• もっと見る

2022年03月07日

令和4年3月7日月曜

 ウクライナ情勢はますます緊迫してきました。テレビやYouTubeで見る映像がこの21世紀のしかもヨーロッパでの出来事とは到底思えません。私はこの戦争には絶対に反対です。家が砲弾で吹き飛び、病院ではこどもが死に、なにもかも失って逃げ惑う人々、家族が引き裂かれ、親を失ったこどももいることでしょう。この人たちに何の罪があるというのか? たとえ、武力でロシアがウクライナを占拠してもウクライナの人たちの心は占拠できない。そしてウクライナの人たちの心の中に、何十年何百年にわたり、ロシアに対する憎悪を植え付けることでしょう。
この戦争の怖さは憎悪や偏見、差別という20世紀の社会が戦ってきた問題を再び、野に放してしまったことにあると思います。国と個人はちがうはずです。ロシア人でも今回の戦争に反対し、体をはって抗議活動を行って治安当局に拘束されている人たちが多数いる。さらに多くの人たちは治安当局を恐れ、反対の意思表示さえできずに震えていることでしょう。自分の生活を、家族を守るために声を上げられずにいる人たちを非難する権利が誰にあるだろうか? それにも関わらず、世界中でロシア人に対する憎悪やヘイトが沸き上がっています。日本においてもロシア料理店、ロシア人に対するネガティブキャンペーンや心ない電話、書き込みなどが急増し、つい先日は東京のロシア料理店の看板が何者かに壊されました。この店のオーナーはウクライナ人だというのに。店主はウクライナ料理と書くより、ロシア料理と書く方がなじみやすいと思ったのでしょう。このように遠くの戦争は私たちの日本の国の中でも理性でなんとか抑えてきた人間の負の部分をあぶりだしています。人を誹謗中傷し、差別し、憎みあうそんな社会に逆戻りしかねません。もちろん、ウクライナでの惨劇を許してはならない。これが一番ですが、踏み込んで私が他人ごとではなく、この戦争に反対する理由はここにあります。
 33年前、共産革命下の迫害を逃れて日本に受け入れられたカンボジア、ラオスからのインドシナ難民と認定された人たちの医療を担当しました。何年を経過しても彼らはインドシナ難民という表現で報道され、紹介されました。そんな彼らから「先生、私の名前は難民ではありません」と言われたことが何回もあります。難民という言葉は助けられる側の人であっても持っている人間としての尊厳を深く傷つけることに初めて気がつきました。今、またウクライナ難民として紹介される人たちが数百万人単位で発生していることに深い悲しみを覚えます。
posted by AMDA IMIC at 08:59 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)