• もっと見る
«栄養剤は遺伝子組み換え食品だった | Main | さよならエレンタール»
ブログ内検索
 
検索語句
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
このブログの著者

松井 二郎さんの画像
松井 二郎
プロフィール
ブログ
著者のホームページ
夢の半分 [2015年06月18日(Thu)]

  ◆続・クローン病中ひざくりげ(116)
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 2014年9月(治療開始から4年4ヵ月)。

 「げっ? 頬(ほほ)が……こけてる」
 体はガリガリになって手足は棒切れ、肋(あばら)が浮き出て胸板が洗濯板になっても、ふしぎなもので顔だけはやつれずにいた。だからよそへ出かけても病人に見られない。手足を見せて初めてギョッとされるのだが、いよいよ頬がこけたとなると、これはただごとではない。体重を計らねば。
 「よ、40キロ?」
 クローン病になって以来の最低記録に近い。呑気なわたしも、さすがに、あせった。
 「栄養剤、もっと、まじめに飲もう」
 1日3包はやはりきつく、2包飲めれば御の字、まあ飲めるだけ飲めればいいやと考えていたが、きっちり3包を義務にするのだ。
 ちなみにこれ、900ミリリットルである。ただの水でもけっこうな量だが、1ミリリットルにつき1キロカロリーあるので、ひとくち飲んだだけでおなかいっぱいになる。それが900キロカロリーぶんあるのである。お味のほうは、つねづね書いているが、たいへんよろしくない。
 さあ、飲もう♪(泣)

          ◇

 しかし、ますます腹は膨(ふく)れ、食欲が落ちた。1日1回の食もいっそう細った。
 だめか。
 やはりエレンタールと食事が腸で混ざり、ガスを生じているのだろう。その原因はわからないが……。
 ここにおいてわたしは、甲田療法のときにも見せなかった、わたしにしてはすごい決意をしたのである。
 もう栄養剤のほかは口にしない!
 一日の唯一の楽しみ、ほんのつまむていどの夕食をも、ついに廃した。エレンタール「だけ」にすれば、1日3包もなんとかいけるし、ガスも発生しないのではないか。
 さあ、飲もう♪(泣)

          ◇

 それでもオナラは減らなかった。
 いや、ますますひどい。夕方から出ていた熱が、朝から出るようになった。頭のなかに靄(もや)がかかっていて、考えがまとまらない。まとまったのに、それをメルマガに書こうと腹這いでノートパソコンをひらいても、這いつくばる力がない。そのまま突っ伏してしまう。仕事ができない。仕事どころか、トイレにも行けない。行けないが、行くしかないので、家具に縋(すが)り、壁を伝って、全身全霊で用を足す。何も食べていないのに朝から腹が張っている。破裂しそうに苦しいのに、座っても出てこない。れいの四つん這いをやるとようやく出るが、ほとんどがガスである。このオナラタイム、ついに15時間の新記録を樹立した。食事と睡眠以外はまる一日トイレにいるのである。
 これは一体どうしたことだ?

 腹も、かつてない激痛だ。腸が、ぱんぱんに、風船のように膨らんでいるのを感じる。
 破裂しそうだ、というのは比喩ではない。
 「腸に穴があくかもしれません」
 医者からそう言われている。そんなことあるもんか、と診察室では聞き流したものだが、なるほどいまならこの風船、割れてもふしぎはない。
 松本仁幸先生からも「腸に穴があいたら、そのときは切らねばならんよ」と念を押されているのだ。
 治すためには兎(と)にも角にも、生きていなければならない。生きるために、それはしかたがないよと。
 ああ、できれば、その前に、治りたい。治りたかった。だが、いまわたしは、紙一重のところにいるようである。
 穴があくのが先か。治るのが先か。真っ暗なレースが、とうぶん続きそうだ。
          ◇

 「今年こそクローン病を治します」
 そう年頭に誓ったのに。トラウマ解放エクササイズもできなくなった。アトピーもきれいに引っこんでしまった。いちばんひどい状態に、戻った。
 いや、いちばんひどい状態を、更新していないか? CRP(炎症の値)も1になり、治ってきていたはずなのに、またしてもリバウンドか。いつまでこれを繰り返すのだ……。
 治すのは自分自身と先生はおっしゃった。心を正しくして、治すのだと。わたしの心は、どこどこまでも曲がっているのか。
 わたしは治らない、ということなのか。

 「レミケードという生き方もあるのよ」
 妻が切り出した。
 「いつまでこんなのが続くの」
 「決まってるじゃないか。治るまでだ」
 「いつ治るの」
 「さあ、あと1年か5年か、10年か、20年かな。とにかく治るまで続けるだけだ」
 「治る治るって、治ってないじゃない。どんどん悪くなってるように見えるけど」
 言い返せなかった。
 「仕事もできなくなって、この先どうするの? わたしの収入なんてほんのちょっとだし、今月は赤字よ。たぶん来月も。わたしたちどうなるの?」
 父から送金してもらっている薬代も生活費にあてなければ回らなくなっていた。
 「……」
 「安倍総理は薬つかってあんなに元気じゃないの。ああいう生き方だって、あるのよ」
 「だからおれは完治をめざしてるんだってば。あんな毒薬、」
 「もう見てらんないのよ!」
 断っておくが、妻は松本医学をわかっている。それどころか、わたしのために毎朝、漢方薬を煎(せん)じ、毎週、鍼灸院まで搬送(はんそう)し、そもそも松本医院へ往復600キロ以上ひとりで車を運転して連れていってくれたのがこの人だ。
 その妻にして、この言(げん)なのである。

 潮時。
 そんな言葉が、頭をかすめていった。

 「……わかった。もうほんとうに仕事ができなくて、生活ができないところまでいったら、そのときは、レミケードをする。約束する」
 夢は、かなわないことも、ある。それはしっている。わたしは夢を追ってきたのだ。かなうと信じて、追ったのだ。まだしばらくは追う。この体がもつうちは。体が、夢を、壊してしまうまでは。
 夢は、しかし――もう、半分はかなったのかもしれない。読者さんに、完治できる方法を紹介できた。わたしは完治できなかった、だけのこと。できることなら、わたし自身が完治するまでをレポートしてみせたら、カッコよかったが、一定の役割は果たせたのではないか。
 「完治させます」との宣言は果たせなかったことになるが……そのときは、読者さんには、心から、詫びよう。

 (つづく)




 ※松本医院での診療を希望される方は
  松本医院ホームページ http://www.matsumotoclinic.com
  熟読のうえにも熟読されてからになさいますよう、
  お願いいたします。




  - PR -




 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 励ましのお便りは、次回までお待ちくださいね。続きがありますから。





 ◆このブログはメールマガジンの記事をアップしたものです。
 最新の記事は、メールでお送りしています。

 無料購読するには今すぐここをクリック