その日はすぐ雨が降ってきましたので、翌日の全校ジョギングの時に鯉のぼりを掲げました。
心から、子供達と共に復興を祈りたいと思います。
そして、復興のために出来ることは何かを探したいと思います。十小榊
「第2回児童朝会 復興こいのぼり
平成25年4月30日
先日、2年1組の授業を見ていたら、外を大きな声を出している二人の1年生がいました。私が「今、授業中だから早く帰りなさい。」と言うと、アッという顔をして、「すみません。」と言いました。立派でした。人間だから失敗したり、相手に迷惑をかけたりすることがあります。人間はその後が大切で、この1年生達はそんな場合のお手本です。
さて、今朝のお話です。5月5日は「子どもの日」ですが、もともとは 「端午(たんご)の節句 (せっく)」といわれ、男の子の祭りの日でした。3月3日の女の子の「桃の節句」とならんで、古くから行われている年中行事のひとつです。
5月5日を端午の節句にしたのは、中国の漢(かん)の時代のころからで、そのならわしが、日本にはいってきました。
こいのぼりは、昔の日本の人ががたてたのが始まりで、これも江戸時代からのならわしです。滝をのぼる本物のコイのように、男の子が元気に大きくなることを願って、家族のものがたてます。 また「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください」と天の神様に伝え、守っていただく意味があるとも伝えられています。
ここに大きな鯉のぼりを持ってきました。
お母さんの鯉のぼり「緋鯉(ひごい・赤)」何か体に書いていますよ。この鯉のぼりは今から2年前の3月11日、東日本大震災が起こったとき、ラオスやベトナムの子供達が福島県飯舘村(放射能がひどくて今も避難しています。)に励ましのメッセージを書いてくれました。中には今の総理大臣になる前の安倍晋三さんが書いた「夢を忘れずに」というメッセージがあります。第十小学校のラオス親善大使のもあります。
この鯉のぼりを「復興鯉のぼり」と名付け、校長先生は武蔵村山の市役所の先生や八小の校長先生と飯舘村に届けました。その時、飯舘村の小学生がこんな挨拶をしました。
《僕たちの飯舘村は、豊かな自然があり、おいしい食べ物があり、心優しい人でいっぱいの自慢できる村です。その大好きな村から離れて生活しなくてはならなくなってしまったこと、友だちが次々に転校していることがとても悲しいです。
きょうは、みなさんが、僕たちのために遠くから応援をしに来てくださいました。みなさんは、ラオスの子どもたちに対し素晴らしい取り組みをしていると聞きました。僕たちもラオスの友だちのことをいろいろ学習し始めたところです。まだまだ知らないことが多いですが、みなさんから教えていただきながら、いま僕たちができることから進めていきたいと思います。
僕たちもきょう応援していただいたことを心に刻み、これからもどんなことにも負けないで、力いっぱい頑張っていきたいと思います。》
その後、「真鯉(まごい・黒)」の鯉のぼりに友情の印として感謝の気持ちを込めてメッセージを書いて、ラオス・ベトナムに送り返しました。「お返し鯉のぼり」と名付けました。
この度、その鯉のぼりがワンコインスクールで頑張っている十小に揃いました。今日と明日とあさって、十小の空に泳がせて、ラオス、ベトナム、福島を始め日本の子供達がみんな幸福になることを願いませんか。鯉のぼりは日本の良い伝統です。
お話を終わります。」
Posted by aefa at 20:09 | 活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)