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2023年09月30日

令和5年9月30日土曜

 明日から10月、今年がもう2か月しか残っていない。来年度からは僕も後期高齢者。こういう単語は誰が作成したものかは知らないが、勝手に75歳に線を引き、高齢者として最後の一周にかかったような表現はいかがかと思う。老人という言葉が失礼だと「高齢者」と言い換えてみても、世間の対応が同じなら、それは単なる言葉の遊びとなってしまう。
 気がついてみたら、長く通院してきてくれている外国人患者も僕といっしょに年齢を重ねている。40歳で開業した、あの時以来、ずっと通院してくれているカンボジア人、ベトナム人の人たちも80代に達し、中には今後のことを考え、帰国を考えている人たちもいる。体が動かなくなるような年齢になると、急に将来が不安になるらしい。それはこの僕でも実感する。配偶者や子供たちがいっしょにいて、日本で家族が増え、子供たちが日本社会に溶け込んで、もはや「日本人」として働いている、そういう家族に見守られている高齢者はまだ幸せだ。高齢の夫婦だけとか配偶者もこどももいないという人たちは、言葉の問題などを考えて帰国を選択肢として考え始めるようだ。地域の中でも一人だけ、孤立していると感じているにちがいない。そのような人たちは僕のクリニックにやってくるとひとしきり、おしゃべりをし、ワクチン接種など情報を仕入れていく。帰国したい彼らを阻んでいるのは難民として故国を捨てて、逃げ出してきたことだ。いや、共産革命当時、国に残ると命が危ないという立場の人たちとその家族が、生きるための唯一の選択肢が祖国を逃れ、難民と呼ばれる立場に身をゆだねることであったのだ。ラオス難民は命の危険を冒して、夜間にタイ国境のメコン河を泳いでわたったと聞いた。体に自転車のタイヤのチューブを巻きつけて、浮き輪代わりにしたそうだ。それでも朝になると多数の溺死体が浮かんでいたという。カンボジア難民はタイ国境へ向かって逃げたそうだ。陸路で逃げた人たちは盗賊や共産軍兵士に見つからぬよう、昼はジャングルに身を潜め、夜に行動し、国境を越え、サケオ県のカオイダン難民キャンプを目指したという。それでも盗賊に見つかって財産を取られた上に男は全員殺され、女性はレイプされたなどいうことはよく聞いた。日本にたどり着いた後もジャングルでのおみやげとしてマラリアの発熱に震えるカンボジア人を何人も見た。小舟で海に乗りだし、沿岸をタイ国境に向けて進んだ人たちを海賊が待っていたという。ごく一部だが、中国系の人たちは同じ中国系の人たちが住むベトナムのショロン地区に逃げ込んだという。逃げ込んだ人の話では、どこかの家の軒先で寝て、朝起きると、目の前に誰が置いたのか、食事があったという。彼らもすぐにベトナム共産政府により逮捕され、厳しく取り調べられたそうだ。
 こんな想いをした故国に向けて帰るというのはよほどの決断だろう。1年ほど前にクリニックの患者だった80代後半のベトナム人夫婦が帰国していった。最大の理由は奥様の認知症であった。言葉や習慣の関係から日本の介護施設には行きたくない、通いたくないという奥様の希望が強かった。彼らの例だけではなく、今後は外国人高齢者をいかに日本の介護システムの中に受け入れるかが課題だろう。最近、介護施設で働く外国人が多い。インドネシア人やフィリピン人、ベトナム人やタイ人にベルー人の人たちだ。共産政権下のベトナムで育ち、共産教育を受けたベトナム人の若者の目には、国を逃げ出して難民となったベトナム人高齢者はどのように映っているのだろう。
posted by AMDA IMIC at 08:14 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)
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