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2024年04月26日

2024年4月26日金曜

 生まれた国によって人の命や生活は大きく変わる。医療だけ考えてみたら、日本に生まれた我々は幸せと感じなければならないだろう。逆に医療が充実していないあるいは金銭的に簡単に良い医療にアクセスできない国に生まれてしまったらどうだろう?この程度の格差や不平等は世の中にたくさんあるよ、そんなにセンチメンタルにならなくても・・・という声もあるだろう・・・自分の努力だけではあがらえない、打ち克てない不平等なんて日本の中にもたくさんある。
僕自身、小学校から青春時代に至るまで、この自分ではいかんともしがたい壁の前に、だれに想いを吐露してよいのか、わからない長いときを過ごしていた。だれに話すこともできない。話しても彼らには理解できないだろうと確信していた。平凡な環境は平凡ではない。平凡は心静かな穏やかな環境なのだ。
大学に入学したときにはうれしかった。世のため、人のために医師として将来働けることがうれしいのではなく、あがらえなかった巨大な力にもしかして勝てるのかと思えたのが何よりもうれしかった。それでも心を塞ぐようなときは続いた。幼いころ育った環境の中で、あまりまっすぐとは言えない性格の人間になり、小学校や中学校では人の評価ばかりを気にするようになっていた。周囲からはきっといやな奴と思われていたことだろう。当時を振り返ると、自分がいやになるとともに、自分が不憫でならない。
大学でも学問にあまり興味は持てず、なんとか自分という人間を軌道修正しようともがく毎日だった。やりたいこともなく、居場所を求めてふらふらしていたとき、気がつけば生物学の水野教授の部屋に出入りしていた。人生を達観したような方だった。何にも僕自身のことを訊ねてくださらないところが心地よかった。専門課程に進むことが決まったとき、専門課程に病理学の細田という弟子がいるからいつか訪ねるようにと言われた。専門課程に進んでたしか、半年ほどしてから病理学教室に先生を訪ねてみた。ああ、君のことは水野先生から聞いているよ。もしかしたら細田君より大物かもしれないよと話していたよと笑っていらっしゃった。細田先生にはすごみがあった。何事にも妥協はせず、ただただまっすぐな方で敬虔なクリスチャンだった。たまたま、自宅が近いこともあり、いつしか日曜でも自宅を訪れるようになっていた。なにをしてよいかわからないときや心に隙間風が吹いた時、例のあがらえない巨大な力にめげそうになったとき、自宅を訪ねた。先生は極めて多忙な方で、忙しい時には忙しいからと1時間ぐらいで追い返された。それでもいつもおっしゃってくださった。「小林、君は我が家の長男だ、いつ来てもいいぞ」と。立派なお子さんが3人もいるのに、いつも繰り返し、おっしゃってくださった。この言葉が僕を救ってくれた。
先生はその後、病理学教室の主任教授そして医学部長を務め、すでに他界された。先生に救われなかったら、自分はどうなっていただろうと真剣に考えるときがある。先生にはほど遠く及ばない凡人ではあるが、その後の僕の仕事はすべてこのときの気持ちが底に流れている。
外国人医療の話を書くつもりだったのに、今日は別の方向に行ってしまった。
posted by AMDA IMIC at 08:47 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)
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