百見は一触に如かず [2008年06月25日(Wed)]
東京財団前会長で、日本財団特別顧問の日下公人氏が著した『こんなにすごい日本人の力』の中に「発信力は触覚から」という一節があった。
なんでも、仏教の世界では、認識の成立要件について六入というが、その順番は、目・耳・鼻・舌・身・意で、身は触覚、意は思考を示しており、触覚が思考に一番近いということだ。またヘブライ語では、「知る」を「Yada」と書くが、その語源は「Yad」=「手」だとあった。 「百聞は一見にしかず」というが、「百見は一触にしかず」といったところだろうか。 これを読んでいて改めて、「現場を知る」ということは、なんなのか考えてた。 よく「現場主義」という言葉があります。ボクも、財団にいたときは、日本各地の「現場」に行く機会があり、助成先の団体さんの活動を見たり、話を聞いたりした。 しかしいつも疑問だったのは、確かに「現場」に足を運んだが、これで「現場主義」と言えるのかどうか、「現場を知った」と言えるのかどうかということ。 ツブログさんも先日のブログで「助成財団の職員の言葉は、現場で活動する団体の職員の言葉よりも現実味と重みがない」とを思ったと書いてました。 でも「発信力は触覚から」を読んで、振り返ってみて思った。現場に行っても、ほとんどが「聞く」「見る」で終わっていたなと。財団の時は出張に行く際、効率を考え、なるべく多くの方に会おうと予定を組んでいた。それはそれで大切。しかし例えばイベントのスタッフとして入ってみたり、もっと言えば助成先で半年間働かせていただくとかそういうことがあっていいと思う。(相手に迷惑がかからないのが前提だが)。単純に「現場を知ることができる」以上の、価値があると思うから。 |