(5/17)【スタッフのつぶやき】エチオピアで一連の紛争に巻き込まれ、感じたこと [2016年05月17日(Tue)]
エチオピア・ガンベラ州の難民キャンプにて南スーダン難民の支援活動を行なっている齊藤です。
2014年9月に初めてエチオピア・ガンベラ州に来て以来、事業地の治安は、比較的安定していましたが、2016年4月に生まれて初めて「生死を分かつ経験」をしたので、そのことについて少し書きたいと思います。 事件の発端となったのは、2016年4月21日の木曜日でした。 ガンベラ州には、5万人規模の難民が住むキャンプが4つあります。その中の一つのキャンプであり、ADRA Japanが昨年まで活動を行っていたJewi(ジュイ)難民キャンプで、ある支援団体のバスを運転していたエチオピア人のアバシャ(※アバシャ=肌の色が薄いエチオピアの民族)が交通事故を起こしました。その事故で難民の子ども、2人が亡くなりました。 この事故に対して、南スーダンから逃れてきた難民側の民族(ヌエル族)が激昂し、ジュイ難民キャンプ内で活動していた他の支援団体や 国連関係者を襲いました。その事件の影響はジュイ難民キャンプ内の争いに波及し、支援団体の契約している熟練工(アバシャ)が複数人殺傷されました。 ヌエル族は、子どもを事故で失った同じヌエル族の仲間の為にリベンジを行なった形になりました。 しかしながら、エチオピアの民族であるアバシャ側からはこのリベンジに対して、なぜ南スーダンから逃れている難民のヌエル族に対して土地を提供し支援をしているエチオピア人が復讐されなければいけないのか?といった不満と怒りが増大し、「アバシャ」 と 「ヌエル族」の間の戦闘が瞬く間にガンベラの町全体に広がりました。 この影響は、我々、南スーダン難民の支援活動を行なっているNGOや国連などの支援団体にもありました。難民支援をしているということから、ヌエル族の味方と一方的にみなされ我々支援団体も標的となってしまいました。 4月23日に国連の事務所や他の国際NGOの事務所がアバシャからの投石等の襲撃にあう、という形で事件が激化しました。国際NGOの職員として、外国人も標的になっていたこともあり、首都のアディスアベバに緊急退避を決め、その時点で予約可能な最速のフライトで、翌日24日ガンベラからアディスアベバに退避することに決めました。 4月23日の夕方、町中で銃声が聞こえ始め、今回は標的であったために、不安を抱えながら、23日の夜を過ごしました。 4月24日、町では朝からアバシャのデモ隊が町を闊歩しており、我々NGO職員は外に一歩も出ない様にひっそりとオフィスに隠れていました。午前10時頃、遠くの方で微かな音ではありましたが、複数の銃声が聞こえました。さらにその数十分後にADRAの事務所のすぐ横の道で「バン!バン!」ととても大きな音が鳴り響きました。その音は、私の座っていたところから壁を隔てて3メートルほどしか離れていない場所から聞こえました。 とっさに、自分の部屋に逃げ帰り、カギを閉め机の下に隠れ、身を潜めました。 前日に我々の事務所の目の前の国連機関の事務所が襲撃を受け、ドアが壊され、デモ隊に襲撃されていたこともあり、我々の事務所にもデモ隊が侵入してくる可能性が十二分にありました。また、事務所の横の道ということもあり、銃撃戦となった場合、流れ弾に当たる可能性が高かったこともあり、手と足の震えが止まりませんでした。 これは「死ぬかもしれない」と本気で思いました。 「どうせ人間はいつか必ず死ぬものである」と言う人がいますが、 28年間の人生でここまでリアルに「死」を意識したことはありませんでした。 銃声が複数回鳴り響いている間、頭の中を、 今までの短い人生のことが走馬灯のように駆け巡りました。 「自分の人生を本気で生きてこられたのか」 「後悔することは無かったか」 「自分は誠実に生きられたのか」 「自分の人生を全うできたのか」・・・ また、今まで傷つけてしまった人々の顔や記憶が一気に浮かんできました。 そして、銃撃戦に対して何もできない虚無感、過去への後悔−周りの人へ温かく接することができなかった記憶、素直になれなかったこと、親孝行等やり残したことへの心残りなど、色々なものが死への恐怖とともに、頭の中をよぎりました。 「あぁ、これではまだ死ねない。」 と、恐怖で手足がガタガタ震える中、必死で生きたいと思いました。 幸いなことに銃声は数分で止み、その後自分の部屋から出て、スタッフの安否を確認しました。 事務所で死傷者が出ていないことに安堵し、全身の力が一気に抜けてしまい、暫くの間、耳の中であの暴力的な銃声が何度もこだまするのと同時に、死を恐れ、震えていたときに感じた「感覚」が戻ってきました。 「人は必ず死ぬ」 当たり前のことですが、事故であれ、紛争であれ、老衰であれ、なんであれ、必ずその時は訪れます。 そして、死の直前に自分の人生が自分のヒストリーとして、一気に思い出されます。 「他者への接し方はどうだったか」 「誠実に相手に接しられたか」 「何かの選択を躊躇して後悔はしていないか」 「やり残したことはなかったか」 私は正直、様々な「後悔」の念に駆られました。 できていなかったことがこんなにも多かったのかと自分でも驚くほどでした。 その後、アディスアベバに無事に退避しましたが、それから2日程は、紛争へのショックにより心にぽっかりと穴があいたような空虚感と自分の後悔がこんなに多かったことへの驚きで茫然としていました。 しかし、いつまでも立ち止まっていることはできません。この事件は自分にとって、今後の人生を後悔させないため、誰かが与えてくれた特別な「きっかけ」であり、乗り越えなければいけない壁であると前向きにとらえ、自分の中で消化していかなければなりません。 「他人と過去は、変えられないが、自分と未来は変え放題」と昔、本で読んだことがあります。 この言葉が改めて自分の胸にストンと落ちるような感覚がありました。 この一連の事件で犠牲となった方々への想いを胸に、また今日から一日ずつ、未来に訪れる人生が終わる日に「後悔しないよう」に過ごしていきたいと思います。 このように今日まで生きてこられたことに感謝して、今日からまた微力ではありますが活動を続けていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。 南スーダン難民支援活動詳細はコチラ (執筆:南スーダン担当 齊藤吉洋) ADRA Japanのホームページはこちらです |
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