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インド、ムンバイ・同時多発テロ攻撃 インド最前線 Actual India 第143回 [2008年12月01日(Mon)]

《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その3 7
            《 速報 Special Spot 》

哀悼、日本人犠牲者!
 11月26日午後9時前、インド隋一の港湾経済都市ムンバイがテロに襲われた。巨大都市の南部、13か所が攻撃にさらされた。
 29日午前8時過ぎ、ようやくテロ勢力を掃討した、と警備当局は発表した。60時間を越える長い戦いだった。
 29日の終息時点で、死者は200人を越え、巻き添えの負傷者は300人以上と伝えられている。死者、負傷者ともに以後の推移によって数字を書き換えることになるだろう。
 不幸なことに日本人の犠牲者がでてしまった。死亡したのは、三井丸紅液化ガスに勤務する津田尚志氏だ。津田氏は、業務出張のインド視察でムンバイを訪問し事件に遭遇した。トライデント・オベロイ・ホテルのエントランスでチェックインを終えた直後だったという。同僚のひとりも負傷している。
 深い哀悼の意を捧げる。
 日本人がインドでテロの犠牲になったのははじめてだ。
 過去2年、インドでは都市テロが頻発している。多くの一般市民が巻き込まれ、犠牲になってきた。しかし、外国人が遭遇し犠牲になることは極めて稀だった。
 今回のテロでは、日本人を含めて20人以上の外国人犠牲者がでている。負傷者は数十名とみられる。日本人を含む外国人が狙われたテロは、インドでは過去に例のない事態だ。
 このテロが、インドではかつてない思想性によって組織されていることを語っている。国内的な宗教対立でも、貧富や権利の主張に根ざしたものでもない。

かつてない攻撃対象施設
 テロとその手法もかつてない戦術だった。まず、インドでは70年代以来の手法だった自爆テロではなかった。20年前まではヒューマン・ボンブと称された自己犠牲による主張、死を賭して訴える、という戦術を放棄している。
 使用された武器は、自身の身体に巻きつけた爆発物ではなく、ライフル、自動小銃、そして手榴弾だった。攻撃のみの装備で、無差別ソフト・ターゲット(非戦闘市民攻撃)だった。
 攻撃は、侵入と同時に自動小銃を乱射し、手榴弾を投擲したと伝えられている。
攻撃された施設は13か所と伝えられ、有名な5つ星ホテル、高級キャフェ・レストラン鉄道ターミナル駅、そしてユダヤ人会館だった。
 攻撃対象に、ムンバイ証券取引所や大企業は入っていない。インド経済の中枢都市で経済施設を無視したテロだった。
 最後まで拠点になったタージマハル・ホテルは、アラビア海ムンバイ港を眼前するこの都市の象徴的な建物だ。複合企業タタの初代が創設したこの建築は、早期近世のイスラム・ヒンドゥ混合様式で、ムガル時代のタージマハル廟に想を得ている。
 外国人、特に日本の旅行代理店は競ってここに観光客を送り込んでいる。また、同地域にあるオベロイ・ホテルは、現在はトライデント改名したが、旧名を冠して親しまれている。改名後はやや価格帯を下げて、経済発展するムンバイへ出張してくるビジネスマンの便宜に応えている。ここで、日本人が犠牲になってしまった。
 特に注目されるのは、これらのホテルがあるマリン・ドライブ道路の南にあるイスラエル公共施設ナルマン・ハウス(ユダヤ会館)が攻撃を受けていることだ。
 ナルマン・ハウスは、ユダヤ人旅行者や出稼ぎ人のための宿舎であり宗教施設もある。ここでは最後まで立て籠もったテロリスト掃滅のために特殊部隊がヘリコプターから降下、侵入して作戦を展開した。
 ふたつの高級ホテル、外国人旅行者が集まるカフェ・レストラン、そしてユダヤ会館といった攻撃対象は、あきらかに外国人をソフト・ターゲットにしていた。

攻撃作戦の高度な組織力
 攻撃作戦は、組織的で的確だった。
 鉄道駅や外人客の多いレストランでは電撃的な攻撃を敢行し、瞬時に逃亡した。
 ふたつのホテルでは、宿泊客を人質に立て籠もり、タージマハル・ホテルでは、拠点の部屋を確保し作戦本部化し、長期戦に持ち込んだ。両ホテルでは、英米パスポートの所有者をチェックしていたと伝えられている。
 彼らは事前の下調べで、400室を持つ広大なホテルを知りつくしていた。
 実行前にインターネット上に犯行声明がでていた。その際、自らの組織をデカン・ムジャヒディーンと名乗った。デカンは、インド亜大陸の中央部を南北に走る高原地帯のことで、ムジャヒディーンはイスラム・聖戦士の意味だ。
 この組織名がメディアに登場するのははじめてだ。9月、首都デリーで発生した連続爆破テロはインディアン・ムジャヒディーンの組織名で犯行声明がでた。しかし、その組織実態は現在でもはっきりしていない。
 インディアン・ムジャヒディーンは、その後の捜査の推移からイスラム学生同盟(SIMI)の内部にできた過激グループとみるのが妥当と筆者はかんがえている。
 今回のムンバイテロ実行犯が、おなじムジャヒディーンを標榜していることから両者に共通した組織実態があるのかどうか、現在のところ明確ではない。すでに述べてきたように今回のテロ攻撃は、外人をソフト・ターゲットにすることに躊躇せず、それ以上にユダヤ会館攻撃にこだわったことは、かつてなかった。
 28日、ムンバイ湾ではテロ軍団を運んできたとみられるパキスタン船籍、二隻が拿捕されている。グジャラート州沿岸に立ち寄り経由して航行してきたことも判明している。
 高度に組織化された軍団が、海外から侵入してきたという一部の報道は充分な説得力を持っている。それは、反ユダヤ、反米英人戦術にも納得を与える。
 印パ国境地帯に潜むアルカイダ、さらにはパキスタン領カシミールを拠点にするラシュカル−エ−タイバの合流軍団という説も無視できない。
 ラシュカル−エ−タイバは、カシミール分離独立派、むしろパキスタンへの併合派といわれている。パキスタン軍情報機関(ISI)との関係も疑われている。
 しかし、いずれにしてもインド国内の組織が関与しているのはあきらかだ。ムンバイの繁華街と外国人旅行者の立ち寄り先を知悉し、タージマハル・ホテルなど、相当の期間をかけた下調べをおこなっているとみられるからだ。実行グループは、数日前から同ホテルの部屋を確保していたとも警備当局者は語っている。

インド・テロリズムの新時代
 30日、終息宣言をしたムンバイの警備当局は、犯人グループはパキスタン国籍の10数人だったと表明した。また、武器弾薬は拠点になったタージマハル・ホテルの部屋などから相当量が押収されたとも発表している。
 実行犯が10数人だったというのは、にわかには信じられない。後方任務を担った強力なグループの存在を疑わないわけにはいかない。
 インドは常に、テロは海外からやってくる、という図式を描きたがる。たしかに今回は、かつてない戦術で、過去のインド国内テロとは違っていて、海外勢力が主力になっているだろうことは充分にうかがえる。
 しかし、デカン・ムジャヒディーンというローカル色の強い名乗り、ムンバイ市街、ホテル内などの事前調査能力など国内グループの関与なしには実行不能な要素が多い。
 海外、特にアフガン・パキスタン国境地帯のテロリスト勢力が印パ国境に潜む部分と再提携を果たし、イスラム学生同盟SIMIなどのインド国内勢力とリンクしたことにあるのではないか。インド・テロリズムの新時代が開かれてしまったのではないか。
ここに注目していかなければならない。
 インド亜大陸の国々は、はじめての有色人種アメリカ大統領の誕生を、歴史的快挙と歓迎した。しかし、オバマの西南アジア政策が、反テロを強調し、イラクからアフガンへのシフト政策を強力化することに及んで、深い失望感と対決意識が高まっていた。9月以来のブッシュ戦略は変らない。この危機感が亜大陸のテロリズム地図を描き換えることは、充分、予測できる。今回のムンバイ・テロはそれを如実に示唆した。
 インドは、サブプライム以後の経済危機のもとで、それでもGDP比7〜8%の成長が予測されている。
 日本は、インドとの経済提携を緩めることはできない。ますますの緊密化を推進しなければならない。テロが障害になることは断じて避けなければならない。
 二度と日本人犠牲者をださないために、インドに関わる筆者はより確かで有意義な情報を供していかなければならない、と改めて決意した。
Posted by 森尻 純夫 at 08:36 | この記事のURL