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2023年06月06日

令和5年6月6日火曜

開業する前、1986年からインドシナ難民大和定住促進センターの無料嘱託医を兼任するようになってから、1990年の開業を経て、現在まで一貫して思っていることは日本人と差別のない医療を外国人が受けることができる社会の実現である。臨床医として自分のクリニックで実際に日本人と外国人の患者を拝見し、もう少し広い範囲では郡市医師会長として大和市内での外国人が不当な保健医療分野での不利益を被らないように医師会を率いて市役所と交渉したり、さらに日本全国に住んでいる外国人を対象にAMDA国際医療情報センターの無料多言語電話相談で医療情報等を外国人に提供する。そういうことを行って来た。
外国人医療における平等性は何かというと、外国人を差別してはならないということは誰にでも気がつくことだが、もうひとつの肝は日本人から見て外国人を優遇している、日本人を逆差別していると思われるような保健医療もしてはならないということだ。
それなのに最近、自分の人間性が悪くなってしまったのか?と思うような事柄が続く。数日前に南米某国からやってきている日系人とその配偶者が訪れた。彼らは日本在住が長く、もう20年近くになるだろう。僕のクリニックにやってきてからも15年以上になるが、当初から生活保護だった。不思議なのは彼らはともに高血圧以外に大きな問題はないし、僕とも日本語で会話しているほど日本語が上手だ。半年に一回、彼らが居住している市役所から今後の通院の必要性等について文書の問い合わせが届く。医療内容だけでなく、就労がどのように可能なのか、たとえば制限がないとか軽労働だけとか、就労はできないとか記載するのだが・・・まだ50代の彼らが働けない理由はなく、いつも「制限なし」に〇をつけるのだが、この15年、まったく働いていない。今回は親族の病気見舞いのために6月上旬から一時帰国をするというので2か月分の処方を求められた。生活保護を受けている人が海外に出る場合には、現行の法律では当該役所に通告し、帰国までの間の生活保護費の支給はストップされる。診療後、彼らにこの手続きを必ず行うように話したのだが、どうせわからないからいい的な返事をされた。
昨日は夕方になってフィリピン人の父親が同国人の息子を連れてやってきた。この親子がわからないことだらけ。フィリピン人スタッフの話によると、もともとはフィリピン人の母親は日本の在留資格を持ち、父親はオーバーステイだったそうだ。しかし、彼女と結婚したことで父親のビザが得られたとのこと。たぶん、母親は一度、日本人と結婚していたことがあり、定住か永住ビザを持っていたのだろう。そうでなくては話がつながらない。そして母親は死亡、日本で亡くなったのか、フィリピンで亡くなったのかはわからない。フィリピンに帰っていた父親とこどもはフィリピンでは暮らしていけないということで半年ほど前に日本に戻って来たのだが、その時には二人とも在留資格が切れていたという。たぶんなんらかの短期滞在ビザでやってきたのだろう。それから周囲の支援で在留資格を回復したそうだが、父親は全く日本語が話せず、働くことができないため、行政担当者や支援団体等の協議で生活保護を適用したのだそうだ。たしかに生活保護での受診だった。現行では外国人の生活保護適用は定住者、永住者に限られているはずだ。生活ができないということで、どこからかお金を引っ張ってこなければならず、みんなの懐が痛まない税金から引っ張ってくるのが一番簡単だし、だれも痛まないと生活保護の適用を画策するのだろう。しかし、これはヒューマニズムとはちょっとちがうのではないか? 法的にしてはいけないことをしているのだから。このケースはビザの再取得を支援したあたりからすでにおかしい。
困っている人を見るとなんとか助けたいという気持ちになることは理解できる。しかし、見えない明日を待ちわびている人は世界中にいる。人の命に差がないというなら、これらの人々の命も日本で救うのか?といじわるな質問をしたくなる。
posted by AMDA IMIC at 08:51 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)