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AEFAアジア教育友好協会はインドシナ半島での学校建設とその建設した学校と日本の学校の国際交流を推進しています。このブログはアジアの子ども、日本の子どもたちのために活動しているAEFAスタッフの活動日誌です。

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桂さんのラオス紀行 その2[2011年04月22日(Fri)]

その1はこちらから笑い





早朝のビエンチャン・ワッタイ空港

二日目 (一月三十日)
 朝五時に目を覚ます。特に目覚ましなんかはかけてなかったけれど、とてもはっきりと画面が切り替わるみたいに目を覚ます。ホテルのロビーへの集合までに時間がないので、さっさと服を着替えてベッドを気持ち整えてやるべきことをしっかりやり終えてからエレベーターに向かう。目覚めた直後のあのなんとなく気だるい感じがしないせいかよく眠ったという気はまるでしないけれど、完全に疲れは取れて今日一日なんとかなりそうな気分になってくる。

 
ロビーに下りて斉藤さんとなんとなく話をしていると、二台のバンが忠実な犬のようにホテルの前へすっと停車する。物資と、朝食が食べられないためホテルの人に作ってもらったランチパックを車の荷台に運び込んでからビエンチャンの国際空港へ向かう。今日はラオスの首都のビエンチャンから辺境のパクセーへ赴き、そこで一応川上家のラオスでのメインイベントである(僕はそう聞かされてきた)ピアラー小学校の開校式が行われる予定である。でもそこまで考えていても、なぜかまだ全然実感が沸いてこない。単にこの国にきて日が浅いだけのことなのかもしれないけど、ここまで何の感慨も沸いてこないとだんだん不安になってくる。人と自分がリアルと非リアルの世界に二分されてしまったような錯覚に陥ってしまう。救いのない話だけど、そればっかりは僕にやはりどうしようもなかった。

 空港に到着する。荷物を空港側に預けてからパスポートを渡しての検査が行われる。軍服を着た無表情な中年の男性が無口にパスポートをチェックして、面白くなさそうに返してくれる。どうやらラオスでも僕のパスポートには特に彼らの興味を引くようなものは見つからなかったようだった(まあそんなもの見つかってもらっても困るんだけど)。それから、荷物検査もないよりはましな程度に行われた。どこに置いてある機械も見るからに旧型のもので、近くには検査員が二人いる。一人はモニターをじいっと見つめていて、もう一人はその横に、特に何をするでもなくほうっておかれた木材のように立っている。おいおいこんなんで大丈夫なのかよと思ったのだけど、確かにビエンチャンからパクセーへのエアポートでテロを起こすのはハイリスクローリターンに過ぎるのかもしれないし、(パクセーの税関ではもはやほとんどフリー・パスだった)なんにせよそれなら結構なことである。ありがたく平和であることの恩恵にあずかる。

 空港の待合室で飛行機を待っている間に、朝ホテルの人に作ってもらったランチパックを食べる。ランチパックにはオレンジとバナナ、それからチーズパンが入っている。チーズパンはパサパサの食パンに独特の味のチーズが挟まっているといった哀しげな代物で、食べているととにかく喉が渇いてしかたなかった。でもビエンチャンのよくわからない売店に囲まれた飛行機の待合室でガラス越しに滑走路のコンクリートの他には何もない(飛行機さえも)朝の澄んだ景色を見ながらラオス式チーズパンを食べていると、薄々とこの国にいることの実感が沸いてくるようになる。

 この時近江兄弟社の鴨さんから日本から持ってきたという「みたらし団子餅」というものをもらった。白いもちもちとした団子の生地の中に和風の甘さのみたらしのたれが入っている物で、これはほんとうにほんとうにおいしかった。

ランチパックを手に・・ 鴨さん(左) 太田さん(右)


 二個目のオレンジに取り掛かっている最中(なぜか僕のランチパックだけバナナの代わりにもう一つオレンジが入っていた)英語の放送が流れてようやくといった感じで我々は手荷物を持ち、チケットをドアの前にいるお姉さんに切ってもらって外に出る。待合室にいるとき暇だったので窓の外を見ていたのだけど飛行機というものの形をあまり見かけなかったので、ラオスにも一応ジャンボジェットはあるんだなとかいう安直な想像をしていたのだけど、目に入った飛行機は実にプロペラ機である。小型で、ひどく急なタラップがあって、羽の両端にプロペラがついている、高度資本主義社会とは無縁の存在と化したプロペラ機。僕は今までそんなものを何かのディスプレイ越しにしか見たことがなく、まさか自分が乗るであろうなんてことは夢にも思わなかったけど考えてみればごく当然のことである。ラオスが新型の飛行機を買えるような財政的余裕がある国だとは思ってない。
 でもまあ他に選択肢もないのでそのラオス的飛行機に向かって歩きだす。飛行機に乗り込む前にみんなで記念撮影をする。ラオ航空の小ぶりな飛行機をバックに、何もない飛行場の朝にとった素敵な記念写真。


 脚立に気休め程度の手すりがついたタラップを上がって狭い出入り口をくぐり、荷物を座席の下に押し込んでなんとか一息つく。足も満足に組みかえられないような狭さである(前に座っていたふくよかなアメリカ人の男性はとても大変そうだった)。でもまあここはラオスである。まず飛行機があることを感謝すべきなのだ。

機内放送が流れて、有無を言わさずプロペラがゆっくりと、それからヒュンヒュンと空気を切りながら回り始める。それに合わせて機体もガガガガガと悲劇的な音を立て始める。まどから見える主翼には鉄板のつぎはぎが鮮明に表れている。こういうのはちょっとコワイ。死ぬにしても死に方というのがある。見知らぬ土地で名もない悲しげな飛行機と一緒に死ぬなんてのはこっちとしてはごめんである。ガクンという感じでいきなり機体が滑走路を走り出す。スピードが上がれば上がるほど、どこからともなく発せられるミシッ、ミシッという音の頻度が多くなってくる。そして、機体が浮き上がる。上がったとたんにかなり急な方向に飛行機が舵を切る。座席が小型飛行機の内部的に斜めになる。ラオスだけではないと思う。ないと思うがさすがに、ラオスであるだけのことはある。

そうして我々はビエンチャンから二時間、ラオスの赤茶けた大地の上をババババと飛び続けてこの日の目的地パクセーに到着する。荷物を座席から引っ張り出してふらふらとタラップを降りる。

パクセー上陸!

 
パクセーに到着する。
 天気は快晴である。雲ひとつない、とまではいかないけどとにかく見渡す限り青空である。ここもビエンチャンの空港と同じく、余計なものをきれいさっぱりそぎ落としたような風貌をしている空港である。飛行機以外何もない空港で、古い建物(空港というよりはそっちのほうが表現的には近い気がする)にはただ一言「パクセー空港」と大きく青い文字で書いた白地の看板が掲げてある。なかなか素敵な眺めだ。そして、空気。最初に飛行場の地面に降り立ったときから感じていたことなのだけど、圧倒的な空気の軽さがそこにはあった。きれいだとか澄んでいるとかそういうのではなく(もちろんきれいで澄んでいるんだと思うけど、そんなレベルではなく)、とにかく身体が軽いのである。重力の働き方が日本とは違うんじゃないかというくらい軽い。気候も今はドライシーズン真っ只中でとても暖かい。一月だというのに半袖でもうっすらと汗をかいてくるくらいである。

そんなパクセーの空気を感じながら、赤茶と白の空港に向かってゆっくりと歩いていく。柔らかくて暖かい澄んだ空気のなか、靴からコンクリートを踏む確かな感触が伝わってくる。僕は今ラオスのパクセーにいるのだ。

飛行機から三十歩くらいで税関につく。母親が手を洗いに行っている間、僕が荷物番をまかされる(パスポートはなぜか母親のハンドバックの中にあった)。母親が戻ってきてパスポートを探していると、受付の人が「通っていいですよ」風の笑みを浮かべて中に入れてくれた。さすがにパクセーである。

 ビエンチャンで預けて無事に届いた物資をカートに載せて、今回の旅行に同行してくれるラオスで活動しているNGOのスタッフの方が乗ってきたバンに詰め込む。出迎えてくれたのは日本人の田澤さんとラオス人のニャイさんという人で、田澤さんは青年海外協力隊に所属していて現在はラオスで活動中ということらしくこっちで色んな経験を詰んでいるタフな人である。ニャイさんはラオス人で、NGOの内部でスタッフとして働いている。今回は長きに渡ってお二人とも日本語と英語とラオス語の翻訳者として同行してくれた。

 パクセーの道は、ビエンチャンの道路と比べるとかなり車やバイクの量が減る。道の両端にある人工物もぐっと少なくなり、かわりに木が生い茂っている赤茶けた地面が見える。ピアラー小学校へ向かう道中で、僕達は一軒の小さな露店みたいなものに寄る。そこでは3平方メートルくらいの敷地に(周りには何もないのだけれど)木造の壁のないかやぶき屋根の建物があり、薄茶色の大きなソラマメみたいなものをざるに載せてたくさん売っていた。

タマリンドの屋台


白い長袖を着た中年の女性が立っていて、カウンターのようなものに二人の小さな女の子が乗って遊んでいる、そんなお店である。話によると、ここで彼女らが売っているのは「タマリンドウ」という豆科の植物で、一つ貰って殻をパキパキ割ってみると中からは赤いジャムのようなものに包まれた豆が出てきた。どうも食べるのは豆の方じゃなくてこのジャムの方らしい。物は試しなので食べてみると、意外に甘酸っぱくて美味しかった。彼女らが店を構えている後ろには集落らしきものが見えるので、どうやら村で収穫したものをここで売っているらしかった。パクセーは、なんというか、そういう場所である。

Posted by aefa at 16:44 | ラオス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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