ベトナム中部高原の教育風景〜その2[2008年11月28日(Fri)]
<信頼を勝ち取るまでの道のりは遠かった:Dak Lak との出会い>
2006年6月29日:Dak Lak省副知事と会談、中部高原との出会いは、この日始まった。
それは6月29日。朝早くホーチミンを発って、ブーメトー空港に到着したのが11時。副知事に挨拶・会談したが、役人との挨拶などは必要形式に過ぎない。
しかし、夜は違った。昼間見た2つの村には同行しなかった人たちが、知らないうちに隣のテーブルに集まって、酒を飲んでいる。挨拶もせず、知らん顔をして隣のテーブルで飲んでいる。「あれはどうした人たちだ?」とトラン氏に聞くと、「公安だ」との返事が返ってきた。私が気付かないように、遠くから監視の目を光らせていたようだ。
少数民族の現実をずばりと腹に収めることが出来た瞬間であり、その複雑さ、醜さを垣間見た瞬間でもあった。そして政治の現実をしっかりと理解しないといけないと反省もした。
さて、夕食会はにぎやかに催された。「壷酒」がでて、一人ひとり順番にストローで飲む。不思議なことに水を壷に注ぐと、酒になっている。水面が2−3cm低下するまでストローで吸い飲むのである。これが美味しい酒ではあるが、相当に強い。
ベトナム人の宴の供・・・壷酒
3日前、南部のヴィンロン省の村で飲みすぎて「夜のホタル鑑賞の川舟」から泥川に転落した苦い経験があるので、慎重に飲んだ。それでも、無理強いされてしこたま飲んだ。一緒に行った佐川さんは「自分は下戸」と宣言して、しっかりと拒絶。お陰で二人分を強制されたようだが、何とか乗り切った。
ベトナムでは何処でもそうであるが、飲み出したらトコトン付き合わないと「仲間」として認めてくれない。辛いところである。
<信頼勝ち取りのための3年間・・KonTum との出会い>
2006年6月30日:前夜の酒が残って頭が少々痛い。7時には朝食を済ませて、車に乗り込む。途中で1つの村を視察しながら、KonTumに向う。車から見ていると、徐々に土地の色が変ってくるのが分る。つまり肥沃な土地色から、赤土の痩せた土地色に変わっていくのだ。生えている植物も心なしか様子が変って見えてくる。KonTum省は中部高原5省のうち最北部にある省で、一番貧しい省であるそうだ。
車窓から
4時間後到着。早速、役所に参上。AEFAの意図を説明、と言っても、もっぱらトラン氏が説明するのみで、通訳がいないから中身は想像するだけ。後で何を話したのかトラン氏から聞くのみ。
そして夜は、再びあの「苦行の宴会」壷酒の洗礼である。ハノイから合流したPACOMのキエン長官も加わり、にぎやかなものになった。と言うことは、厳しい無理強いの酒という訳だ。飲んだ。もうやけくそだ。明日は日本に帰れるのだから、無理しても何とかなる。
途中で、翌朝に訪問予定の学校の担当官も加わってきて、一緒に学校作ろうと肩をすり寄せてくる。彼にしてみれば、支援金が出ることになれば大きな実績になると言う訳である。必死でもある。私も言葉が通じないまま、訳も分らず「オーケー、オーケー」と連発していた。・・こうして私は知らないうちに学校建設をコミットしていた訳だ。
翌日朝は、プレイクー空港に向う途中2つの学校を視察した。実に荒れ果てた学校であった。
中部高原の貧しさ、教育の遅れを実感した視察になった。
こうして、私の中部高原との出会いの3日間は終った。
Posted by aefa at 10:58 | 理事長の独り言 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)