24日昼前から冷たい雨、患者総数は65人、うち外国人患者は10人、15.4%だった。
国籍別では珍しいことにUSA4人、フィリピン3人、韓国、ペルー、カンボジア各1人。
保険別では国保6人、社保3人、自費診療1人。
自費診療の1人は米軍基地内からの受診者、女性53歳、甲状腺機能低下症とうつ病での通院中。ここのところ、甲状腺関係のホルモンの数値も内服で落ち着いている。
中国系カンボジア人女性74歳、難民として日本にやってきてから早や、45年になるという。彼女とはインドシナ難民定住センターの仕事を始めてからの長いつきあい。お孫さんがもう、大学生になり、やさしくしてくれると話していた。彼女と話していると、当時のことを昨日のように思い出す。ポルポト政権下、国を逃れてつかまったら殺される危険を冒してまでも逃げたその過程を聞くと、いつも涙がこぼれた。しかし、国に残る方が命が危ないと考えて。文字通り、決死の覚悟で逃げ出したのだ。後でわかったことはポルポト政権はとくに都市に住んでいる人たちを中心に地方に追いやって、親子を離れ離れにし、朝から晩まで肉体労働を強いたのだ。その一方で何百万人を革命の敵として粛清、拷問して殺した。今でも考えたくもないのだと話してくれた。カンボジアとタイの国境までジャングルを夜に歩き、国境を超えるとタイのサケオ県で、サケオ県でも国境からやや遠いカオイダンという町に一番大きな難民キャンプがあり、そこを口伝を頼りに目指したのだと聞いている。一番大きいのは事実だが、国連高等難民弁務官事務所がタイ政府の許可を得て設置した「正式な」カンボジア難民キャンプで、そこで日本に定住したい家族を募り、難民事業本部のスタッフが現地でインタビューを行って、受け入れの可否を決定。受け入れが決まると、ドンムアン空港までバスで移動、飛行機で成田に到着、成田で難民事業本部のスタッフの出迎えを受け、インドシナ難民大和定住促進センターまでバスでやってきた。そして、一週間以内をめどに受け入れ後の健康診断を行うのだが、それを担当していたのが僕だった。健診の際に驚いたのは彼らの目だ。皆が、異国で怯えたようなうつろな目をしていた。希望のない世界からまったく違う環境の国にやってきて、命は保証されても、将来への希望がまだ見えない不安、そんな目だった。
フィリピン人女性46歳、診療がもうすぐ終わる午後4時30分に来院。いつもは糖尿病や高血圧で通院して来てくれるのだが・・・突然の来院になにがあったのかと思ったが・・・左の下肢が痛いという。見ると、膝の少し下が真っ赤に腫れあがり、熱感が強い。その中心を触ろうとすると、極端に痛がる。たぶんだが・・・毛穴からの蜂窩織炎だろうと判断した。いやがるのを説得して血液検査を施行。白血球数は15000に近く、CRPは4.7で、明らかに細菌感染だ。聞けば、先週の土曜日の朝に赤く、痛くなっていたという。ほぼ、一週間放置していたことになる。時間も遅いためにまずは抗生剤を経口で処方、局所を冷やすように指導、そして25日の土曜日は抗生剤の点滴を行うので朝来てくれるようにと頼んだ。
2025年10月25日
2025年10月25日土曜
posted by AMDA IMIC at 15:44
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