やっと開催でき、山科本願寺跡を巡ってきました。[2022年04月04日(Mon)]
2月、3月の町たんけんは延期になり、やっと3日に開催した町たんけん。
是非とも見て、行って、心のなかに残してほしい・・・で、山科本願寺跡にいってきました。
大人の人でも聞きなれない「山科本願寺」は、蓮如が山科につくったお寺で、最盛期には寺内に3万人もの人が住んでいたそうです。そんな「仏国のごとし」といわれたところが、1532年に焼討にあい、わずか54年で幕を閉じた・・・そのため、山科の人達にさせ、忘れられてしまっているのですね。この日は、雨模様で、どこまで行けるのか、でしたが、敷地の北の部分、約3割ほどを見て歩きました。
山科西友店北出口付近出発→東御坊→戦争で供出の蓮如像を見る
→蓮如廟→中央公園の横にある道から土塁の高さを見る
→中央公園角にある「山科本願寺跡」の立て看板で確認をする
→新しい公園(国史跡)山科本願寺の「蒸し風呂の跡」
「土塁と濠」の断面等を見る
→奥田家(代々西宗寺総代で豪農)の雰囲気を見る
→奥田家を挟んで両側から、土塁・濠跡を見る
→ここから向うの距離も確認(どれだけ、山科本願寺が大きかったか)
→西宗寺(蓮如像、桜と集合写真)
→山科中央公園の土塁に登り、高さを確認する
→山階小学校横から西別院に行き、花まつりの本堂前で、焼香し、甘茶をかけさせてもらう。
そのあと、昼食、桜の下で走り回る
→げんきスポット (地図にシールを貼る、スケッチ、紙芝居で山科本願寺跡の復習、記念に木の工作をする)
一人一言(一年間の振り返りが、夫々からしっかり語られ、ジーンとしました)
→お指図の井戸
→西友山科店北出口横にて解散 傘もささずに、何とか過ごすことが出来ました。
是非とも見て、行って、心のなかに残してほしい・・・で、山科本願寺跡にいってきました。
大人の人でも聞きなれない「山科本願寺」は、蓮如が山科につくったお寺で、最盛期には寺内に3万人もの人が住んでいたそうです。そんな「仏国のごとし」といわれたところが、1532年に焼討にあい、わずか54年で幕を閉じた・・・そのため、山科の人達にさせ、忘れられてしまっているのですね。この日は、雨模様で、どこまで行けるのか、でしたが、敷地の北の部分、約3割ほどを見て歩きました。
山科西友店北出口付近出発→東御坊→戦争で供出の蓮如像を見る
→蓮如廟→中央公園の横にある道から土塁の高さを見る
→中央公園角にある「山科本願寺跡」の立て看板で確認をする
→新しい公園(国史跡)山科本願寺の「蒸し風呂の跡」
「土塁と濠」の断面等を見る
→奥田家(代々西宗寺総代で豪農)の雰囲気を見る
→奥田家を挟んで両側から、土塁・濠跡を見る
→ここから向うの距離も確認(どれだけ、山科本願寺が大きかったか)
→西宗寺(蓮如像、桜と集合写真)
→山科中央公園の土塁に登り、高さを確認する
→山階小学校横から西別院に行き、花まつりの本堂前で、焼香し、甘茶をかけさせてもらう。
そのあと、昼食、桜の下で走り回る
→げんきスポット (地図にシールを貼る、スケッチ、紙芝居で山科本願寺跡の復習、記念に木の工作をする)
一人一言(一年間の振り返りが、夫々からしっかり語られ、ジーンとしました)
→お指図の井戸
→西友山科店北出口横にて解散 傘もささずに、何とか過ごすことが出来ました。