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(8/16) エチオピア見聞録。「エチオピア人」の共存は難しい? [2021年08月16日(Mon)]


みなさん。こんにちは。
エチオピア駐在員の辻本です。




最近エチオピアでは選挙があり、
治安悪化が心配されたため、
選挙の熱が落ち着くまで、
私は首都のアディスアベバに
いました。


幸い大きな事件は起こらず
良かったです。




今回はエチオピアの歴史や多様性
について私が見聞きしたことを
少し綴りたく思います。




首都のアディスアベバでは
大きな博物館がたくさんあります。


中でもアディスアベバ博物館と
民族学博物館で展示されている
エチオピアの戦争の歴史が
興味深いです。



エチオピア1.JPG


(民族学博物館。
アディスアベバ大学内にある。)



エチオピアは2回イタリアと戦争を
しています。


1回目は19世紀後半のことです。


これは第一次エチオピア戦争と
呼ばれます。


当時、他のヨーロッパ諸国と同じ
ように植民地主義政策をとっていた
イタリアはエチオピアを植民地に
するために侵攻します。


しかし、エチオピア皇帝率いる
大軍の抵抗により失敗に終わります。




エチオピア勝利の決定打となったのが
アドワの戦いと呼ばれます。


博物館にはその当時のエチオピア兵士
の服装、武器、戦闘の様子を描いた
絵画などが飾られています。


アドワの戦いの勝利はエチオピア人の
誇りであることが感じられました。



エチオピア2.JPG


(アディスアベバ博物館に
展示されているアドワの戦いの絵画)



エチオピア3.JPG


(民族学博物館に展示されている
アドワの戦いの絵画)




両方の絵画には中央上に聖人ジョージ
が描かれており、神の加護があった
ことが示唆されています。


右側のイタリア兵はみんな同じ顔ですが、
左側のエチオピア兵の顔は少しずつ
違っているのが興味深いです。




イタリアとの二回目の戦争は
1935年のことです。


イタリアはムッソリーニ独裁政権下
でした。


この時はイタリアの軍事技術が勝り、
皇帝はイギリスに亡命しました。


イタリアは全土占領を宣言しますが、
皆さんもご存じの通りイタリアは
第二次世界大戦で負けるので、
エチオピア占領は短くして終わります。


こういったことから、エチオピアは
アフリカで唯一植民地化されなかった
国とも呼ばれています。




エチオピアにはこのように国家と
しての歴史があります。


しかし、エチオピアには別の側面も
あります。


それは、エチオピアは様々な人々で
できた国家だということです。


エチオピアには80を超える民族が
存在しています。


宗教も、キリスト教
(エチオピア正教、カトリック、
プロテスタントなど)、
イスラム教、ユダヤ教、土着信仰
などがあります。


言語も複数存在し、
ADRAのスタッフでも
4、5言語話せる人がいます。




こういった多様性は、
残念ながら根深い民族問題に
発展することがあります。


読者の皆さんも
ニュースでご覧になったことが
あるかもしれませんが、
ティグレイ紛争もその一つです。


エチオピアは、
周辺国から約78万人
(2021年6月30日UNHCR)
の難民を受け入れている一方、


逆に難民を出す側になることが
あるのも事実です。




ADRAの事業地である
ガンベラ州でも民族対立構造は
あります。


今は比較的治安が安定している
方ですが、過去には大きな事件が
起きたこともありました。


(※ADRAは常に治安状況に
注意を払いながら事業を
進めています。)



4.JPG


(アディスアベバ博物館がある高台から。)




現地スタッフは


「エチオピアの子どもたちは
エチオピア人としてではなく、
それぞれの民族アイデンティティを
与えられ育っていく。
対立は終わらない」


と、残念そうに話していました。


また、どこの民族出身なのかは
選挙でも重要なポイントに
なるようです。


まだまだ表面的ではありますが、
エチオピア人について、
考えさせられる機会となり、


事業の管理や駐在生活を通じ、
エチオピアの人々について
もっともっと知りたいと
思うようになりました。




このような国内事情がある
エチオピアでADRAは
南スーダン難民支援の事業を
行っており、たくさんの
エチオピアの人々の協力によって
成り立っています。


ADRAはエチオピア国内の
民族対立に配慮しつつ、
クレ難民キャンプでの
南スーダン難民支援活動を
継続していきます。




今後とも皆さまからの
温かいご支援を
よろしくお願いします。


最後まで読んで頂き
ありがとうございました。



*本事業は皆さまからのご支援と
ジャパン・プラットフォームの
助成を受けて実施しています。


(エチオピア事業 駐在員 辻本峻平)


Posted by ADRA Japan at 09:44 | 南スーダン便り | この記事のURL | コメント(0)
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