。今日は30度を軽く超えるらしい。記録的な速さで梅雨があけるらしい。
アジア系の女性42歳、DVで他県から逃げてきているとのこと。保険診療ではなく、自費で診療してほしいと言う。保険診療しても知られたくない人に居場所を知られる心配はないはずなのになぜ?と思い、その他県の役所の福祉課に電話した。すると・・・今は自費で診療してもらい、数か月後に安全になってから加入する新たな保険で、保険診療に切り替えてほしいとのこと。これには少し怒りを感じた。理由はその手続きがややこしいこと、自費診療だという前提で、彼女が心配でしてほしいという検査を全部、行ったのに・・これが保険診療となると病名と合致しない検査は通らなくなる。こういう人の仕事を面倒臭く、ややこしくするようなことを勝手に進めないでほしい。かなり、怒りを感じた。今日は30度を軽く超えるらしい。記録的な速さで梅雨があけるらしい。
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2022年06月24日
令和4年6月24日金曜
フィリピン人女性54歳、素敵なワンピースで診察室に入ってきた。「ドク、私ね、10キロやせたよ」と。降圧剤もこの1か月、内服していないという。血圧を測定すると130/76。「長い期間、降圧剤を内服せずにこの血圧だから、降圧剤はもう必要ないよ。そのかわり、血圧は自宅で毎日計測してね」と話した。すると満面の笑み。どのようにしてやせたのかと訊ねたら、お米とパンを一切食べていないとのことだった。よく、フィリピン人の人たちは日本の米が甘くておいしい、いくらでも食べられると言う。それでカロリーオーバーになるのだろう。韓国に帰る46歳の女性、夕方来院。明日の朝に飛行機に乗るという。これではPCR検査の結果は間に合わないではないかと思ったが・・彼女は抗原検査を受けるつもりで来ていた。そう、具体的には忘れたが、今月になってから韓国に行く飛行機に搭乗するには48時間以内のPCR検査が陰性、または24時間以内の迅速抗原検査を含む抗原検査が陰性、どちらかの証明書が必要とされるようになったのだ。迅速抗原検査とは定性抗原検査のことなので15分程度で結果が出る。結果は陰性、これを英文用紙に記載して手渡した。搭乗は今日の朝、このように制度が変わって新しい制度の下に海外渡航するとき、一抹の不安。電話がかかってきて「乗れませんでした」と言われるような気がして心配になる。そんなことはないはずなのに・・・
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2022年06月23日
令和4年6月23日木曜
フィリピンに帰国する女性が3人、同一グループではなく、別々にやってきた。いずれも新型コロナのワクチン接種を2回は受けているが、3回目を受けていないので搭乗前のPCR検査と英文書類が必要とされる。早く3回目を受けてほしい。そういえば、外国人ではないが、海外へ出かける日本人男性の話・・・インドに出かけるということで英文書類を作成し、PCR検査を行ったところで、6月3日に新型コロナに感染しましたという話があった。ほぼ3週間しか経過していないため、もしかしたら陽性に出るかもと思い、陽性という判定が出ても搭乗できるように、英文の快復証明書も追加で作成した。そして検査会社にもこの旨を伝え、陽性に出る可能性が高いと話しておいた。翌日の朝、判明した結果は陰性だった。つい、1か月ほど前にも同じようなケースがあり、感染が判明してから2週間をほんの少し過ぎた時点であったのに陰性と判断された。対照的なのは昨年のデルタ株のころで、PCR検査が陰性になるまで出社するなという会社の指示があり、3週目ごろに来院したベトナム人女性、検査を行って陽性、検査を行って陽性ということが5週後まで続き・・とうとうどういういきさつかは知らないが解雇されてしまった。あの頃に比べるとやはりウィルスの力が落ちて来ているのだろうか? もはやどう考えてみても二類感染症では実態と乖離しすぎだろう。
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2022年06月21日
令和4年6月21日火曜
この時期、特定健診を一日3人予定しているのだが・・・20日月曜日は3人ともに外国人だった。タイ人、フィリピン人にベルー人。朝からバラエティに富んでいる。9時半ごろに看護師から「バリバリの英語で電話がかかってきている」と受話器を渡されそうになった。今日は午前中、フィリピン人スタッフが近くの学校に行っている。僕が電話に出ると診療がストップしてしまうし、英語で「午後に電話してください」と話すのもおかしい・・・というか当然だが、用件に話が移っていくだろう。看護師に「午後2時以後に電話してください」だけを返事してもらった。その直後、発熱患者のPCR検査のためにクリニックの外に出たところ、欧米系の男性がクリニックの看板をのぞき込んでなにやら手帳とにらめっこしている。連れと思われる女性が向かいの道路の端に立ってこちらを見ている。クリニックのスタッフのだれも声をかける様子がないので、思わず声をかけた。すると米国の主治医がこの検査だけを受けて結果を見せてほしいと話しているのだが、できますか?と言われた。手元の紙には尿検査のほか、HbA1C、PSA、脂質代謝、末梢血が英語で書かれてあった。中に招き入れ、カルテの作成はスタッフに任せた。当然だが、自由診療となる。カルテがなかなか手元に来ないので、スタッフに訊ねると「在留カードの確認やらしている」という。あわてて止めた。というのも保険診療ではないから本人確認はあまり意味がない。日本の公的保険に加入していれば、自ら保険証を呈示するだろう。さらに米軍属などでそもそも住民基本台帳に乗っておらず、したがって在留カードを持っていないかもしれない。「外国人が初診でやってきたらまずは在留カードで身分確認」というのは保険診療の場合の原則である。必要がないのに在留カードを見せろと言えば、怒り出す人もいるかもしれない。こういうところ、なぜ在留カードを確認しなければならないか?という理由を考えれば原則と原則外が理解できるはずなのに・・・・それが理解できないというのは根本的なところが理解できていないということにほかならない。結果は明日には判明するだろう。
午後からフィリピン人54歳男性の前胸部と腰部のかなり大きな良性腫瘍の摘出術を施行。一日の外国人患者総数は21名。
午後からフィリピン人54歳男性の前胸部と腰部のかなり大きな良性腫瘍の摘出術を施行。一日の外国人患者総数は21名。
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2022年06月20日
令和4年6月20日月曜
18日土曜日の総患者数は46人と少なかった。もともと、今頃は気候も暑くも寒くもなくて患者数が少ない季節なのだが・・・外国人患者数も13人。ペルーに一時帰国する日系人の男性46歳、PCR検査と英文診断書を求めて来院。日本語が上手なお嬢さんに付き添われてやってきた。帰国する理由を聞いたところ・・・ぺルーでの年金の手続きのためだそうで、ほかに大きな金額を銀行で動かさねばならず、だれにも頼めないので帰るということだった。日本の治安の良さをあらためて感じた。彼の兄弟は日本からの出稼ぎを終えて帰国し、空港を出たところで待ち伏せされ、盗られそうになった大切なものを放さなかったがゆえに撃たれて死んだと娘さんが話していた。フィリピン人女性40歳、先日、3年ぶりにフィリピンに戻り、帰ってきた。彼女の田舎はマニラから車で1時間半ぐらいのところだそうで、もはや都会の一部になりつつあり、朝一番の鶏が鳴くなどもうないそうだ。おみやげを持って帰り、家の修理をし、親戚一同とどこかに出かけ・・・楽しかったそうだが、お金の負担も「いるだけかかるよ」で戻ってきたと教えてくれた。高血圧の治療の後で、なにやら包を出してきた、「ドクにおみやげ」と。開けてみるとフィリピンのお菓子、インスタント麺にインスタント焼きそば。うれしかった。
午後1時から新型コロナのワクチン接種施行。予定者は24人だったが、1時の時点で外国人二人が来院しておらず。携帯に電話してもまったくつながらず・・二人分を破棄。胸が痛む。22人の中に川崎市からやってきた訳アリのタイ人が2人いた。驚いたのはありがとうの意味で菓子折りを持ってきてくれたこと。ワイをして渡してくれた。
午後1時から新型コロナのワクチン接種施行。予定者は24人だったが、1時の時点で外国人二人が来院しておらず。携帯に電話してもまったくつながらず・・二人分を破棄。胸が痛む。22人の中に川崎市からやってきた訳アリのタイ人が2人いた。驚いたのはありがとうの意味で菓子折りを持ってきてくれたこと。ワイをして渡してくれた。
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2022年06月18日
令和4年6月18日土曜
フィリピン人女性47歳、職場の検診の胸部レントゲン撮影で右肺の下部に陰影があると指摘されて青い顔して来院。よく見ると「疑い」と書いてある。デジタル撮影し、拡大したら反転してみてもそれらしい影は全くなく・・・心配なしでいいんじゃないと言うと、オウと言ったきり、半泣きになった。よほど怖かったのだろう。彼女に限らないが、職場の検診の結果を持って解説してくれとやってくる人は多い。その解説だけでお金をいただくのも気がひけてしまう。検査会社がもう少し工夫できないものかと思う。カンボジア人男性27歳、帰国のためのPCR検査と英文書類を求めて来院。うん?としばらく考え込んだ。すでにカンボジア入国には搭乗前のPCR検査は必要なくなったはず・・・これを伝えようにも僕の知っているカンボジア語は「ありがとう」とか「痛い?痛くない?」とかその程度。ようやく間に入る人を見つけて話してもらった・・・・すると旅行会社で念のためにもらっておいたほうがよいと言われたとのこと。余計なことを・・と思ったが、本人が不安に思っているようなので、PCR検査を行い、書類を作成した。手渡しは今日の朝。早朝に届いた結果は陰性だった。タイ観光庁が昨夜発表。7月からはタイ渡航の外国人についてもタイランドパスも医療費保障のための医療保険加入も必要となくなると。もちろんワクチン接種を2回以上終えて、接種日から2週間以上を経て、最終接種日より1年以内であることが条件だが・・これでタイ入国時に示す書類はワクチン接種証明書だけになり、日本の接種証明書アプリでもOKとなった。残る海外に出かけることの最大の関門は、帰国時の搭乗72時間以内のPCR検査だけとなった。
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2022年06月17日
令和4年6月17日金曜
前日に書いたナイジェリア人男性47歳、12時に検査会社が持ってきた血液検査の結果、血糖値は460、HbA1Cは12.5と極めて高い数字だった。先日から訴えているふらつき感などは糖尿病のためなのだろう。フィリピン人スタッフから彼の携帯に電話をするように指示、できるだけ早く来てくれるように頼んだところ、午後には行きますという返事だった。そして午後2時過ぎ頃、相鉄線沿線の横浜市内からやってきてくれた。血液検査の結果について話し、このデーターではインシュリン注射による治療になるかもしれないので糖尿病の専門医を受診すべきと続けた。彼も理解してくれたので、僕のクリニックから4分程度の鶴間駅近くの糖尿病専門クリニックにまずお願いしてみることにした。日本語はゆっくり話せばわかる程度と話して受け入れをお願いしたところ、「これから来てもらってもいい」という返事をいただいた。周りの医療機関に感謝。アメリカ人男性54歳、いつもは喘息で隣の部屋の小児科を受診しているが・・・診察を終えたカルテが僕のところに回ってきた。前胸部にしこりがあるので、それを診てほしいとのことだった。本人に診察室に入ってもらい、シャツをめくってもらうとけっこうな大きさのアテロームだった。アテロームですと話しても表情からは全くわかっていないということがありありと見て取れたので・・・「毛穴がゴミでふさがって、皮下に毛穴から出るべき汗が塊となってたまったもので、腫瘍ではないし、怖いものではない。ただし、放置しておくと感染を繰り返すことがあるし、しだいに大きくなる、根本治療は局所麻酔下に袋ごとで摘出する手術だけ」と話したところで、「じゃ、これと同じなんだ」と背中を見せてくれた。すると肩の少し下方に手術創があった。なんだ、ちゃんとわかっているじゃんと安心し、あとはこの小手術を行う日程を本人と看護師とで話し合って決めておくようにと指示した。
きょう6月17日でとうとう、73歳になった。感無量。一昨日、母が住んでいた世田谷の家にいつものように行き、時間があったので押し入れなど整理していたら「小林米幸 臍の緒」という小さな木箱を見つけた。なんだか懐かしいような・・・その横にあるものに驚いた。「梶原八重子臍の緒」と書いた木箱だった。母の臍の緒、母が生まれたのが昭和3年7月28日、1928年だから96年前のものだ。母りょう33歳、父重之助40歳と兵庫県加古郡尾〇村、そして取り上げたらしい産婆さんの名前が書いてあった。女学校時代に戦争になり、小樽に疎開、北海道で結婚、東京に戻り・・小説にもなりかねない波乱万丈の一生を生き抜いた母、その間、母はずっとこの自分の臍の緒を大切に持ってきたのだなと感動した。自分のアイデンティティだったのだろう。
きょう6月17日でとうとう、73歳になった。感無量。一昨日、母が住んでいた世田谷の家にいつものように行き、時間があったので押し入れなど整理していたら「小林米幸 臍の緒」という小さな木箱を見つけた。なんだか懐かしいような・・・その横にあるものに驚いた。「梶原八重子臍の緒」と書いた木箱だった。母の臍の緒、母が生まれたのが昭和3年7月28日、1928年だから96年前のものだ。母りょう33歳、父重之助40歳と兵庫県加古郡尾〇村、そして取り上げたらしい産婆さんの名前が書いてあった。女学校時代に戦争になり、小樽に疎開、北海道で結婚、東京に戻り・・小説にもなりかねない波乱万丈の一生を生き抜いた母、その間、母はずっとこの自分の臍の緒を大切に持ってきたのだなと感動した。自分のアイデンティティだったのだろう。
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