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(3/19) 人生で2度目の難民となった82歳のニーナさんの希望とともに [2022年03月19日(Sat)]


2月24日以降、日々状況が悪化している
ウクライナでは3月18日現在、
国内で650万人もの方が安心できる居場所を
失っています。


すでに国外に避難した方も330万人に
のぼっており、合わせて980万人、
ウクライナの全人口の約4人に1人が
支援を必要とする状況になっています。




今回は、アドラスタッフがスロバキア国境で
出会ったニーナさん(82歳)をご紹介します。


ニーナさんは、静かなアパートの9階に
住んでいました。


写真が好きで、思い出がたくさん詰まった
アルバムが宝ものでした。


ところが、ニーナさんが住んでいた町でも、
毎晩のようにサイレンや爆発音が鳴り響く
ようになりました。


ですがニーナさんは高齢ため、
一人では簡単に避難することができません。




「サイレンが鳴る度に、9階の部屋から
地下の防空壕に下りるには
私は年を取り過ぎていたの。


だからサイレンを聞きながら部屋に残り、
何も起こらないことを祈り続けていたわ。」




平穏だったニーナさんの暮らしは、
このようにして失われてしまいました。


安心できない日々が続く中、
妹さん夫婦が町を出ることを決断したことに
背中を押され、ニーナさんも一緒に
避難することを決めました。


第2次世界大戦のときにもわずか1歳で
戦禍を逃れるために家を離れる経験を
しているニーナさんにとっては
人生で2度目の避難。


持ってくることができたのは、
2つの小さなカバンに詰められた大切な書類、
数着の洋服、大切な写真が保存された
1本のUSBメモリーのみでした。




ニーナさんは妹夫婦と限られた荷物をもって
電車に乗り、息子家族が住むドイツを
目指すことにしました。


翌日、隣国スロバキアに入国できたとき、
アドラのスタッフに出会い、
一時休憩所で休息をとり、
その後の移動の手配をつけることが
できました。


その間も、妹夫婦の写真をとるなどして
なるべく明るく前向きに過ごそうとしていた
ニーナさんですが、
住み慣れたアパートを恋しく思わないことは
ありません。



「この紛争がいつ終わるのかわからないわ。
でも、もし終わりが来たら、私のアパートに
必ず帰りたい。」



ニーナさんは家に戻ることを決して諦めて
はいません。


アドラスタッフも、その日がきっと来ること
を信じ、ニーナさんを見送りました。




避難者何百万人という数字の中には、
ニーナさんという1人の存在があるように、
一人ひとりが失ってしまったもの、
そして取り戻したいと思っているものが
あります。


厳しい状況が続くウクライナですが、
少しでも被害が少なく、
一刻も早く事態が収束することを願いながら、


ウクライナ国内および周辺国において
アドラは今後も一人ひとりに寄り添う支援を
続けてまいります。



Nina 2.jpg


<また私のアパートに戻れることを夢みて(ニーナさん)>





(執筆:マーケティング担当 永井 温子)


Posted by ADRA Japan at 23:05 | ウクライナ緊急支援 | この記事のURL | コメント(0)
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