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2022年07月07日

令和4年7月7日木曜

5日の外国人患者は12名。ペルー人男性56歳、先週末の採血の結果、中性脂肪が400を超えていて、「お呼び出し」した。検査を行って、結果があまりよくないときには次の診察日を待つと時間がかかる場合、すぐに電話で本人に電話して「お呼び出し」する。これは外国人に対しても日本人に対しても変わらない僕の診療スタイルだ。彼には看護師が電話したので、細かい点まで話しておらず・・・汗かきながらやってきた。どうしたらこんなデーターになるのか?とやさしく詰問したら・・・御飯がおいしくて体重が4キロも増えたとのこと。厳重に注意したが、彼のいつもの行動から、体重を落とすことができるとは思えず、やむをえないので、ベザブィブラート200mgを夕食後一回一錠開始した。ベルー人女性80歳、たぶん僕のベルー人患者の中では一番日本語がわからない人だと思う。血圧が高く、ほかに体調もよくなく、いろいろな医療機関に行くも、主に言葉の関係から長続きせず・・・本人もつらそうだったのを覚えている。4年ほど前に頼まれて市内某所で、外国人市民向けに講演を行ったときに、僕のことを知って、それから通院が始まった。引っ込み思案な性格も重なり、うまく自分を表現できずにいらいらしていたが、気がつけば、それなりに互いのコミュニケーションが取れるようになってきた。今は「せんせい、おはよう」とにこにこ、来てくれる。夕方、発熱でやってきた22歳の女性、発熱後、まだ4時間ということなので、抗原検査どころか、PCR検査もまだタイミング的に早いかと思ったが・・・かなりの発熱と咽頭痛という新型コロナオミクロン株の症状にぴったりだったので抗原検査を行ってみることにした。本人には「抗原検査なら15分でわかる、PCRなら明日になるし、ベストはあした検査することだが、すると結果は木曜日になってしまう。陰性なら検査代はいただかないから一度、抗原検査をさせてほしい」と話した。納得してくれたので、鼻咽頭から検体採取して検査、看護師からも早すぎませんかあと言われたが・・・机に向かってカルテに記載をしていたら・・「先生、もう出ましたよ」と大きな看護師の声が聞こえた。振り返って確認すると、コントロールよりかなり濃い線が患者を表すTの上に出ている。やったあと心の中でガッツポーズしながら、再度、カルテをよく見たら、どこかで聞いた名前。日系のベルー人のお嬢さんで、小さい頃はよく母親に連れられてやってきた。外に出て、結果を教えてあげながら、「〇〇ちゃん?大きくなったねえ」と言うと「はい、そうです」と答えてくれた。今は障害者施設の教員として働いているそうだ。ベルー人の子弟、とくに女性は顔だちもスタイルもエキゾチックで新宿や渋谷、六本木の繁華街を歩いているときにモデルにスカウトされたりとそういう派手な世界に惹かれて行ってしまう人も少なくない。彼女が堅実な道を選んで生きていることを知り、うれしかった。
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2022年07月05日

令和4年7月5日火曜

先週の前半までは一週間に一人程度の新型コロナ陽性者しかおらず・・・いよいよこ
のまま終息かと思ったが・・・全国傾向に合わせるように先週末あたりから急に陽性
者が増えてきた。この傾向は過去のデルタ株のときもオミクロンのときも同じだ。先
週金曜に3人の陽性者が出現、土曜日は一人だったが、昨日の月曜は抗原検査での陽
性者が4人、そして本日、午前7時過ぎに検査会社から届いた前日月曜のPCR検査の結
果は陽性者が4人だった。一日で8人もの感染者を確認したことになる。そして8人の
感染者のうち、5人が予防接種適用外のお子さんだった。中に外国人のお子さんが1
人。また成人3人の陽性者のうちの一人は海外在住の日本人女性で、帰国するための
PCR検査で陽性だった。朝早く、本人に電話したが、やはり無症状、電話の先の声は
はじめはえっという感じ、そのうちに行動計画を変更しなければならない重大事項が
発生したと気がついたようだ。いつも思うのだが・・・海外渡航が目的で・・・とい
うことはもちろん無症状でPCR検査を行ったところ、陽性と判定されたのはこの2年2
か月の期間、彼女で18人目になる。いつも海外渡航のためにPCR検査を受ける方は院
内で待ってもらっているが、クリニックの外で待ってもらうべきなのだろうか? し
かし、無症状の人に順番が来るまで外で待たせるというのも気がひけてしまう。ほか
の医療機関ではどうしているのか、知りたい。相手が無症状であってもPCR検査や抗
原検査を行う際には僕自身はマスクにフェイスシールドは使用している。
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2022年07月04日

令和4年7月4日月曜

タイ人男性51歳、高血圧の治療のために来院。いつものように血圧を測定、異常はなく、「いつものように」内服薬を処方した。帰り際に「11月になったら3年ぶりに一時帰国する」と嬉しそうに話してくれた。先生も一度来てよ、と僕がタイに出かけていることを知っていて誘ってくれる。ラオスとの国境、ノンカーイ県のタイ・ラオス友好橋のほんとにたもとに家があるそうだ。一度、行ってみたい。きれいなところとは聞いているし、橋を渡って日帰りでラオスにも行けるし、橋を渡ったところがラオスの首都ビエンチャンだ。長くフランスの植民地だったところで、ビエンチャンの入り口に凱旋門とよく似た門がある。
もともと、ナコンラチャシマー、通称コラートと呼ばれる地域から東北タイは始まる。バンコクから東北タイに続く鉄路はナコンラチャシマーから二つに分岐する。北北東に走る線はコンケーン県、ウドンタニ県を貫いてメコン河のほとり、ノンカーイが終点だ。コンケーンには東北タイ唯一の国立大学コンケーン大学がある。ノンカーイの先だが、今は、友好橋に鉄道が走り、ビエンチャンまで行けるそうだが、国境を超えることもあり、バンコクから直行する列車はなかったと記憶している。この鉄路に沿った地域はタイの中でもラオ族の人たちが中心の地域で、ラオス語と極めて似ているイサーン語が話されているという。
ナコンラチャシマーから東へ分岐する鉄路はほぼ真東に、ブリラム、スリン、シーサケット、ウボンラチャタニ―が終点だ。途中、ブリラムからはカンボジアとの国境である低い山脈の北側の平野に走るスーパーハイウェイと呼ばれる国道24号線の北側をほぼ平行に走っている。このあたりはタイシルクの生産地だ。3回ほど行ったことがあるが、村によってはカンボジア語と思われる言葉が飛び交っていて、何を話しているのか、わからない。途中下車してスリンから車を雇い、オスマックというタイ側の国境の市場まで行ったことがある。市場の売り子のおばちゃんたちは国境を越えてきたカンボジア人だと聞いた。スリン県を中心に文字がない言葉を持っている少数民族スワイ族が住んでいる。スリン県の売り物はタイシルクと象で、タイの象使いの多くはこのスワイ族の男性だと言われている。クリニックのカンボジア人患者に録音したスワイ語を聞いてもらったところ、似た単語も多いがちがうと言われた。このカンボジア人患者に言われたもう一言が忘れられない。「先生、あそこの山岳地帯まで行ったの? 私たち、あそこの崖を上ってタイ領内に逃げ込もうとしたのよ」と。ポルポト政権の虐殺を逃れるために多くの知識層、都会の人たちがジャングルを夜中に歩いて逃げようとしたのだ。そういえばずいぶん前だが、カンボジア人がたくさん逃げてきたとあのあたりのタイ人が話していた。同じカンボジア語を話すので、逃げて潜伏しやすかったのだろう。スワイ族は国境の反対側、カンボジア領内にも数十万人が住んでいる。カンボジアでは古くから中国系の人との血の交配が続き、実はスワイ族こそ本当の原カンボジア人だと僕の患者が教えてくれたが、真実なのかどうかはわからない。ウボンラチャタニ―まで行くと、カンボジア国境からは少し遠ざかり、さらに東にはラオス南部の最大都市であるパクセーがある。ラオ族文化の色濃いところだ。
そしてこのあたり、タイとラオスの国境を流れていたメコン河は国境を離れてラオス領内を流れ、カンボジア領内に入り、メコンデルタと呼ばれるベトナム南部ホーチミンシティ、旧サイゴンまで流れていく。この大河は長い歴史の証人でもある。現在、東北タイ、とくにウドンタニ県やサコンナコン、ナコンパノム、ムクダハンにはたくさんのベトナム系タイ人が暮らしている。彼らはベトナムがフランスと独立戦争を戦った時、戦火を逃れてメコン河を川上へ川上へと逃げ、タイ領内に上陸した人たちの子孫で、僕の患者にも数人いる。
 僕がタイに惹かれる一つが音楽だ。タイの音楽には大きく4つのジャンルがある。一つはルーククルン、別名都会の歌と呼ばれる洗練された流行歌、もう一つはルークトゥンと呼ばれる田舎の歌と呼ばれる流行歌で、どちらも味わいがあり、タイ語で歌われる。私が好きなのは男性なら元は牛飼いという経歴を持つモンシットカムソイとか、女性なら伝説のブンプアン・ドアイチャン、彼女は楽譜が読めなかったことでタイの美空ひばりと言われた人だ。プンは中部タイのカンペンペットの出身だ。なぜか、このカンペンペットを出身地とする有名歌手は多く、男性歌手の大御所、ワイポット・ペットスパンもその一人で、ブンを見出したのはワイポットだと言われている。プンの彼女の歌の歌詞の一つに「夕暮れになったらカラスがねぐらに帰るように私も田舎に帰りたい」という一節があるそうだ。80年代ごろから巨大都市バンコクに田舎から労働者が集まり始めた。決して豊かではない彼らがプンの歌を聞いて田舎を想い、涙したという。今でもプンの命日にたくさんの歌手が集まってプンの追悼公演を行っている。低音でしゃがれ声でタイ人ならだれでも知っているシリポン・アムアイポンだ。個人的には彼女の悲しさを乗せた歌に心惹かれる。シリポンもしばらく見かけないと思っていたが、つい先日、故ラマ9世を偲んで8人の女性歌手が喪服で歌う中に彼女の姿と歌声があった。
次はモーラムと呼ばれるラオ族の歌で、広くタイで受け入れられている。ラムシンというドラムを加えた早いリズムの歌であると、まるで昔のディスコになる。歌詞はラオス語というかイサーン語である。東北タイのラオ族の音楽を広くタイに認知させた伝説の女性歌手がいる。ハニー・シーイサーンだ。「シー」はSri、仏教用語で光、そして「イサーン」は出身地の東北タイのことだ。一度だけ、昔の彼女のコンサートのビデオを見たことがあるが、白いドレスで片手にマイクを持ち、両手でイサーンの踊りを踊りながら歌う。引き込まれるように妖艶だった。彼女は事故で若くして亡くなった。東北タイ南部のウボンラチャタニ―でコンサートを行い、次のコンサートの地に向かっていたが、忘れものに気がついて引き返す途中、シーサケット付近で乗っていたピックアップトラックが横転して亡くなったのだ。彼女が亡くなったニュースはまたたく間にバンコクに伝わった。当時、バンコクのタクシー運転手はイサーン出身の男性が多く、都会で貧しい生活を送っていた。運転しながらハニーの歌を聞いてふるさとを想っていたという。ハニーが亡くなったことを知った運転手たちはタクシーの警笛を鳴らして悲しみを表したそうだ。今はなんといってもチンタラ―が知名度も実力もNo1だろう。タイの国民的歌手、トンチャイ・バードとも共演している。
最後がカントゥルムというカンボジア系の人たちの音楽で、東北タイ南部のカンボジア系のタイ人が多い地域の音楽だ。今はタイのテレビでも見聞きすることができるほど、認知度が上がっている。歌詞はカンボジア語で、タイ語で歌われる場合もあるようだ。もちろんカンボジア国内は皆、このカントゥルムだ。ずいぶん前に東京のカンボジア大使館に招かれたときにカントゥルムの話をしたら、当時の大使がたいそう、驚いていらっしゃった。モーラムよりもバンコクでの認知度は低いが、あのココナッツに一本の弦を立てて引くソウの音が独特。心惹かれる。この楽器はケンやビーンという独特の楽器が奏でるモーラムにはない。モーラムとカントゥルムの踊り・・というかイサーンやラオスの踊りとカンボジアの踊りは、別に決まった形で踊る必要はないのだが、見ていると違う。両方とも好きだし、へたくそながらに踊れるのだが、僕はカンボジアから難民としてやってきた人たちに教わったカンボジアの踊り方のほうが好きだ。ずいぶん前だが、カンボジアから難民として日本に受け入れられた人たちの集会に招かれて行くと、必ず最後はこの踊りになる。その中でも僕が見ていて好きだったのは、エビ採りの踊り。川でエビを採るときの踊りということだが、男女が横一列3人か4人になり、それが縦に10列とか15列とか、川からエビをすくいあげるようなポーズで円を描きながら踊る。その時の彼らの顔は見たことがないほど生き生きとしていた。
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2022年07月02日

令和4年7月2日土曜

もう7月、一年の半分が過ぎたかと思うと、不思議な気がする。ベルー人女性53歳、いつもの高血圧の治療に来院。血圧を測定し、処方を書きながら雑談をしていると・・・4キロやせたと言い出した。そういえば血圧がいつも降圧剤を内服しても高めなのに、今日は120台に収まっている。どうして?と尋ねると・・・一人息子が兵庫県に働きに行ってしまい、「ひとりぽっち」で料理をする気持ちにもなれないし、食欲もないとのことだった。日本人にもこういう人はいるかもしれないが、南米の人たちは人一倍、いや二倍も三倍も家族とのつながりを大切にして地球の反対側で働いているのかもしれない。言葉に詰まってしまった。ここのところ、新型コロナの新規感染者数が高止まりで、大都会や観光地を中心に増加傾向にある。僕のクリニックではこの一週間、感染者が1人だけだった。今は東京などの大都会や観光地であっても、いずれ1週間から2週間後には大和あたりでも増加に転じるのか?と思っていたら・・・昨日、3人の抗原検査を行い、3人とも陽性だった。いずれも軽症だが、一人は3日前から発熱していたのに、会社に出社し、会社から医療機関に行くように言われ、会社の車を運転してやってきた。もう少し、注意深い行動をしてくれないと感染が広がることになってしまう。極端に暑い日が続いているが、熱中症に罹患すると呼吸器系症状以外は新型コロナの症状と似ているので見分けがつかなくなり、混乱するだろう。
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2022年07月01日

令和4年7月1日金曜

スリランカ人女性31歳、橋本病で通院していたが・・このところ、数か月に一回しかやってこない。今回は2週間前に血液検査を施行した結果を聞きにやってきた。甲状腺関係のデーターには異常がないことを伝えた。しかし・・前回、4か月前に2か月分処方したので、とっくに内服してしまっているはず。薬はこのままでいいですか?と訊ねるので、もうなくなっているはずだよねと言うと、あるという返事。かなり驚いてなぜ?と聞き返したところ、スリランカの家族から送ってもらっているのだとのことだった。量が多くなると税関は通らないのかもしれないが、少なければ通ってしまうのだろう。とりあえず、内服していてくれていることにほっとした。インドネシア人女性42歳、県内から来院。左の上腕に避妊用の低用量プロゲステロンが入ったチューブを埋め込んであり、これを摘出してほしいと数週間前に電話があり、小手術を予約していた方だ。3本入っていると言うのだが、二本しか確認できず。とりあえず、局所麻酔下に二本は摘出。ここにあるという三本目の場所を教えてもらい、そこを指でなぞり確認するも、チューブらしいものを触れない。たしかに切開創の瘢痕のように固い部分はある。かなり困っていたら、「インドネシアに先生がかなりいい加減で、そういえば三本じゃないかもしれない」との話が彼女からあり、ほっとして手術を終えた。終了後、どのようにして僕のクリニックを探したのかと訊ねたら、日本人のご主人がインターネットでいろいろと検索して僕のブログにたどり着いたと教えてくれた。10年以上、このチューブの摘出について、小外科で済むこと、大きな危険はないことなど機会があるごとに話してきたし、本にも雑誌にも書いてきたが、先生方の理解度はあまり変わらないみたいでがっかりしている。
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2022年06月30日

令和4年6月30日木曜

タイ人女性75歳、日本人の40代ぐらいの女性が付き添ってきた。この女性の父親である彼女の日本人のご主人が脳梗塞で倒れ、回復してきてはいるが、以前のように車を運転してはここまで来れないという。住まいは隣のA市だ。A市も広く、かなりここからは遠いことがわかる。どういう病気で通っているのですか?と問われた。この付き添いの女性からみるとタイ人女性は父親の後妻にあたる人か、法律的には単なる同居人なのか、そんなところだ。ある意味、利害が反することにもあり、質問によっては答えにくいところもあるのだが、どうやら険悪な雰囲気はないので高血圧ですと答えた。そこからいろいろと話しをしたが、要するに僕のクリニックまで車で送ってくるのは大変なので、近くの医療機関ではいけませんか?と転院について質問しているのだとわかった。タイ人女性は電車で遠回りしても自分で来れるからそれでいいと話しているとも教えてくれた。タイ人女性がいつもやってくるのは土曜日だ。土曜日はタイ語の通訳スタッフが毎週いて、そのうちの2人はタイ人だ。彼らとタイ語で話をしていくのが楽しみでたまらないのが毎回、よくわかる。精神的な癒しとなっているのだろう。この点についても話したら、付き添ってきた日本人女性はよくわかってくれた。
 月曜日に受付においてあるAMDA国際医療情報センターの募金箱の回収に事務局スタッフがやってくるというので、中の金額を確認したら4万4千円を超える金額が入っていた。患者の皆さんの好意に感謝。看護師が言うには、市内でタイレストランを経営しているタイ人女性や北隣のS市に住んでいるインドシナ難民として日本に定住を許可されたカンボジア人女性などがやってくるたびに募金箱にお金を入れてくれているのだとのことだった。もしかしたら彼らにとってはタイ語でタンブンという徳をこの世に積むという上座部仏教の教えの実践なのか・・・・いずれにしてもいつもの彼らの生活はつつましいものなのに・・・感謝の言葉がなかなか見つからない。
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2022年06月28日

令和4年6月28日火曜

昨日書いたベトナム人実習生の受け入れ先の担当者が病状など聞き取りにやってきた。そこで彼が直面している父親の問題、婚約者の問題、家族構成の話をしたところ、やはりかなりの部分について知らなかったようだ。このような状況下では彼のメンタルが完全に壊れていて、不眠症ともなっており、11月まで実習を続けるのは困難で帰国させてあげるべきと、担当者も「そんな状況とは知らなかった。先生のおっしゃるように早急に進めます」と話してくれた。実習生や研修生を受け入れるのにあたり、なにか困りごとができたりした場合に相談先があるのか?と尋ねたところ、「業者のところに通訳を兼ねた人がいて、その人には相談できる」と教えてくれた。やはり、実習生や研修生の受け入れについてはひとつの小さな企業が海外からの受け入れに関する法的なことをこさせるわけもなく・・・・間に介在する業者が取り仕切り、そこに言葉のわかる人がいるらしいということがわかった。こういうシステムはよくない。業者が設置した相談窓口なるものに実習や研修で悩みを抱えた外国人が相談するだろうか? とくに実習先や研修先の事業所に対する不満など、場合によっては自らに跳ね返ることもあり、相談しようとは思わないだろう。外国人の研修生、実習生の受け入れ制度を構築する場合、彼らが病気に罹患したり、悩みを抱えたりした場合に相談するところを設置すべきで、なおかつその設置は受け入れ事業所や業者から独立した組織として設置されなくてはならない。担当者に訊ねたところ、実習生が実習途中で脱落すると、その事業所にはなんらかの罰があるとのことだった。罰を回避するために事業所はなんとか期限まで実習を続けさせようとする・・・・今回のこともこういうところに根があったのだと思う。
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2022年06月27日

令和4年6月27日月曜

先日、軽度の発熱と体調の悪さで実習先の方に付き添われてやってきたベトナム人の実習生27歳、新型コロナの抗原検査は陰性だったが、顔つきを見ても不安そうで落ち着かず。寝られないらしいと会社の方が話していた。25日の土曜日はベトナム人スタッフが来てくれる日なので、この日に再度来院してもらい、ベトナム人スタッフに間に入ってもらい、何がどうなっているのかを聞き取りたいと思っていた。前日に電話があり、会社の方は用事があって来られないというので、むしろ好都合かなと考えた。朝10時過ぎに彼は一人でやってきた。明らかにおどおどしていて落ち着かない。訴えるような目をしている。ベトナ人スタッフには診察室に入る前に事情を聞いておいてもらった。すると・・・ベトナムにいる彼の父親が糖尿病がひどくてかなり危ない状態であり、弟は先天的な体の障害があり、父親の面倒を見られず・・彼の婚約者という女性も家を出て、姿をくらましてしまったということ。だから11月の実習の終了を待たずに帰りたいとのことだった。会社には何度もすぐに帰りたいことを伝えたが、11月までのことだからととりあってくれないという。こういう事情がきちんと伝えられなければ、会社としても単なるホームシックと考えるかもしれないし、政府に提出する報告書に一名、途中で帰国とは書けないのだろう。きっとこの会社の評価に影響するにちがいない。帰国をさせなければ彼の精神衛生上もよくないし、なんらかの形で帰国した後、日本が嫌いになるにちがいない。会社の方とは29日の月曜にクリニックにやってきて事情を話し合うことになっているので、強力に帰国の手続きをすぐに取るように話すつもりだ。一時しのぎとは思うが、睡眠導入剤と安定剤を処方して渡した。この一件だけで言い切ることはむずかしいが、実習生を法律に則り、発展途上国から受け入れるのであれば、滞在中に彼らの悩みを相談したり、体調など相談する制度が必要だろう。このあたりがどうなっているのか、27日に会社に訊ねてみるつもりだ。
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2022年06月25日

令和4年6月25日土曜

ちょうど出勤時間に近くで鉄道事故があり、踏切があかずに道路は渋滞。おかげでゆっくりとした時間をすごすことができた。フィリピン人女性42歳、健康診断の結果を持ってやってきた。なにか赤い印がついているところがあるので心配だと・・・見るとγ-GTPが190、尿酸が7.4と高値になっている。ふたつがそろって高いとまずは飲酒を思い浮かべる。お酒は飲むの?と尋ねると、小さくうなずく。お酒が原因だろうから、控えるようにと話した。あとでフィリピン人スタッフが教えてくれたが、フィリピンパブの雇われママをしているとのこと、「まじめに」仕事をしていたら、お酒の量も増えることだろうと妙に納得した。
アジア系の女性42歳、DVで他県から逃げてきているとのこと。保険診療ではなく、自費で診療してほしいと言う。保険診療しても知られたくない人に居場所を知られる心配はないはずなのになぜ?と思い、その他県の役所の福祉課に電話した。すると・・・今は自費で診療してもらい、数か月後に安全になってから加入する新たな保険で、保険診療に切り替えてほしいとのこと。これには少し怒りを感じた。理由はその手続きがややこしいこと、自費診療だという前提で、彼女が心配でしてほしいという検査を全部、行ったのに・・これが保険診療となると病名と合致しない検査は通らなくなる。こういう人の仕事を面倒臭く、ややこしくするようなことを勝手に進めないでほしい。かなり、怒りを感じた。今日は30度を軽く超えるらしい。記録的な速さで梅雨があけるらしい。
posted by AMDAcenter at 15:24 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2022年06月24日

令和4年6月24日金曜

フィリピン人女性54歳、素敵なワンピースで診察室に入ってきた。「ドク、私ね、10キロやせたよ」と。降圧剤もこの1か月、内服していないという。血圧を測定すると130/76。「長い期間、降圧剤を内服せずにこの血圧だから、降圧剤はもう必要ないよ。そのかわり、血圧は自宅で毎日計測してね」と話した。すると満面の笑み。どのようにしてやせたのかと訊ねたら、お米とパンを一切食べていないとのことだった。よく、フィリピン人の人たちは日本の米が甘くておいしい、いくらでも食べられると言う。それでカロリーオーバーになるのだろう。韓国に帰る46歳の女性、夕方来院。明日の朝に飛行機に乗るという。これではPCR検査の結果は間に合わないではないかと思ったが・・彼女は抗原検査を受けるつもりで来ていた。そう、具体的には忘れたが、今月になってから韓国に行く飛行機に搭乗するには48時間以内のPCR検査が陰性、または24時間以内の迅速抗原検査を含む抗原検査が陰性、どちらかの証明書が必要とされるようになったのだ。迅速抗原検査とは定性抗原検査のことなので15分程度で結果が出る。結果は陰性、これを英文用紙に記載して手渡した。搭乗は今日の朝、このように制度が変わって新しい制度の下に海外渡航するとき、一抹の不安。電話がかかってきて「乗れませんでした」と言われるような気がして心配になる。そんなことはないはずなのに・・・
posted by AMDAcenter at 07:55 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)