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2021年04月30日

令和3年4月30日金曜

27日に帰国のためにPCR検査を受けたカメルーン人男性45歳、翌28日の朝8時半に受け取りにくるという約束だった。水曜である28日は休診日だが、昨年から休診日も日曜もPCR検査の結果をいち早く、本人に伝えるためにクリニックに来ている。朝の8時には結果が判明していて、検査会社から知らせが来るので、そのつもりでいたら、再検査に入っているという連絡があった。そうこうしているうちに8時半になり、クリニックの職員通用のドアの呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。やむをえず、フェイスシールドと手袋。マスクで外に出て、彼に再検査に入っている旨を伝えた。今日中にわかる?と明らかに動揺している。8時半には再度、状況を確認して連絡をしますと話していた検査会社の人から、そのときに電話があった。検査結果は陰性。それを伝えると、彼は微笑みながら、安堵でその場にすわりこんでしまった。そして英文書類を手渡して終了。よかった。28日はその後、相模原市内の大学の看護学部に外国人医療の講義に出かけた。講義の依頼を受けた時には非常勤講師の依頼はなかったのだが、いつのまにかそういうことになり、まあいいかと流れのままにさせていただいた。思い出すのは数年前まで母校の看護医療学部とその大学院で長く、非常勤講師として外国人医療、国際看護の講義をさせていただいていたことだ。僕に講義を依頼してきた医学部の後輩が定年退職となったと同時に必修となっていた僕の講義もなくなった。あのときは70歳になるときで、年齢制限で非常勤講師も退職しなければならないものなのだと思い込んでいたが・・・・今回のことでどうやら「必修となっていたのに、呼ぶ側の教授が定年になったらいっしょに不要となる程度」の興味しか大学側になかったのだということがわかった。こちらも長く講義をさせていただいた近畿大学医学部では担当の教授が定年になっても、次の教授からも引き続き、講義を依頼されて日帰りで大阪まで出かけていた。いやいや、もしかしたら母校の看護学部には外国人医療、国際看護を講義する優秀な人材がそろったのかもしれない。いつのまにか自分を過大評価しては皆さんに笑われる。
posted by AMDAcenter at 08:59 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)