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2023年03月25日

令和5年3月25日土曜

24日の金曜日、平日だというのに小児科と合わせて30人近い外国人患者。新型コロナの流行が始まる前と今では・・・明らかに今のほうが外国人患者が多い。流行が始まり、皆さんが発熱した患者を診てくれるいわゆる発熱医療機関を探すのに四苦八苦していたころ、外国人の方々は発熱医療機関でさらに外国語対応してくれる医療機関を必死に探していたのだと思う。さらに昨年の初めから海外渡航が徐々に解禁になり、故国に帰る人達はPCR検査と英文証明書を書いてくれるところを探さなければならなくなった。このふたつで僕のクリニックを探してあてた方々は、普段の医療についても僕のクリニックを受診すればいいのだと思ってくださったのだろう。少しでもお役に立てているなら本望だ。
 フィリピン人男性36歳、近くの米軍基地から来院。診察室に入ってくる歩行でわかった。右足の第一指の付け根辺りから甲が発赤、腫れあがっている。痛風発作だろうと瞬間的に思った。そのように説明を始めてコルヒチンの処方をするしか方法がないだろうと言おうとしたら、ガサゴソとかばんをあけて何かを取り出した。以前に同じような痛みがあったときにアメリカでこれを飲みましたと言いながら、薬が入っていた瓶を見せてくれた。その表面にはコルヒチンと英語で書かれてあった。コルヒチンに対する理解はすでにあるはずなので、説明は割と簡単に終わった。コルヒチンを比較的大量に内服すると下痢になることを説明、次回は採血するので空腹で来るように話した。
 別の米軍基地に勤務する米国人男性43歳。体がだるいと先週来院。来院時に8月に日本の医療機関で行った健診では何の異常もなかったと結果を見せてくれた。本日は日本人の奥様にも来ていただいた。健診には入っていなかった甲状腺機能の項目を入れて採血を行ったが・・・甲状腺機能、血糖値、肝機能などだるさと関連するような項目は異常なし。ただし、HDLコレステロールは38、中性脂肪は275と異常値だったので、運動療法や食事療法について話した。耳鼻科で処方されている内服薬を見る限りは副鼻腔炎ではなく、メニエール症候群を疑われている気がした。耳の閉塞感、耳鳴りもするそうで、耳管が開いてしまった状態の場合、体を水平に保ったり、立位や座位でも頭を下げて首より下に下げると耳管が閉まり、症状が一時的に消失するはず。奥様の言う「帰ってくるとすぐに横になる」というのは、横になると症状が消失することをご主人の体が知っているからではないかと推察した。いずれにしてもこれ以上の診察は耳鼻科で受けるのが適切だろうとお話しした。
 カンボジア人で生活保護を受けている女性72歳。難治性逆流性食道炎の診療のあと、せんせい、このくすりは海外でもある?と訊ねてきた。当初、オメプラゾールの20mgを処方してみたが、効果が薄く、某社の新しいプロトンポンプインヒビターを使用したところ、症状はぴたっと止まった。この薬は海外で入手は難しいかもしれないよと話した。すると・・・年取って一人で日本にいることに不安を感じはじめているとのこと、弟さんがカンボジアで医師となっているので弟さんを頼って帰国したいと考え始めているという。無理もない。それにしても難民として日本に受け入れられたころ、彼女は40代だったはず。当日、日本政府は女性ひとりの世帯の受け入れには消極的だった。理由は夜の街に入っていきやすいからと関係者から聞いた記憶がある。すると彼女の場合は来日したときにはだれか家族といっしょだったのか、特殊例だったのか・・・いずれにしても40代前半で国を捨てて危険を冒しながらカンボジア国境のジャングルを超えて、隣接するタイ王国サケオ県のカオイダン難民キャンプに逃れ、幸いにも日本への定住を許可されて来日したのが昭和63年ごろのはず。そして命の危険からは解放されたが苦労に苦労を重ねての日本での生活。73歳になっている今、望郷の想いが強いのだろう。35年近くを経てカンボジアに戻ったとしても、「いずれは誰かの世話にならなければならない」という別の苦労が待っているにちがいない。ポルポトの原始共産革命に翻弄された人がここにもまた一人。人の幸せを産まない革命など、下剋上の単なる権力争いにすぎない。
posted by AMDA IMIC at 09:21 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)