CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2021年12月23日

令和3年12月23日木曜

なんと来週の土曜日はもう元旦である。考えてみたら1月16日で開業して32年になる。あっというまの32年だ。理想だけを追いかけると往々にして夢がかなわなくなることがある。理想や夢と、それを経営しながら実現していくということは別だからだ。理想や夢のためにジャンプしても、ジャンプした先に飛びつくものがなければ奈落の底に落ちかねない。僕自身は親戚中に医師もいないし、もちろん開業医もいない。日本人も外国人も同じ地域住民として受け入れるという理想を掲げてそれを体現すべく、思い立ってから開業の日を迎えるまでわずか半年だった。本当にそのようなニーズがあるのか、背中を押してくれたのはインドシナ難民として定住目的で日本政府が受け入れ、大和定住促進センターに入所していたカンボジア人、ラオス人の存在だった。今でも病や相談事で僕を訪れてくれる。そしてもうひとつ、背中を押してくれたのは当時、勤務していた大和市立病院の僕の診ていた日本人の患者だった。文字通り、地域の人たちだ。彼らのインドシナ難民に対する態度等を見ていて、外国人を同じ地域住民として診る医療機関を作ったとき、日本人の地域住民にも受け入れられるだろうと確信したのだ。そしてなにより、外国人からも日本人からも信頼され、病のときは僕のところに行こうと思ってもらえるように医師としての精進をした。どんなに高邁な理想を掲げようと、医師としての力量が低ければ、信頼もされないし、通院もしてくれない、すなわち医療機関として経営が成り立たなくなる。こうした結果が今につながっていると思う。開業した翌年にAMDA国際医療情報センターを設立した。その時も同じような思考過程で考えた。ニーズは多く、しかし、目に見えて外国人の役にたつものでなければ長い組織運営はできないはず。とくに僕はいつもクリニックで働いているので、AMDA国際医療情報センターについては陣頭指揮は執るものの、現場で指揮を執ることはできない。本当にたくさんの人たち、とくに通訳相談員として事務局職員として働いてくれる人たちの神輿に載せてもらってここまでやってきた。ときどき、AMDA国際医療情報センターと入れてインターネットで検索を行う。名前が妙なところで使われていたり、誤った記載がないかどうか、チェックするためだ。これは僕のクリニックについても同じ。そして市町村や都道府県自治体のホームページに単なる一NPOであるセンターの名前が掲載されているのを見たとき、こらえ切れないうれしさを感じるとともに、この31年をいっしょに歩んできた同志であるセンターの歴代の通訳相談員や事務局職員への感謝の気持ちでいっぱいになる。
posted by AMDAcenter at 08:58 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック