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2021年10月21日

令和3年10月21日木曜

ようやく時短要請等が解除されるそうだ。人が来なければ商売にはならないお店などで働く人にとっては朗報だ。生きていくには収入が必要なのだからこのような方向には賛成だ。一方でテレビ等報道ではリバウンドを警戒する専門家の声などが紹介されている。僕の高齢患者の中にはこの1年で「家から出ない」「買い物と診察以外には外に出ない」という人が複数いて、中には明らかに認知が進んだり、鬱っぽくなっている人がいる。東京ではオリンピックの後に一日の感染者数が10万を超えるだろうとなどとテレビで語っていた「専門家」は自分の発言をどう総括するのだろう? 長く耐え忍ぶ時が過ぎつつあることはすなおに喜ぶべきで、過剰に警戒だけを呼び掛けると鬱っぽくなっている人が回復するのは難しいだろう。人は希望がなければ生きてはいけない。それはそうと、日本というところは摩訶不思議なところだと思う。安心はまだ早いという例として、ワクチン接種が早い時期に始まったイギリスなどで最近、リバウンドの傾向にあると報道している。ゆえに専門家の中にも段階的に現在の戒厳令的措置を解除すべきという声が高い。にもかかわらず、政府や首都圏の都道府県で今月末で時短要請は終わり、すべて解除というのは極端すぎないだろうか? リバウンドを防ぎたい、だから解除を段階的に進めたい・・・これは先にも述べた如く、社会経済を回すうえでも必要なことだ。妥当と思う。そうならばコロナ感染に関して安全な人たちから進めていくべきではないか。すなわちワクチン接種を2回受けた人たちから深夜営業などで受け入れていくことが必要だろう。ワクチン接種を受けたか受けないかで差別をすると人権違反になると声高に言う人たちがいるが、これについては差別とは言えないと思う。その理由はワクチンを受けていない人であっても深夜以外の通常の時間に受け入れているからだ。サービスを受ける機会が完全に奪われてしまえば差別と呼べるだろう。しかし、ワクチン接種を受けていなくてもサービスが受けられないというわけではない。これも差別と呼んでしまうなら、海外に行くときに2回目のワクチン接種から2週間を経過し、ワクチンパスポートを所持している人は入国後の隔離がない、それがない人は入国後の隔離があるという世界のひな型になりつつある、こういう体制も差別ということになる。ではこれに関してはなぜ文句を言わないのだろうか?それは世界的にはそれが標準と理解しているからではないのか。パンデミックから社会を救うためには安全な人から社会活動を開始していくというのはごく自然、当たり前のことだろう。国内に限定した事案については「人権に反する」、「平等に反する」という一部の人たちの批判を恐れて、だれもかれもひっくるめて時短営業解除の対象としてしまったというのが今回の政府や首都圏の都道府県自治体の対応だと僕は思う。「段階的に解除」とは相いれない。このような対応ののちに再び時短要請を考えなければならないほどの明らかなリバウンドが発生したら、それは政治の責任だろう。
posted by AMDAcenter at 10:28 | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)
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