本日発売のメンタルヘルスマガジン『こころの元気+ 12月号』に掲載していただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アール・ブリュット・・・聞きなれない言葉ですが、密かに広がりを見せています。「Art Brut = 生(なま)の芸術」という意味のフランス語で、正規の美術教育を受けていない、美術界とは無縁の表現活動を行う作家のアートを指すもので、知的や精神、発達障害者の作品も含まれます。
英語ではアウトサイダー・アートと呼ばれ、既成概念にとらわれない自由な表現は、時に美術の専門家も感嘆させ、近年では日本でもプロの美術作品と共に並べられる展覧会が開かれています。
そうしたなか、今春、日本のアール・ブリュット作品が海を渡りました。日本人作家778点の作品による展覧会を、パリ市立アル・サン・ピエール美術館が企画したためです。これほど多くの日本のアール・ブリュット作品が一度に海外で公開されるのは、他に例がないといわれています。
出展作品は、全国の障害者支援施設や精神科病院でダウン症などの知的障害、自閉症などの発達障害、精神障害のある作家63人が創作したもので、日本財団は、滋賀県社会福祉事業団が行う出展作品の発掘・調査などを支援させていただきました。
◆パリで脚光を浴びる日本の作品 3月22日に開幕した、このアール・ブリュット・ジャポネ展。日本の猛暑を逃れ、涼しくて心地よいパリへ8月初めに行ってきました。
市内の北側、モンマルトルの丘に建つアル・サン・ピエール美術館は、1868年に建設された当時の美しい金属建築で知られる市場を改修し、1986年に開館したものです。老朽化に伴い取り壊しが決まった市場の保存を地域の人たちと共に訴えたのが、同美術館のマルティーヌ・リュサルディ館長。同美術館が開館以来、流派にとらわれない新進気鋭の現代アートやアール・ブリュット作品を取り上げるルーツが、こうした経緯(いきさつ)にあるのかもしれません。
さて、パリ中心部から地下鉄を乗り換え、およそ15分でアンヴェール駅に到着。駅前は土産物屋や市場が軒を連ね、観光客と地元の人で結構混雑していますが、人の流れが観光名所のサクレ・クール寺院に向かっていますので、流れに乗って10分ほど歩くと、レンガ造りのおしゃれな美術館が見えてきます。
通りを少しだけ外れ、美術館の入り口を入ると、正面の受付に入場券を買い求める10数人の行列がありました。学生や観光客に交じって、母親に手を引かれた小さい女の子や男の子、ベビーカーも見えます。入館料は大人7.5ユーロ(日本円でおよそ800円)、子どもは無料。母子は近所に買い物に来る装いで、気軽に立ち寄っている様子です。
1階には、豊富な書籍を揃えるショップと、天窓のまばゆい光が差し込むカフェが並び、受付を通って暗幕を抜けると600平方メートルほどの展示スペースがあります。たくさんの凹凸が施された陶器が、控えめな照明の中に、にょきにょき浮かび上がっていて、まるで異空間に迷い込んだようです。
ショーケースに入った赤土色の粘土の怪物?は、じっと見つめていると今にも飛び出してきそう。ひとつひとつの作品が、光と影の静かな空間にしっかりと意志を持って佇んでいて、気迫に圧倒されます。
「作家に障害があるかないかは関係ない。障害があることを伝えないこと。すべての作品にボーダーラインを引かないことが大切」と、同美術館のローレンス副館長にご説明をいただきました。展示作品には作家の名前のみを併記し、障害にはあえて触れていません。作品そのものから観客がアートに入っていけるようにしたいからだと言います。
鑑賞後、作家や作品の背景に関心を持った観客は、出展作品を解説したカタログを1階のショップで入手できるようになっています。残念ながらカフェは夏季休業中のため、リピーターに好評と聞く有機栽培ジュースとタルトを頂くことは出来ませんでした。
吹き抜けのらせん階段を上がると、1階とは対照的に、ガラス張りの壁面の採光を活かした明るい展示スペースが広がります。鮮やかな色彩を放つオブジェや絵画が、十分な空間を取り展示してあります。
導線を示さない、作家が障害者であることを感じさせないといった同美術館の配慮は、観客が身構えることなく、自由に思いを巡らせる優しい空間を作り出していました。
気になる集客ですが、日本人作家だけのアール・ブリュット展というわけで、一体どのくらいのお客様があるのか?訝しげに尋ねたところ、「数えきれないくらい。正確に数えるには会計士が必要だわ」と、ローレンス副館長は顔をほころばせていました。
来館者は連日200人を超え、同美術館のこれまでの展覧会のおよそ3倍を記録するペースだそうです。同副館長は、日本文化に対するフランス人の関心の高まりが盛況の要因だと分析していました。
◆作家の権利を考える転機に アール・ブリュット・ジャポネ展は、日本の障害者アートの晴れ舞台として日本でもテレビや新聞等に多数取り上げられ、素晴らしい作品の認知と障害への理解につながっていますが、もうひとつ大きな転機をもたらしたことは、関係者以外にはあまり知られていないと思います。
それは今回の出展において、契約内容の理解、判断が困難な作家には、成年後見人制度が活用されたことです。後見人と美術館が契約を結び、作品の取り扱いについて作家の権利が守られるようにしてあります。
これまで作家が健常者であれば当然のことも、障害があることで著作権が意識されないまま、作品が取り扱われてきたケースが多いといわれます。
これは、著作権が著作物を創作した時点に自動的に発生する権利であるため、権利の侵害については、作家自身や周囲が主張をする必要があるからです。施設で行われる創作活動は、機能保持や回復のための訓練であったり、余暇活動の一環であったりするため、周囲が創作物を芸術作品として認識することは、想像しがたいケースも多かったのだと思います。
今回の出展にかかる契約行為は、施設やご家族、芸術関係者が障害のある作家の作品の取り扱いについて考える良いきっかけになったと報じられています。
◆芸術としての障害者の創作活動 絵を描いたり、物を作ったり、創作活動が人間の精神によい影響を与えることは周知のことですが、趣味や教育、交友や仕事など生活の中に選択肢が限られてしまう障害者の場合、創作活動が生きる楽しみとなり、ひとりひとりの豊かな個性が花開く、思いのほか大きな可能性に発展することを、今回私は力強い作品たちから学びました。
アール・ブリュット・ジャポネ展の盛況は、日本の障害者アートに芸術作品としての評価をあたえ、日本国内で障害者の創作活動が芸術として見直される機運をもたらしています。今後、作品の展示や関連商品の販売を通して収益を生み、作家や家族の将来に備える一助となる可能性も期待できます。
このようにアール・ブリュットは、障害に伴う境界線を超える、あらゆる可能性を秘めているのだと思います。
ジャポネ展は、来年1月2日まで。パリに行く機会のある方は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
最後に、創作活動を支える施設やご家族、そして日本の障害者アートに大きな変革をもたらすアール・ブリュット・ジャポネ展の開催に、多大な尽力をされた滋賀県社会福祉事業団の皆様に心から敬意を込めて終わりと致します。(おしまい)