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松井 二郎
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枯れかけた植物に肥料をやる? [2020年11月27日(Fri)]




 こんにちは! 松井です。
こちら、
きょうから本格的に読んでいきますよ。

 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』

 本をひらいて、まず最初に考えさせ
られた箇所が――

(以下は引用)


       ◇


 「『自然死』は、いわゆる "餓死" ですが、その
実体は次のようなものです。

『飢餓』……脳内にモルヒネ様物質が分泌される
『脱水』……意識レベルが下がる
『酸欠状態』……脳内にモルヒネ様物質が分泌される
『炭酸ガス貯溜』……麻酔作用あり

 死に際は、何らの医療措置も行わなければ、
夢うつつの気持ちのいい、
穏やかな状態になるということです。
これが、自然のしくみです。
(中略)
私たちの先祖は、みんなこうして無事に
死んでいったのです。


 ところが、ここ30〜40年、
死にかけるとすぐに病院へ行くようになるなど、
様相が一変しました。
病院は、できるだけのことをして延命を図るのが
使命です。

しかし『死』を、止めたり、治したりすることは
できません。
しかるに、治せない『死』に対して、
治すためのパターン化した医療措置を行います。


 例えば、食べられなくなれば鼻から管を入れたり、
胃瘻(いろう)
(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する手技)
によって栄養を与えたり、
脱水なら点滴注射で水分補給を、
貧血があれば輸血を、
小便が出なければ利尿剤を、
血圧が下がれば昇圧剤を
というようなことです。


 これらは、せっかく自然死が用意してくれている、
ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない
幸せムードの中で死んでいける過程を、
ぶち壊しているのです」

(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344982487/jironosyosai-22/


       ◇


 本当に意識がぼんやりしてくれば
不安も恐ろしさもなくなるのか、
は別の問題で、
そこはあとで論じますが、
少なくとも「肉体はつらくなくなる」と
いうことでしょう。

 引用を続けます。


      ◇


 「私たちは枯れかけている植物に肥料をやるでしょうか。
万一、肥料を与えたとしても吸収しませんから、
植物に害はありません。
ところが、人間の場合は違います。
体内に "肥料" を別ルートから無理やり突っ込むわけです。
いかに、死にゆく人間に苦痛と負担を強いているか、
想像に難くないでしょう」

(同)


      ◇


 寿命としてのがんに対して治療するのは
治療ではなく、
死からの逃避であるらしい。

 これ、「コロナ」「コロナ」と騒ぐのに
よく似ている。
 コロナが怖いんじゃないでしょ。
死が怖いんでしょ。

 死に対して平生から対応する気がなく、
無策だから、
とんちんかんな対応でごまかすのだ。




  ◆まとめ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
死に際は何らの医療措置も行わなければ、
肉体的には苦痛はない。


 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 がむしゃらに行動していれば気分はまぎれる。行動は対応とは限らない。





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