24日金曜日、外国人患者も日本人も少なかった。
フィリピン人5人、タイ人2人、ペルー人、ベトナム人、台湾人各々1人。
台湾人のおばあちゃま、ご主人が亡くなって2〜3年経っただろうか、腰が曲がっていることもあってか、このところ、全身の痛みを訴える。それもがまんできないような痛みというより不定愁訴のような痛み。そろそろ、1人で生活するのはむずかしくなってきていると判断せざるをえない。いずれ、遠方に住んでいるお子さんとも連絡を取らねばいけないだろうと思う。
ペルー人女性32歳、発熱と呼吸器症状で来院。日本語は達者。新型コロナもインフルエンザも陰性だった。仕事に行けると喜んでいた。
フィリピン人5名はいずれも慢性疾患で通院中。昨年10月からやってきている52歳女性がいまだに状態が落ち着かず、再検査した。
ベトナム人のお子さんは予防接種。
23日木曜日の午後、診察が始まってすぐ、うれしいことがあった。受付から面会に来ている人がいると笑顔で告げられた。出ていくと、受付の横に懐かしい顔、日系ペルー人の一家。ベルー人のおじいちゃまを慢性疾患で長く拝見していたことがあった。やってきたのは彼の娘さんと孫である女性。娘さんが日中働いていたので、おじいちゃんが孫娘を自転車に乗せて隣のZ市からよく通院してくれていた。たぶん、彼女が2歳かそれぐらいからだと思う。おじいちゃまは定年の年になり、仕事が見つからずに帰国の道を選んだ。帰国後も一年に一回ぐらい、日本にやってきて僕に会いに来てくれた。娘さんはスペイン語圏の男性と再婚、日本の高校を卒業した娘を連れて帰国していった。その孫娘から上手な日本語のメールをもらったのが10月ごろ、丁寧な日本語でおじいちゃまが脳出血で亡くなった、生前は先生に本当にお世話になりました、おじいちゃんは先生が大好きで・・・と書いてあった。そのうちに日本に行きますとも書いてあった。2週間ほど前に知り合いで患者でもある日系ペルー人の女性から娘さんと孫娘が日本にやってきていると聞いたので、近々来てくれるだろうと想像はしていたが、うれしかった。娘さんも21歳になった孫娘も完璧に日本語を話し、とくに孫娘は高校を卒業するまで日本で過ごしたので日本語を書く力も完璧、ペルーで大学に通っているそうだが、もったいない人材と思った。一枚の写真をいただいた。亡くなったおじいちゃんが日本から帰るときに僕を訪ねて来てくれて診察室で撮った写真だった。大切にしていたものを持ってきてくれたことに感謝。思い出が詰まっているから。
2025年01月25日
2025年1月25日土曜
posted by AMDA IMIC at 09:04
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