カンボジア人女性71歳、上記の男性の奥さん。彼女はよくわからない。数年に一回、一か月ぐらいのうちに何回かやってきて、ぱたっと来なくなってしまう。胸が苦しいという。これは心電図と胸部写真の検査をしないと納得してくれないのかな?と思っていたら、食べた後に食事が入っていかない気がすると言う。しかも、住まいの近くの病院で上部消化管内視鏡検査を受けて「異常なし」と言われたのだそうだ。内服治療もしているという。彼女がやってくるときはおよそいつも胸の苦しさを訴える。彼女がインドシナ難民として大和定住促進センターに入所して以来の「つきあい」なので、すでに35年を経過している。そんな関係なので、彼女のプライバシィもよく知っている。いつも具合が悪い時は仕事や家族などなにかがうまくいっていないときで、検査はするのだが、最終的には自律神経失調症と考え、内服治療で来なくなる。今回もそれに近いのだろうと推察した。
ベトナム人男性65歳。ベトナムからインドシナ難民として来日したのが37年前。もともと、思い込みが激しいタイプで意見をする人とはけんかになってしまうと聞いたことがある。一人暮らしの上に昨年の夏に脳梗塞を患い、左の片麻痺が残っている。リハビリを勧める病院とも大喧嘩して、なんとかしてほしいと僕のクリニックにやってきた。ベトナム人のスタッフを通訳として間に入れても、僕が彼女の口を通じてお願いすることはことごとく拒否。しまいには彼女をののしり始めてしまう。きょうはどうしたのか?と思ったが、寝る薬だけが欲しいと言い出した。以前に比較して椅子からたちあがるときのようすもいい。片麻痺は残ってはいるが、軽くなっている。それが彼の気持ちを軽くしているのだろう。あの体でひとりでこの日本で生きていくのは大変だろう。しかし、ベトナムの政府からみたら、自分たちを裏切って国を捨てた人ということになる。帰国しても、何の保護もないと聞いたことがある。やはり、ここでなんとか受け取れてあげるしかないと考えている。
カンボジア人女性64歳、正確には中国系カンボジア人。彼女もまたインドシナ難民として日本に定住目的で受け入れられた一人だ。インドシナ難民とはラオス、カンボジア、ベトナムの元フランス領インドシナ3国から共産革命を嫌って脱出、世界に散らばった難民の総称だが、実は3か国ではない。国籍こそ3か国だが、正確には4つなのだ。その4つ目は中国人だ。祖先が中国から南下してベトナムに住むようになったか、カンボジアに住むようになったか、ラオスに住むようになったかということだ。とくにカンボジア、ラオスの中国系の人はタイやミャンマーの中国系の人と同じ潮州人で、会話は潮州語。中国人としてのアイデンティティや仲間意識が非常に強い。ベトナムにいた中国系の人は潮州人と広東人だ。祖先がカンボジアに居ついて、生活を始めたがゆえに彼女に降りかかった「難民」という災難。それでも彼女のように日本で安定した生活を築きはじめている人もいる。
インドシナ難民出身の人たちは僕を信頼してくれている。その気持ちにどう応えていったらよいのか、老齢になった身で考える。
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