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松井 二郎
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お産とウ●コ [2020年12月06日(Sun)]



 こんにちは! 松井です。
重たい話が続いているので、
きょうは息抜き。^^


       ◇

 「できるだけ医療の関与の少ない "老衰死"(「自然死」)
は、穏やかで安らかであると述べてきました。
では、生まれる時は、どうなのでしょうか。分娩台での
出産を考えてみます」

      ◇


 本筋からは脱線しているように
思うんですけど、まあいいでしょ。
個人的に引用しておきたかったのー。

 昔、お産をする部屋には天井から
ロープが下がっていました。
このロープのことを
力綱(ちからづな)といいまして、


      ◇

 「お産は、力綱を握っての、坐位分娩だった
ということです。
これは、極めて "自然の理" に適(かな)っていることです。
坐位のお産は、妊婦にとっても楽だということです。
坐位だと、赤ん坊の重さと子宮の収縮力によって、
腹圧がかけられる(いきむことができる)のです。

一方、分娩台のお産を考えてみてください。
あの状況ではいきむことは有効に働きません。
赤ん坊の体重も関係ありません。
子宮の収縮力だけが頼りなのです。
だから、6時間も7時間も、うならなければ
ならないのだと思います」

      ◇


 大河ドラマで
宮沢りえさん扮するお茶々が
天井から下がる綱にしがみつき
上半身は起きた姿勢でウンウン
うなっているのを見たとき、
「なんだこりゃ! 昔はこんなんだったの〜」
と仰天したけど、
あれが正しいやり方だったのかぁ。


      ◇

 「次に、排便行為を考えてみます。原理的には、お産と
変わらないように思えるからです(ウンコするのとお産
と一緒にするなと怒られそうですが)。
実は、寝たままでウンコをするというのは、大変な難行、
苦行なのです。
寝た状態だと直腸が肛門より低い位置にあります。
ですからウンコを肛門から外へ出す時には、堤防を
乗り越える状況になり、非常に大変なのです。

ウンコする時は、坐位が "理" に適っているのです。
したがって、今、特別養護老人ホームでは、寝たままの
おむつではなく、できるだけポータブルトイレでの坐位
排便を試みているわけです。

坐位だと、ウンコの重量と腸の蠕動(ぜんどう)運動が
有効に働きますが、やはり一番大きいのは、いきめる
ということです。
これが寝たままだと、頼りになるのは腸の蠕動運動だけ
ですから、どうしても便秘がちになるのは止むを得ません。
下剤の多用ということにもなるでしょう。

以上のことを考慮すると、3年間も寝たきりでウンコを
している年寄りは、なかなかの猛者(もさ)です。
その技術と根性は、尊敬に値します。重要無形文化財、
人間国宝級だと思います」

(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/

       ◇


 さらにいうと
洋式よりも
和式のほうが圧倒的にしやすい。

 西式健康法の創始者・西勝造先生によると、
排便は踵(かかと)をつけて
野蛮人の姿勢で行うのが正しい
とのこと。

これは日本人の腸がそういうかたちになっているのです。
ひざをあの高さまで上げて
はじめて直腸がトイレに向かってまっすぐになる。


 これを知っててほんと助かった。

 松井は長いこと、
1日に30回
トイレで大の用事をたしていました。
このときは大というより水のような、
あ、失礼。

しかもその30回、
肛門とは別に直腸からおしりにあいた傷穴に
その水、
あ、失礼、
大が入っていって(どっちにしろ失礼)、

そうなると激痛にもんどり打つので、

そのリスクを低減させるため
どうすれば最もラクに用を足せるか? と
研究を重ね、
ついに名人の域に達したのである(笑)


 西先生のおっしゃるとおり、
洋式便座に腰かけていきむと、
どうも、
肛門に力が入らない。
むりに力をかけると痛い。

そこで西先生の言葉を思いだし、
踵(かかと)に体重を乗せてみると、
「あ、わりとしやすい」
和式ならばさらにしやすいことも知りました。

 でもウチのトイレは和式ではない。
しかも
平均的な洋式よりもビミョーに座高が
高い。
床に踵をつけても体重が乗らない。
困った。


 そこでだッ!
便座に
おしりでなく
足のひらで乗って用を足す
曲芸、
ではなく、
アイデアを思いついたッ!

 えいっと片足ずつ便座に上げて、
「おっとっと」
落ちないように気をつけつつ……

 「おおっ! こ、これはッ!」

 しやすい!
するっといける
(するっともクソも水だが 笑)


 便秘のひとはお試しあれ〜。

やり方をお披露目したいのですが、
軽犯罪になるのでやめておきます。



  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お産もウンチも坐位が正しい。


 (つづく)




 ◆ まだコロナが不安なら
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この芸でテレビには出られそうにありません。





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がん検診で得る5つの不利益 [2020年12月13日(Sun)]




 こんにちは! 松井です。
 特集を続けますよ。

 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
という本を読み進めているところですが、
きょう引用したいのはここ。

 「がん検診は必要か」?


       ◇


 「『がん検診』は、『早期発見』『早期治療』によって
救命するという利益はあります。
しかし、一方、不利益があるのもたしかです。
どんな不利益かといいますと、次のようなことが
考えられます。

(1)検診によって100%がんがみつかるわけでは
ないこと。
どんなに優れた検査でも精度が100%ということは
ない。病気になる個々人には差があり、
したがって、がんであるにもかかわらず、見逃しは
ある確率で存在すること

(2)過剰診断により、過剰な検査や治療を招くことが
ある。その結果、医療費の過剰な負担をもたらす可能性
があること

(3)心理的な影響。精密検査が必要ということで、
不安を感じる場合があること

(4)検査には偶発症がある。例えば、内視鏡検査には
出血や穴が開くなどの可能性があり、極めて稀には
死亡することもあること

(5)放射線被曝の問題がある。検診の被曝については、
機器の開発、改良により、その影響は最小限に抑えられる
ようになったというものの、
「がんの誘発や遺伝子的影響が全くない」とは断定できない
こと

などがあります。
(中略)

放っておいても問題のないタイプのがんを見つけて
しまうと、治療する無駄と副作用という不利益も
蒙ることになります」


(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/


       ◇


 がんを早期発見できてよかったね、
ではなくて、

「放っておいても問題のないタイプのがん」を
わざわざ検診で見つけだして治療すれば、
治ってあたりまえ、
それを、
治ってよかったね、と言っているとしたら、

自作自演、
ばかばかしいドラマに
つき合わされたことになります。

 (5) 番などは、
がん検診を受けなければがんに
ならなかったのに、
わざわざがん検診を受けにいって
浴びた放射線でがんになる人もいる、
ということ。


 私は、不利益のほうが多いと思う。
どこかに就職していて
ムリヤリ受けさせられる
というケースでもない限り、
一生、がん検診を受けないと決めています。

 てか、
自分で何ともないと感じているのなら、
そりゃ、何ともないのです。

これはクローン病とつき合っていて体で知らされたことです。


  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  がん検診をしても、見逃しがある。
  かえって、放射線を浴びてがんになることが
  あったり、
  放っておけば消えていたがんまで見つけて
  治療されてしまったりする。


 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかもバカバカしいドラマにお金を払わせられるというバカバカしさ。





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手遅れのがんでも痛まない!? [2020年12月17日(Thu)]




 こんにちは! 松井です。

 あなたは
がん検診を受ける?
受けない?

 もし、受けないのなら、
将来がんが見つかるときは、
よほど進行して、
自覚症状も出てから、
つまり「手遅れ」になってから
見つかることになります。

それで苦痛はないのでしょうか?

 こんな例が紹介されています。


       ◇


 「海老原卓二さん(仮名、70歳)は、食欲が落ち、
やせてきて、胃腸の具合が思わしくないということで
入院。検査したところ、
進行胃がん、余命3ヵ月といわれました。
がん性の腹膜炎も起こしており、がんに対しての
積極的治療の意志がないため、2週間で退院して
老人ホームへ帰ってきました。

痛みは全くありませんでしたが、がん性腹膜炎で腹水
が増え、だんだん蛙腹がひどくなりました。
あまりしんどがるようなら、腹水を抜かなくては
ならないかと思っているうちに傾眠状態になり、
一滴の水も口から入れられなくなりました。

せっかく、本人が穏やかに死のうとしているのに、
点滴注射や酸素吸入をして邪魔をするようなことは
しません。
"老衰死" コースを辿って、8日目に亡くなられました。
とても安らかでした。

驚いたことに、亡くなった時には、あの蛙腹がぺしゃんこ
になり、完全に腹水が消えていました。
人間、生きるためには水分が必要なんです。だから、身体
にある水は全部使い果たすんです。
身体の自然のしくみはこんなにも凄いものかと驚嘆しました」


(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/


       ◇


 葬儀社のひとによると、
さいきんの遺体は重くなった
とのこと。

老衰なら
枯れるように死んでいくから
水分が抜けて
体はカサカサになるのに、
いまは病院で死ぬ間際まで点滴するからです。

この方は、その逆だったわけだ。


 思うに、
ドラマや映画でよく見る、がんで
のたうち回る最期は、
あれは「免疫のリバウンド」なのでは?


 おそらく原因は抗がん剤。

抗がん剤は
がん細胞を選んで殺しているのではなく
細胞分裂のスピードが速いものを
殺しています。
なので正常細胞も殺されます。

白血球はほぼ全滅。


 それを体は、なんとかして元に戻そうとする。
このとき
激烈な「免疫のリバウンド」が起きているのが、
がん治療の最期の地獄なのでは?

もしそうなら、
このように何もしなかった例では
激痛のなかで死んでいくのは避けられるのでしょう。


 中村医師はこう書いています。

 「一般的には、がんの末期にはのたうち回るような
痛みが出ると思われています
(中略)。
私のところでは、過去に麻薬を使うような末期がんの
患者を見たことがありません」


  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  手遅れのがんでも、何もしなければ最期まで
  痛まない。


 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 あと、さいきんの遺体は腐らなくなったそうです。食品添加物の防腐剤のせいでしょう。





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2つの究極の恐怖が判断を誤らせる [2020年12月22日(Tue)]




 こんにちは! 松井です。
 前回は
「末期がんでも痛まない」
という話をしましたが、
うーん、
たった1例だけで、そんな断言をしていいものか。

 と思ったら、
どうやら断言してよさそう。
続きにこう書いてあります。


       ◇


 「私も老人ホームに移った当時は、がんの末期は猛烈に
痛むものという、医療界の "常識" に毒されていました。
ですから、がん末期の患者が来たら、痛みにどう対処
しようかと、正直ビビりました。(中略)

 しかし、年寄りの手遅れのがんに5例、10例とかかわって
いくうちに、
発見時に痛みはなく、
その後、何の手出しもしなければ痛むことはないとわかった
のです。

 たしかに、 "痛み" があるなら、もっと早い時期にがんは
見つかっていておかしくありません。それが、病院へ行く
きっかけが、痛みではなく、
血を吐いたり、お尻から血を流したり、痰に血が混じったり、
レンガ色の小便が出たり、身体が真っ黄色になったり、
食が細ってやせてきたり、少し動いただけで息切れがする
などだったのです。

 私がこれまで、老人ホームで見てきたがん末期の年寄りは、
60〜70名にのぼります。(中略)
麻薬を使うほど痛んだケースは、一例もありません」

(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/


       ◇


 あらゆる病気のなかで、
がんは別格に恐れられていますよね。

その理由は2つあるでしょう。

 1つは、
がんの宣告はほぼ死の宣告であるから。

2つは、
しかも、のたうち回る最期が待っているから。


 がんの宣告を受けたなら、
まずは、
なんとか冷静にならなければいけません。
大混乱になったままでは、
まともな考えができなくて、医者の言われるままに
なってしまったり、対処を誤ります。

しかし、この2つの恐怖――

精神的苦痛への恐怖と
身体的苦痛への恐怖

――が頭を占めているのに、
冷静になるのはむずかしいでしょう。


 ところが、中村医師のこんな話を聞くと、
2つめの恐怖は誤解とわかります。

となれば、
向き合うべきは、死への精神的恐怖だけ。


 それでも、たいへんなことですが、
2つもあった究極の恐怖が、
1つなくなれば、

がんになったときどう対処するか、
冷静になって判断する余裕が
少しは出るのではないでしょうか。


  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  手遅れのがんでも、何もしなければ最期まで
  痛まない。


 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 わたしもクローン病がひどいときはトイレで下血して
そのたびに「いよいよ腸が破裂したか?」とビビりまくりぶーでしたが、
お世話になっていた松本仁幸先生に電話すると
「その血はどんな色?」
「絵の具で染めたみたいに真っ赤です」
「それだったら痔ろうからだとおもうよ。腸から出たときは
黒い血になるんや」
ときいてホッとしました。
 たしかに、おなかの痛みはなかった。

 お金が底をついてからもう3年ほど無治療ですが、
いま血が出ることがないばかりか
トイレも1日5〜7回となり
史上最高に調子いい。
あのときよけいなことをしていたらどうなっていたことか。





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いざ死と向き合ったとき問われるもの [2020年12月28日(Mon)]




 こんにちは。松井です。
 いざ、がんを宣告された。そのとき、
肉体的苦痛を取り去って考えていいのなら、
向き合うべきがんの苦痛は、
死ぬことそのものの苦痛、
だけ、
となります。

 しかしこれは、大問題だ。
学校のテストでさえ一夜漬けでは落第する。
こんな人生最大のテスト、
いざ宣告されたときじゃ、間に合わない。

いかに、平生(へいぜい)の、
元気な、
いまのうちに、
死への心がまえをバッチリ決めておくかが
問われます。

それをしていないから対処も誤る。


 中村医師はこのことを力説していて、
本の後半に書いてあることはほとんど
死への心の持ち方についてです。

ご自身の死生観を持つうえで
重要だった体験をいろいろ挙げ、
最後にこう結んでいます。


       ◇


 「最後が仏教とのご縁です。
昭和59年、
心臓が2秒半も怠けたかと思うと、
一転して早鐘のように打つという、
かなり強烈な不整脈に見舞われ、
のど元が詰まって
夜中に飛び起きるという発作に、
再三見舞われました。

24時間記録する心電図をとっただけで、
薬という異物を使って
何とかしようとは思わなかったので、
循環器科へ行こうとは思いませんでした。

しかし、生きていくためには、
何か拠り所が必要なのです。
医学がダメなら宗教かということで、
聖書を斜め読みしましたが、
自分の力で生きてきたと信じ込んでいる人間が、
絶対神などおいそれと信じられるわけがありません。


キリスト教がダメなら
仏教かとなったわけですが、
供養だ儀式だといっているシロモノが、
本当に生身の人間の
拠り所になるんかいなと、
ずいぶん懐疑的だったのです。

でも、必死でしたから、
入門書を読み散らかしているうちに、
大変な誤解をしていたことに
気づいたのです。
仏教は、生きるための指針を説いていたんです。
それがわかってからは、のめり込んでいきました」


(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/


       ◇


 そうなると、ちょっと気になることが。
中村医師は、意図的に、書かなかったことが
あるんじゃないか。

 この本を読んでいると、あたかも
「安らかな死に方」ができれば
それが「大往生」である、
ように思わせるふしが見受けられるのですが、

仏教で教えるところは必ずしも
そうではないからです。


 シャカは
三位(さんみ)の臨終】というものを
説いています。
死には、3つの段階があるのだと。
つぎの順番で
ひとは死んでいくとのことです。

(1段階)
 【心明了位(しんみょうりょうい)の臨終
  ……目、耳、鼻、舌、体を
    動かしている心が死ぬ

(2段階)
 【身体愛法位(しんたいあいほうい)の臨終
  ……意識が死ぬ

(3段階)
 【心不明了位(しんふみょうりょうい)の臨終
  ……意識を動かしている心が
    次の世界に転生する


 この3つが順番に起きていくといいます。
臨終の表情が穏やかだからといって、
それが
心のなかを映しているとは限らない。

もはや表情筋を動かす力がないから、
安らかな顔のままで固まっているだけのことで、
内心は、
迫りくる死への恐怖に阿鼻叫喚(あびきょうかん)
しているかもしれない。

もし、そうであれば、
大往生とはいえないでしょう。


 シャカが「往生」ということばを
使うときは、
「極楽浄土に往って生まれる」
という意味です。
もし死んで怖いところに行っているなら
往生ではありません。


 じゃあ、死んで極楽浄土へ往くのか、
阿鼻地獄におちるのか、判断できるか。

そもそも浄土や地獄が、あるのか。

あるなら、自分はどっちへ行くの。

それはいつ決まるの。今なの。
臨終なの。

今なら、何か変わらないといけないの。
このままでいいの。


 少なくともこれらの問題に答案を
提出できるようになっていないと、
試験当日に
とても大往生とはならないでしょう。

 「大往生」
をタイトルにかかげるなら、
そこまで書いてほしかったなあ、
と思うのです。


  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  平生(へいぜい)のとき、
  いつがんの宣告を受けても安心な
  心になっておけるかどうか。
  いざというとき、そこが問われる。


 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 まして一夜漬けの勉強さえすることなく死に突っこめば、
神だのみよろしく医療ビジネスに命ごいをするほかはない。





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