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思うこと、考えること

民だからこそ「公」を担うことができるはず
いろいろな場所でいろいろと感じたこと、思うこと、考えたこと、
答えがなかなか見えないことも含めて、徒然に書いていきます


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亀井善太郎
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リーダー任せのまちにしない/自治体議会改革のヒント [2012年05月09日(Wed)]
「大阪の動きを亀井さんはどう見ますか?」といろんなところで聞かれます。

僕は大阪に住んでいないので、あくまでも外から見た感想ですが、個別には優れた政策提案はしているものの、全体に権力闘争に終始しているというのが、率直な印象です。
まあ、政治の本質は権力闘争ですし、これを傍観者として見れば、出来の悪いTVドラマよりもよっぽど面白いから、多くの人の注目を集めるのでしょうが、その結果、そこに生きる人の暮らしに悪影響が及ぶようになってはどうにもなりません。

いまの地方自治法はいろいろなことができるものになっていますが、その大半を使い切っているとは言いがたいものがあります。
いま盛んに議論されている制度論も、あくまでも地方公共団体間の権限の取り合いの話であって、そこに暮らす住民の生活に直結するものではありません。

以前、大阪都や中京都構想についてブログに書きましたが、当の本人が知事から市長になっても、そこらへんは変わっていないのだと思います。もっと言えば、国政選挙への関わり方の動きを見ていると制度議論をしかけながら、それもやはり権力闘争の一つに過ぎない、そんな見方もできましょう。

何より大切なのは、地域に暮らす人の生活や風土に根ざした政治になっているかどうかなのだと思います。
日々の生活や地域の中に"あるもの"を丹念に探し、それを大切に育て大きくする、そういう視点が欠けていてはまともな政治になりません。
("ないもの"ねだりをして、国からカネと事業を取ってくる政治は最悪です。けっきょく、そのまちに根付かないものを入れて、そのコストを地域の人たちが払わされるのですから。。。)
結局、地味に見えるかもしれませんが、それしかないのだと思います。

さて、今日の本題に入りましょう。

首長によって活発(?)になったり、ならなかったりする自治体の政治ですが、それこそが問題だという話です。

日本の自治体は二元代表制のもとで運営されています。
国が議員内閣制を採っているのとは異なり、首長と議員がそれぞれに住民から選ばれる仕組みです。
実はあまり知られていないことのようですが、自治体においては首長も議員も住民によって選ばれると同時に、クビにされることもできます。鹿児島県阿久根市や千葉県銚子市でそんなことがありましたが、まだまだ事例は少ないですね。
ややもすると、議員と一言で呼ぶと、国会も、自治体も同じだと思いますが、そんな面も含め、大きな違いがあります。
やはり、常に住民がクビにできるというのは、実際にするかどうかは別にして、きわめて大切なことなのだと思います。

そんな議員さんたちによって構成される議会ですが、本当に住民たちと近い関係にあるでしょうか。
自分の後援者や自分の地元地域の人たちとは近い関係はありそうですが、あくまでも議員対支援者(含む予備軍)という選挙をめぐる関係ばかりのようです。

首長や行政が住民に行政への参加を求める話はいろいろなところで聞くことができます。
鳥取県智頭町では100人委員会を立ち上げ、教育、環境、福祉、農業など各分野に関心ある町民を集め討議をし、そこで出たアイディアを町の施策として採用しました。
三重県松坂市では、従来の市民向け「説明会」を市民からの「意見聴取会」に改め、各地のシンポジウムにより、市の施策がより地域で活かされるための声を集める取り組みが続けられています。

しかし、議会が住民の声を取り入れて、その議論を活性化させ、自らの結論に反映させているというのはほとんど聞くことができません。
(僕の不勉強かもしれませんが、おそらく、本件についてはそういうことではなく、本当にないんだと思います。読者の方でご存知のことがあれば、ぜひ教えてくださいませ。)
議会基本条例はつくったが、現実の活動はほとんど何も変わっていないというのが現状です。

これでは、二元代表制の一翼を担っている、また、住民の近くにいて、何人もの議員を擁しているというせっかくの議会の意義を自ら放棄していると言っても過言ではありません。

読者の皆さんの中には議会を傍聴された経験のある方もいらっしゃるかもしれませんが、率直に申し上げて、議会での議論は退屈です。
行政との質疑は一問一答、議員間の自由討議もありません。
これは、いまだに大半の議員が自分の地元に何か施設を作らせるたり、サービスを誘導させるという"箇所付け"型(利益誘導型)の役割しか見出していないからです。
一部では行政の問題を指摘する議員もいますが、行政との情報の非対称性の問題もあって、核心をついた質問はほとんどありません。
(まあ、国会を見ても、自由討議は限定的ですから、地方ばかりを言うのは酷ですが。。。)

議会の本来の役割は、執行者である首長・行政から提案される予算を承認するばかりでなく、承認した予算が実際にどう使われているのか、行政の執行状況を監督することにもあります。
つまり、首長には主に執行、議会には決定をという役割分担が制度上されているわけです。
しかし、現状は、その運用の中で、予算編成権を持っている首長側が圧倒的に優位になってしまい、そこに個別利益の代弁者として少しだけ介入する議員ばかりという構造に陥ってしまい、本来の役割がおざなりになってしまっているのです。

それでは、議会はどうすればよいのでしょうか。
我が国で始めての議会基本条例を導入した北海道栗山町で議会事務局長を務めた中尾さんは3つの原則を達成しなければならないといいます。
まずは、住民を巻き込んだ議論、つまり、住民の知恵、現場の声をもっと議会に取り入れるようにしなければなりません。住民が陳情や請願について議会で見解を述べることができるようにすることが重要です。
次に、行政vs個々の議員ではなく、議員相互の活発な自由討議ができるにして、議論そのものを深める努力が求められます。
さいごに、住民を巻き込み、お互いの活発な議論を通じて見えてきた結論を議会全体の意思として決めることが大切です。そうした意思決定を行えば、決定したものばかりでなくプロセスも含め、議会全体として、住民に報告することも求められます。

とはいえ、この3原則をやろうとして条例をつくったものの、実際はうまくいっていない現状を考えると現実はなかなか難しいようです。
それならば、いっそのこと、議会において、事業仕分けをしてみるのはいかがでしょうか。
以前のブログで国会での仕分けに参考人として参加したときの様子を書きましたが、僕自身の経験からも有意義だと思われます。
僕ばかりでなく、様々な人が参考人として国会の外から参加したことを通じて、議員以外の国民の声や知恵を取り入れることができました。党派の枠を超えて、各々の議員が自由に討議を行い、議論は活発なものとなりました。そして、各委員の判断によって、個々の事業に関する意見が議会として決定されるのです。

もちろん、地方自治体でやる場合には、住民を判定員や仕分け人として参加いただくことも可能になるでしょう。なにより、従来の議会の議論のルールや慣例を自然によい方向に破壊することができることにもなります。

どこかにいいリーダーはいないかしら?
うちのまち、どうにもならないのよね。

多くの方から伺う問いかけです。
僕なら、こう答えます。
誰か一人に任せて右往左往するよりも、議会がきちんと地域経営者の自覚をもち、住民を巻き込んだ団体戦を行政とすることができれば、首長も行政も鍛えられますし、結果として、議会の中から、次のリーダー候補も出てきます。当然、団体戦を経験しているので独善的にはなることもありません。

どこにいるのかもわからない夢のヒーローを探し、そのヒーローに頼った結果、夢が破られる、その繰り返しです。
そんなことよりも、いますべきは、そんなヒーローに頼り切るのではなく、いまそこにいる人による愚直な取り組みです。

一人の一歩より、百人の一歩。

皆さんも、自分の自治体の議会、あきらめるばかりでなく、議員たちが一歩づつ踏み出せるように働きかけてみてはいかがでしょうか。


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イベントのお知らせ

1.日本学術会議シンポジウム「大都市改革の新たな展開」

●日時 2012年5月12日(土)13:30〜16:45
 (一般公開、入場料は無料。先着順に当日受け付けます。ただし定員300名)
●場所 日本学術会議講堂(東京都港区六本木7−22−34)定員300名
 03−3403−5706 (地下鉄:東京メトロ乃木坂駅3分)
●プログラム
≪第T部・講演≫
13:30〜13:35 開会挨拶 猪口邦子(日本学術会議政治学委員長)
13:35〜14:05(30分) 基調講演T「都区制度の現状と課題」大杉覚(日本学術会議連携会員、首都大学東京教授)
14:05〜14:35(30分) 基調講演U「大阪都構想の実践と課題」上山信一(慶應義塾大学教授)
14:35〜15:05(30分) 基調講演V「大都市と特別自治市構想」林 文子(横浜市長)
(休 憩)
≪第U部・パネルディスカッション≫
15:15〜16:45(90分)「大都市改革の新たな展開を考える」
パネリスト 林 文子(上掲)
上山信一(上掲)
大杉 覚(上掲)
小林良彰(日本学術会議副会長、慶應義塾大学教授)
亀井善太郎(東京財団研究員・政策プロデューサー)
永久寿夫(政策シンクタンクPHP 総研・研究主幹)
コーディネータ 佐々木信夫(日本学術会議会員、中央大学教授)

詳細はこちら


2.東京財団週末学校(市区町村人材育成プログラム)公開セッション
「私たちはここから日本を変えたい〜首長達と語る地域に最適な行政」

【日時】 2012年5月19日(土) 13:30−15:30 (受付13:00〜)
【会場】 日本財団ビル2階 大会議室(港区赤坂1-2-2)
【テーマ】 「私たちはここから日本を変えたい 〜首長達と語る地域に最適な行政〜」
【登壇者】
     伊澤史夫 (千葉県白井市長)
     片山健也 (北海道ニセコ町長)
     中山弘子 (東京都新宿区長)
     松島貞治 (長野県泰阜村村長)
【モデレーター】
     亀井善太郎 (東京財団研究員・政策プロデューサー)

詳細はこちら



Posted by 亀井善太郎 at 13:45 | この記事のURL
当事者として考えられるように/社会保障制度改革の本質 [2012年04月27日(Fri)]
まずはイベントのお知らせです。

ひとつめは5月12日の日本学術会議のシンポジウムです。
「大都市改革の新たな展開」と題して、大阪市のブレーンの上山さん、横浜市長の林さん、PHP総研の永久さんたちとの公開シンポジウムに登壇します。

●日時 2012年5月12日(土)13:30〜16:45
 (一般公開、入場料は無料。先着順に当日受け付けます。ただし定員300名)
●場所 日本学術会議講堂(東京都港区六本木7−22−34)定員300名
 電話1(プッシュホン)03−3403−5706 (地下鉄:東京メトロ乃木坂駅3分)
●プログラム
≪第T部・講演≫
13:30〜13:35 開会挨拶 猪口邦子(日本学術会議政治学委員長)
13:35〜14:05(30分) 基調講演T「都区制度の現状と課題」大杉覚(日本学術会議連携会員、首都大学東京教授)
14:05〜14:35(30分) 基調講演U「大阪都構想の実践と課題」上山信一(慶應義塾大学教授)
14:35〜15:05(30分) 基調講演V「大都市と特別自治市構想」林 文子(横浜市長)
(休 憩)
≪第U部・パネルディスカッション≫
15:15〜16:45(90分)「大都市改革の新たな展開を考える」
パネリスト 林 文子(上掲)
上山信一(上掲)
大杉 覚(上掲)
小林良彰(日本学術会議副会長、慶應義塾大学教授)
亀井善太郎(東京財団研究員・政策プロデューサー)
永久寿夫(政策シンクタンクPHP 総研・研究主幹)
コーディネータ 佐々木信夫(日本学術会議会員、中央大学教授)

詳細はこちらをご覧くださいませ。

ふたつめは東京財団週末学校(市区町村人材育成プログラム)の公開セッションです。
「私たちはここから日本を変えたい〜首長達と語る地域に最適な行政」と題して、4人の首長たちに、地域の多様性を生かした行政について、お話を伺います。
リーダーの大切な役割のひとつに「解決すべき課題をきちんと設定する」ことがあります。彼らがどんなモノの見方で課題を設定し、地域の力を使ってどのように解決しようとしているのか、そんなお話を聞ければと思います。

【日時】 2012年5月19日(土) 13:30−15:30 (受付13:00〜)
【会場】 日本財団ビル2階 大会議室(港区赤坂1-2-2)
【テーマ】 「私たちはここから日本を変えたい 〜首長達と語る地域に最適な行政〜」
【登壇者】
     伊澤史夫 (千葉県白井市長)
     片山健也 (北海道ニセコ町長)
     中山弘子 (東京都新宿区長)
     松島貞治 (長野県泰阜村村長)
【モデレーター】
     亀井善太郎 (東京財団研究員・政策プロデューサー)

詳細はこちらをご覧くださいませ。

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さて、今日の本題です。
政策とはほど遠い政局で停滞する国政ですが、議論されるべきことはたくさんあります。
例えば、いまの借金の現状を考えれば問題を先送りするわけにはいかず増税はやむをえない判断でしょうが、問題はその使い道であり、社会保障改革をどうするかです。

すでに何度も申し上げてきたとおり、制度の違いによって生ずる格差と世代による給付と負担の違いをどう是正していくのか、それこそが重要です。
ところが、そうした問題は置き去りにされてしまっているのが現状です。

そこらへんの問題提起はこちら(↓)をご覧ください。
税と社会保障制度の抜本改革を考えるうえでの7つのポイント

例えば、読者の皆さんが加入している健康保険はどんな種類でしょうか。
そして、皆さんが負担している健康保険の料率はどのくらいでしょうか。
天引きや請求されるままなので金額は認識しているが料率はご存知ないかたがほとんどでしょう。
例えば、中小企業の従業員が加入する"協会けんぽ"という健康保険がありますが、ここには税金が入っています。
財政状態が厳しいとはいえ、税金が入ってしまっていては、職場の仲間で助け合うという意識も希薄になりますし、医療費の高騰を抑制する意識も生まれません。

日ごろいろんなことで議論をさせていただいている日本総研の西沢さんが作成した一枚の表があります。

img_099eb2d66fc2af6611ff8987d35f321e65523.gif
↑表をクリックすると大きくなります。

この表は健康保険と介護保険の間のカネの流れを示したものです。
特定の制度に税が投入していますし、それぞれの制度の間をカネが行ったり来たりしていて、この全容をつかむことは容易ではありません。
じつはこの表は西沢さんの努力の賜物で、これと同じものを政府の各セクションが公表しているものから作成しようとするととんでもない手間と時間がかかるものです。

西沢さんの連載はこちら

そもそも、保険と税の違いは何なのでしょうか。
払う側、とくにサラリーマンからすればどちらも天引きされるので同じ感覚かもしれませんが、それぞれの性質は元来異なるはずです。
ところが、いまの社会保障制度は、健康保険にせよ、年金にせよ、これらがドンブリ勘定で運営されているのです。

保険料は何に充当するのか。
税金は何に充当するのか。

そうしたことの区別をきちんとつけなければ、受益と負担の関係も明らかになりません。
なにより、私たち自身が、医療や年金の当事者として考えることができません。

この問題は政治主導が進まないことにもつながります。
政治家が厚生官僚と同じくらい制度に詳しくなればよいと言う人がいますが、結局そうなれば、制度に最適化した発想をしてしまい、主客逆転してしまうことになり、まさに○○族の誕生ということになるわけです。

大切なことは私たちが当事者としてモノを考えられる制度にすることです。

まずは、上に示した表のような複雑な仕組みをやめることがスタートでしょう。
それができれば、制度間の問題、さらには世代間の問題をどうやって解決するのか、処方箋を見出すことができるようになります。

連休明けには特別委員会での審議が始まります。
官が治める制度ではなく、民が治める制度に。
そのための本質的な議論を期待したいものです。




Posted by 亀井善太郎 at 12:00 | この記事のURL
本当の政治主導を実現するために/平さんとのカフェスタ [2012年04月16日(Mon)]
平将明代議士のおさそいでカフェスタというインターネット生中継動画に出ました。
生放送は今日の正午から30分ほど。
平さんと日ごろから話している、本当の政治主導を実現するために、政治が何を改めるべきなのかということをお話しました。

自民党でも屈指の政策通である平さんとのディスカッションだったので、30分という短い時間ではありましたが、濃密な時間となりました。

今日の動画はこちら(youtubeu-stream



主な話としては、
1.マニフェストの誤解と本来の姿
2.政党のガバナンス不在と政党法の必要性
3.将来推計を政策にきちんと活かすために
の3つです。

民主党の選挙時の対応とその後の政権運営ですっかり"時代遅れ"の烙印を押されてしまった「マニフェスト」ですが、おかしいのは、いまの政治における使われ方であって、選挙での国民との約束をその後の政治にきちんと反映するというのは間接民主主義の基本です。
公約がマニフェストになり、それがまた違う言葉になったとしても、国民との約束をどう守っていくのか、その約束はどういうものであるべきかは、もっときちんと考えられなければなりません。

マニフェストの話は以前、短いレポートにまとめ、シンクタンクやメディアの論客を招いたフォーラムも開催しました。
・マニフェストをどう読むべきか? −国民の「問いかける力」こそが政策をつくる−
・マニフェスト再考(東京財団フォーラム)

マニフェストを通じて見えてくるのは、いまの政治がマトモなプロセスでモノゴトを決められない現実です。

本来、あるべきマニフェストとは、目指すべき姿(国家ビジョンや理念)、各種の政策目的の明確化、優先順位付け、具体的な政策への落とし込み(予算、税制、法規制の組み合わせ)というような政策を考えるプロセスがきちんと読み取れるマニフェストです。
ところが、これまでのマニフェストを読むと、政策目的とその優先順位について説明が書いてあるものはほとんど存在しませんでした。
結果として、単なる個別政策の寄せ集めに抽象的な理念をくっつけただけのものになってしまっているのです。

また、マニフェストを見て痛感するのは、政治の「政策軽視」です。
この国の問題を根本から解決するための政策というよりは、選挙で大衆の受けを狙った、「思いつき」ベースのものが多いのが現状です。
従来型の政治は、霞が関が書いたシナリオに乗っていればよかったかもしれません。
しかし、今は違います。我が国のいたるところで起きている問題の原因は複雑化しています。
財政も厳しく、もはや、大半の問題が省庁の枠の中で解決することはできません。
ましてや、省庁から集めてきたネタをホチキス綴めしたような政策集では話にならないのです。

こんな時代だからこそ、政治家が本来のリーダーとして動かねばなりません。
問題の本質を捉え、問題解決のための政策とリソースを、省庁の枠組みを超えて動かす指導力を発揮しなければなりません。
小泉政権時代、官邸が指導力を発揮し、あるいは、経済財政諮問会議といった省庁の枠を超えた場を活用して、政治主導で様々な問題解決策としての政策が生まれました。
成果については様々な批判もありましょうが、政治のリーダーシップを発揮させるという意味では見るべき点が多いと思います。

私たちが、道具であるマニフェストをしっかり見ることができれば、書き手である政治家の力量を今までよりもはっきりと見極められるはずです。

「政党ガバナンス」については、以前、構想日本のフォーラムでお話しました。
・第158回J.I.フォーラム 政党の自己統治能力(ガバナンス)の確立を

政党の意思決定はどうなっているのか、とくに今の政権与党はこの3年間迷走を続け、まったく明らかになっていません。自民党のような決め方がベストだとは思いませんが、不透明なのは問題です。
また、国民新党のゴタゴタのように、外から見たら、まったく理解不能なことが現実におきているという問題もあります。

我が国では、「政党交付金を受ける政党に関する法人格付与に関する法律」という特殊目的のものを除いて、政党運営全般について定めた法律はありません。
そして、この法律は一定の要件を満たせば政党を"公益法人"と擬制して、通常の社団法人や財団法人と同視するだけです。
政党助成金という国民の税金(国民一人あたり300円くらい)を受け取っていること、そして何よりも、日本の舵取りに直接影響を与えることなどを考えれば、その組織や意思決定、機関、政策綱領・マニフェスト決定、選挙に関する候補者選定、事業計画立案、予算管理など団体としての基本事項について、最低限の基準を定めるのは当然のことです。
ドイツや韓国など諸外国では、こうした趣旨のもと、「政党法」を制定しています。

政治とカネの問題、国民との約束であるマニフェストの問題、代表選や総裁選のあり方等々、政治の多くの問題は、実は我が国の政党のガバナンスが未成熟だからと考えることもできます。

こうした根本の問題でありながら、政治家にとっては、自分自身のことで、より厳しいことを要求されるからなのか、そもそも、そうしたことに無頓着な人が多いからなのか、前向きな議論にはならないのです。
そういう意味で、現役の国会議員から、政党法に前向きな発言が出てきたのは歓迎すべきことです。

最後にお話したのは「将来推計」の問題です。
これは、最近、何度もお話していることですが、マニフェストにも、政党ガバナンスにもつながる話です。
・将来推計の抜本見直しを −日本の経済財政社会保障に関する将来推計の課題と将来像

マニフェストについて言えば、オランダでは、選挙の際に、各党のマニフェストが実行されれば、財政にどんな影響があるのか、試算を出します。
そもそも、いまのマニフェストは、財政への影響を殆ど無視しているのが大きな問題です。
政策を実施するということはコストがかかります。そこをちゃんと見積もっておくという意識が希薄なことが、いまのマニフェストにも、将来推計に対する関心の低さにも現れているのだと思います。

今日の収録でもお話しましたが、いまの政治を飛行機の操縦に例えれば、高度や風向きを知る"計器"がまったくない状態で後ろに座った官僚の指示に従って、政治家が操縦かんを握っている感じです。
おまけに官僚からの指示は国益よりも省益丸出しのものが多いですから、そりゃ、まともな政治にはなかなかなりませんよね。

「本当の政治主導」のために何を実現するべきか、どれも重要なことばかりです。
どこかからか優れたリーダーが出てきて世の中をよくしてくれると考える人は多いですが、人間の能力なんてものはそんなに大差はないはずで、僕は危うい期待だと思っています。
それよりも、こういう仕組みの改善を愚直に行っていくことが重要だと思うのです。

Posted by 亀井善太郎 at 17:20 | この記事のURL
住民は「お客さま」ではない/主権者と行政の関係 [2012年04月12日(Thu)]
この土日、東京財団週末学校(市区町村人材育成プログラム)の面談審査を行いました。
面談審査というのもおこがましい話です。私たちの能力やキャパシティなどの問題もあって、希望されたすべての方に来ていただくことができないのは本当に申し訳ないことだと思っています。

自治体職員の皆さんとお話するのはとても勉強になります。
いろんなことをやってはいますが、やはり現場で毎日頑張っている人からは教えていただくことは目からウロコばかりです。
今日は、この両日で感じたことをちょっとだけ書いておきたいと思います。
(ちなみに、以下の話は面談審査の内容や結果とはまったく関係ありません。誤解なきよう。)

住民のことを「お客さま」と呼ぶかたが何人かいらっしゃいました。
なぜ「お客さま」と呼ぶのでしょうか?

「客」という言葉について、広辞苑で調べてみました。
@訪問してくる人。まろうど。「客人」「来客」
A主に相対する地位。主人の側でないもの。「客分」「客員」
B自己に相対するもの。「客体」「客観」
C旅中にある人。旅人。「旅客」「客死」
D一道に長じた人。「論客」「剣客」
E料金を払って物を買い、または見物し、或いは乗物に乗る人。「顧客」「観客」「乗客」
Fすでに過ぎ去ったことを表す語。「客年」
G接待のための道具を数える語「吸物椀五客」

さて、ここで使われた「お客さま」はどの意味なのでしょう。
消去法で考えてみましょう。
人ではないのでFやGでないのは明らかです。
また、人であってもCもDも違いますね。
@も違いそうです。窓口や役所に来た人だけを語っているようには思えません。
Bは「お客さま」と呼ぶ時の意味ではありませんね。広くはありえますが、あまりに漠としています。

そうなるとAとEが残ります。
A主に相対する地位。主人の側でないもの。
E料金を払って物を買い、または見物し、或いは乗物に乗る人。

Aだと考えているのだとすれば問題です。
主権者である住民を、この意味で「客」としてしまってはいけません。
まさに主客逆転、大本のところがわかっていないということになってしまいます。

Eも問題です。
住民に税金というコストを払ってもらい、役所はそのコストで住民にサービスをする。
サービスの担い手である役所とサービスの受け手である住民がいる。
そんな構造で「お客さま」と呼んでいるなら、とんでもない勘違いです。

どの意味で考えても「お客さま」はおかしな言葉です。
これは言葉だけの問題ではないと思うのです。

いつから市役所はサービス業になってしまったのでしょう。
いつから市民はサービスを受ける立場、行政はサービスを提供する組織になったのでしょう。

自治体職員が住民を「お客様」と呼ぶ意識の根底にどんなものがあるのでしょうか。
その言葉の根底には、自覚しているかどうかは定かではありませんが、あなたたちは「たんなる」お客様なんですよという気持ちがあるのではないでしょうか。

本来、「主権者」であるはずの住民が、いつのまにか「お客様」になってしまいました。
「お客様」は提供されたものに文句を言うことはできますが、提供されるものを決めることはできない、それは、もはや「主権者」ではありません。

選挙に行くよ、ちゃんと働いて税金も払っているし、憲法に書いてある教育を受けさせる義務も果たしているよ、それが主権者の義務じゃないのという人がいるかもしれませんが、それは一部を担っているだけです。

これは役所の問題だけでもなさそうです。
そもそも、憲法に書いてある「国民が主権者である」という意味をどれだけの人が真剣に考え、実践しているのでしょうか。
本来、主権者とは、よりよい社会や国をつくるために主体的に、自分自身のこととして、判断し、何かを担おうとする人です。

役所の職員がお客さま扱いするのも問題ですが、私たちの問題もあるのかもしれません。

主権者がお客さまになってしまったが故に深刻な問題として財政危機があります。
お客さまに、きちんと説明して納得して我慢してもらうよりは、大盤振る舞いをして喜んでもらうほうが楽だと行政は考えたのではないでしょうか。
当然、大盤振る舞いのツケはお客さまに回るのですが、将来に先送りすれば、いまのお客さまは何も文句は言わないので、行政は楽です。
そういえば、将来推計の問題も大盤振る舞いを行政が楽に進めるための装置だったのかもしれません。

当事者から外されてまつりあげられた住民とだまって仕事を拡大してきた行政・・・。
「お客さま」という一言から見えてくる深い深い問題です。

住民も、自治体職員も、何気なく使っている言葉も含めて、自治の本質をもう一度考えるべきです。
大切なのは、住民自身が地域をつくる担い手になることです。
そのためには、住民が自分のこととして考え、行動しなければなりません。
自治体職員はそのためにサポートできることを考え、具体的な動きにつなげていかねばなりません。

これを読んでいるあなた、「お客さま」と呼ばれて「ここの役所は丁寧だ」なんて喜んでいたら、それこそ主権者になることは永久にないでしょう。
その一言が命取りですよ。



続きを読む...
Posted by 亀井善太郎 at 22:05 | この記事のURL
コトの本質がわかっていない/消費税増税修正原案 [2012年03月21日(Wed)]
3月はいろんなことがあってずいぶんとブログを放置してしまいました。
facebookはそこそこアップしているのですが、ブログしか読んでいない方々、ごめんなさい。

さて、すでにfacebookにも書いたのですが、大切なことなのでブログにもアップしておきたいと思います。

先週から与党内で議論されていた消費税増税関連法案の原案が明らかになったそうです。

「歳入庁」創設を明記 民主、消費増税修正原案 2012年3月21日 19時34分

 民主党は21日夕、社会保障と税の一体改革に関する「合同会議」を開き、消費税増税関連法案について協議した。前原誠司政調会長らは党内の増税慎重、反対両派に配慮し、法案付則に年金保険料と税金を一体的に徴収する「歳入庁」の創設を明記、税率10%超への再増税に関する法制化時期をあいまいにした党修正原案を示し、了承取り付けを目指す考えだ。

 経済状況によって増税を一時停止する「景気条項」には、政府が新成長戦略で「名目3%程度、実質2%程度」の経済成長率を目標としていることは書き込むが、増税停止の条件とはせず総合判断の材料の範囲にとどめる。
(共同)


コトの本質がまったくわかっていないと言わざるをえません。

まず第一に、将来の再増税、つまり10%超に関する付則をつけるかどうかという問題ですが、法制化時期をあいまいにしようが明確にしようが、これは行政が立法(=国民の代表者)の決定権をしばるものです。
財務省としては、将来の増税に向けたレールをひいておきたいところなのでしょうが、立法府、つまり、国民からすれば大きなお世話です。
本当に将来の増税を織り込むならば、増税が必要という具体的な根拠を示し、現時点できちんと議論し、それを法案に書き込むべきです。
将来見通しもありません、でも、いずれはまた増税するしかないですよねというのは、ふざけた話です。
(ちなみに、繰り返しになりますが、将来見通しがないというのはこちらに問題提起していますのでぜひご覧ください。)

結局、行政の考えの根底にあるのは国民を信頼していないし、その代表者も信頼していないということです。
これを巡って紛糾していると連日報道されていますが、それ以前の話で、議論している彼ら自身が立法府の一員であるという自覚があるのか疑われる話です。

もうひとつの問題は、歳入庁の創設です。
税金と保険料の徴収を一つにして、政府部門をリストラしましょうという民主党の主張ですが、肝心のところを忘れています。
日本の税の徴収は国の納める税金と地方自治体に納める税金に大別されます。
税や保険料の徴収を一つにするならば、地方自治体の徴収機能をどうするのか、きちんと考えておかねばなりません。この記事では実際のところは判断できませんが、これまで伝えられてきた報道では、そうした観点は希薄なように感じます。
先日の独立行政法人改革の議論もそうでしたが、最近の政府与党は、表面的に組織の数を減らす、いわば数合わせが多いように思います。
長年の一党支配からせっかく政権交代したのですから、表面的なパフォーマンスではなく、将来の評価にも耐えうる、国全体のリソースの最適化を図る政策の打ち出しができないものかと残念に感じるのです。

それにしても情けないのは、メディアがこういう解説を決してしないことです。
勉強不足も甚だしく、政治家といっしょに政局に振り回されています。
彼らが言わなくて、誰が問題提起できるのでしょうか・・・。
Posted by 亀井善太郎 at 20:55 | この記事のURL
政府案の問題/科学技術政策の司令塔 [2012年03月06日(Tue)]
先日、経済同友会が提言を出しました。
科学技術政策の司令塔の改革に関するものです。
経済同友会とは、シンポジウムの開催、経済同友会での研究会での講演等、いろいろな形でコミュニケーションをとっていましたし、問題意識も共有していました。
こうした形で、科学技術政策に大きな影響を受ける経済界から政策提言が出てきているのは意義深いことです。

経済同友会提言「科学技術イノベーションの実現のために真の司令塔機能強化を」

本提言でも問題提起されている「科学技術政策の司令塔改革」ですが、いよいよ国会での審議も始まります。
政府が昨年12月にまとめた「科学技術イノベーション政策推進のための有識者研究会報告書」を元に政府案が出され、これをベースに議論が進みます。

今日は、この政府の報告書の問題がどこにあるのか、書いておきたいと思います。

細かく言えばキリはないのですが、ポイントは5つです。

1.これまでの反省を棚上げした組織の水脹れで、組織改正の根拠が明らかでない
○国家戦略と一体化すべき等の基本的な問題意識に大きなズレはないが、従来の科学技術
 政策の課題が明らかになっておらず、何を改めるべきか、その根拠が曖昧
  - 何ができていて、何ができなかったのか、それはなぜか
○組織改正の主眼である“責任を有する組織(主として閣僚から構成される組織)”と”検討
 を行う組織(諮問会議(仮称))”の二重構造化や“科学技術イノベーション顧問”新設の
 理由や意義が不明
  - 意思決定プロセスが複雑化する懸念
  - 新設の”顧問”に至っては各省の代理人化する懸念も

2.司令塔を一本化するならば、文科省の役割の見直しにも踏み込むべき
○従来からの「頭脳の二重構造」の問題はまったく手付かず
  - 科学技術基本計画を総合科学技術会議と文科省双方で審議した等の例
○本来、文科省設置法の見直しも不可欠のはず
  - 文科省設置法第4条(企画立案機能、事務調整機能等)、第6条(科学技術・
   学術審議会)、第7条(調査等)等

3.科学技術イノベーションとひと括りにしたことにより、ますます評価ができにくくなるおそれ
○これまで科学(基礎科学)と技術開発(応用開発)を混在させたため、評価不在となり、
 結果的に、科学技術政策に関わる歳出の効果を測定できないことに
  - 「世界一」や「生命線」といった情緒的な言葉が政策決定の根拠となる事例多数
○まずは科学と技術開発を分けた上で、それぞれに関する評価手法を確立し、この評価に
 基づいた検討と意思決定が不可欠

4.もっとも重要な「人」について、具体策が不足している
○事務局機能の強化、科学技術政策人材の不足を踏まえたキャリアパスの充実、このため
 のルールの整理等を挙げていることは評価できるが、具体策は不明
○もっとも重要な課題である「死の谷」を超えられず社会的な成果が出せないのは産業や
 雇用サイドのニーズ把握が不十分だからで、そのためには最前線で努力している民間の
 人材を活用する等、構成員の人選を工夫する必要がある
  - 従来型の学術界や経済団体のあがりポストでは、従来とまったく変わらない
  - 民間(産業)人材の積極的活用が不可欠
  - そのためには選定プロセスのオープン化等が必要

5.本報告書とりまとめプロセスが不透明
○日程も過密、パブリックコメントを実施しない等、拙速かつ不透明な印象
  - 第1回(平成23年11月11日)
  - 第2回(平成23年11月16日)
  - 第3回(平成23年11月29日)
  - 第4回(平成23年12月5日)
  - 第5回(平成23年12月19日)

------------------------------------------
1は本報告書の根本的な問題です。
先日の論考に書いたとおり、科学技術政策を国家戦略と一体化すべきという主張は重要です。
しかし、何がダメで、なぜそうなってしまったのか、これまでの反省がまったくありません。
以前の提言にも書きましたが、これまでの科学技術政策の問題、とりわけ、司令塔の改革がなぜ必要なのか、そこをきちんと書かねばなりません。
民主党マニフェストに書いてあるからというだけでは、これだけの政策の転換の理由とはならないはずですし、それこそ、民間の有識者を集めた研究会の意義も疑われるばかりです。
そんな検討状況では、新しく設置される"科学技術インベーション顧問"や二階建ての会議の意義は
"思いつき"と批判されても仕方がないかもしれません。

2も重要です。
これまでの問題のかなりの原因を占めている文科省との「頭脳の二重構造」の問題に手付かずなのも疑問です。
科学技術基本計画というビジョンを双方で審議してきた等、司令塔の一本化にまったく逆の方向を向いてきた問題にメスを入れないというのはありえないことです。
(「頭脳の二重構造」については論考「いまこそ科学技術政策の議論を」をご覧ください。)
303_1.jpg
なんとしても、文科省の権限の見直しを行うため、文科省設置法の改正にも取り組まねばならないのです。

3もこれまでの問題を反省していないことによる問題かもしれません。
本来、科学(基礎科学)と科学技術(技術開発、応用開発)は分けて評価されなければなりません。
ところが、我が国の科学技術政策は、"あえて"これを混在させ、その評価をされないように仕向けてきました。
「我が国の生命線」や「夢と希望」、「世界一」といった情緒的な言葉が政策決定の根拠となってきたのです。
これまでのごちゃごちゃにさらに"イノベーション"が加わってにひと括りにするのは危険なことです。
経済同友会の言うように、具体的な製品として世の中に出る技術開発や応用開発は、評価手法を確立し、この評価に基づく意思決定がされねばなりません。

4は"人"に関する問題です。
結局、立派な制度を作っても、それを動かすのは"人"です。
いまの科学技術政策の多くの問題は圧倒的な人材不足によるものです。
いまの社会のニーズがよくわからない人が政策を動かすのでは、結局、従来通り、"死の谷"を超えられない(研究や開発したものが世の中に出ない、社会に貢献できない)状況に陥ります。
司令塔の構成メンバー(現在であれば総合科学技術会議の"議員")はもとより、これを支えるスタッフの充実も取り組まねばならない課題です。
有識者研究会報告書では問題提起はされていますが、具体策は曖昧ですし、肝心の民間人材の登用についてはその工夫が明らかになっていません。
これまで通りの大学のエライ人(学内行政に優れた人)、経済団体から数名といった選び方では世の中の動きについていくことができません。

最後の5はプロセスの問題です。
これは上に書いた有識者研究会のスケジュールを見れば明らかです。
パブリックコメントも実施していません。
研究開発の現場はもちろん、経済や産業にも大きな影響を与える、これだけの大きな政策変更を拙速に進めたのはなぜなのでしょうか。
結論はじめにありきの官僚主導で進めたのではないかと疑念がもたれます。
まさか、自民党時代にもあったかというような旧来の審議会のようなやり方をいまだにやっているというのが信じ難いばかりです。

以上のように政府案のベースとなる有識者研究会は問題だらけです。
国会でも、こうした議論が行われるものと信じますが、経済界の指摘も踏まえ、まともな政策検討となるようにしなければなりません。
Posted by 亀井善太郎 at 10:47 | この記事のURL
政治に対する国民の信頼、国民に対する政治の信頼 [2012年03月01日(Thu)]
canpanブログのリニューアルでブログ更新がしばらくできず失礼しました。

先日、福島第一原発事故に関する政府の対応を検証する民間事故調の報告が公表されました。
メディアの報道はこれ一色でした。
報告書は分厚いもので全部は読めていませんが、率直に驚いたのが、関係した政治家が皆さんよくしゃべることです。
中曽根さんは政治家は歴史の法廷に立っていることを常に自覚して行動しなければならないと言っていました。まったくそのとおりです。
政治家の行動が正しかったかそうでなかったかを判断するのは後世です。
誤解を恐れずに申し上げれば、発した言葉や時々の行動はどうでもよく、その結果がどうなったのかだけが大切なことです。
政治家が自分の行動を振り返り語るのは自己弁護です。政治とは権力を行使するわけですから、全部が透明でできるはずもありません。また、すべてを明らかにしてしまうことが最善であるはずがありません。
こういうなんでもしゃべる政治家というのはどうも気持ち悪いと思うのです。

さて、今日の本題です。
ブログが更新できない間はfacebookにいろいろ書いてきたことでもあります。

将来推計の課題に関する政策提言を出してから、国会議員の皆さんとずいぶんと意見交換しています。

そんな流れで、先日、自民党のある若手代議士と議論する機会がありました。
将来推計の課題はもちろん、個別の政策課題についても議論が及びます。
とても充実した議論でしたが、終わってみればテーマは二つでした。

・政治が国民から信頼されていないこと。
・政治が国民を信用していないこと。

前者はそれがためにさまざまな政策が支持されず、実現できないという問題を招いています。
震災後の対応も、税制改正も、予算もそうですね。突き詰めるとここに行き当たります。
たしかに深刻な課題です。

僕から問題提起したのは後者の話です。
政策の是非を判断するのに必要な情報が国民に開示されていない。
こうした材料を出さないのは政治(政治家も官僚も)が国民を信頼していないからではないか。
政治に対する不信も厳しいが、こういう時だからこそ、情報をしっかり公開しなければならないのではないか。
将来推計の話はそこでつながるのです。)

それができれば、この国にいつもある「どこかから優れたリーダーが出てきて自分たちの生活をなんとかしてくれる」という漠然とした期待は小さくなるのではないかとも思うのです。
(そういう意味では水戸黄門が終わったのは、日本の民主主義の発展のためにはよいことだと思います。)

もちろん、その代議士は国民を信頼しています。
だからこそ、僕の問題提起、最初はキョトンとしていましたが、腹に落ちてからは、まったくそうだ、そのためには何をしたらよいのかという話に進んでいきました。

こういう時だからこそ、後者から始めるしかないと思います。

政治が国民を信頼する。
そのためには、国民がきちんと判断できる情報、それは政治家のパフォーマンスとかではなく、自分たちの国や地域がいまどうなっているのか、また、将来どうなるのかを具体的に伝えることが必要なのではないでしょうか。

地域に暮らす人々と地域の行政のことをいっしょに考えたことがあります。
考えるのに必要な情報がきちんと共有されれば、民主主義はきちんと機能します。

いま、多くの政治家は政治に対する信頼が無いことを嘆いています。
嘆くばかりでは何も変わりません。まず自分たちができることから。
迂遠と思われるかもしれませんが、それしか方法はないと思うのです。

Posted by 亀井善太郎 at 12:18 | この記事のURL
歪みを見破る人、見破れない人/年金試算が公開されて [2012年02月13日(Mon)]
先日のブログに書いたとおり、先週金曜日に民主党による年金試算が公表されました。

こういう紙が出てきて、そこにある意味をきちんと読める記者が減っているような気がします。

大半の記者が政治家と役所の反応をそのまま書いているだけです。
読売新聞は11日付の社説で一体改革から削除せよと言っています。誰を向いて記事を書いているのか、ホントに情けないかぎりです。

新年金制度案 一体改革の素案から削除せよ(2月11日付・読売社説)

その中でも日経だけは、この紙の持つ意味をきちんと読み取り、正確に伝えています。

突っ込みどころ満載 民主年金試算、理念見えず (2012/2/11 1:15 日本経済新聞)

記事の最後にこう書いてあります。

試算が罪深いのは、年金改革による消費税の増税幅が独り歩きし、改革をより難しくしてしまう心配があることだ。納税者が一体改革による消費税の増税方針と混同すれば、財政再建への一里塚にすぎない10%への引き上げ方針にも悪影響をおよぼす。民主党は新年金の創設を一体改革の延長線上にある課題と定め、その理念と将来負担の大枠を早く示さなければならない。

僕のブログのように「"税負担の拡大のみ"を強調したもので、これによって、そんなに消費税が上がるんなら制度改正はできないと断念させるという意図がある」とか「情けないのは、厚労省が出してきた資料を読んだ政治家が、その意味を理解できなかったこと」とダイレクトには書いていませんが、同じ趣旨です。

本来、推計が出てくれば、どんなロジックやパラメータ(変数)によって、この政策はうまくいくと見込んでいるのか、そこに恣意性は無いのか、そんな議論が行われなければなりません。

しかし、この国では、「消費税率の上げ幅」という、結果の一つに過ぎない数字だけを見て、「これならできない」とか「そんなにあがるんなら・・・」といった思考停止に陥るのです。

結局、こういうことに将来推計が使われているのがこの国の現実です。
多くの"見破れない人"が政治の流れを作ってしまっています。

情けないことに「将来推計」は政策を決めるときの"影の主役"にまでなっているのだと実感します。
もちろんよい意味ではありません。

政策提言「将来推計の抜本見直しを〜日本の経済財政社会保障に関する将来推計の課題と将来像〜」

"影の主役"である「将来推計」を改めること、それこそが日本の政治を変えるきっかけになります。
「将来推計」を改めるための具体策に向け、いろいろと動いているところです。

でも、その前に政治家もメディアも、そこにあるものの意味をきちんと考えるようにする、まずはそこからなのかもしれません。
(ん〜。道のりは遠い・・・。)
Posted by 亀井善太郎 at 14:57 | この記事のURL
歪められる政策決定/年金試算が意味するもの [2012年02月07日(Tue)]
先日のブログに書いたとおり、メディアの報道によれば、民主党が検討していた年金制度の抜本改革に関する将来推計の公表は今週中となったようです。

新年金制度:民主、試算公表へ 毎日新聞 2012年2月6日 東京夕刊

 政府・民主三役会議が6日昼、国会内で開かれ、民主党が昨年実施した新年金制度に関する試算に関し、党内向けの説明会を行った上で公表する方針を決めた。野党側が消費増税に関する与野党協議に応じる前提として試算の公表を求めており、協議促進のためにやむを得ないと判断したとみられる。党内向けの説明会は週内に開かれる見通し。
(後略)


どういうわけか、僕の手元にもこの文書はあります。
(複数のルートから、この文書がきていますので、もう書いてもよいでしょう。)

内容を見て驚きました。

民主党の年金改革案がフラフラしているという問題はありますが、改革案つぶしはじめにありきの文書です。

この国では将来推計がこうやって使われてきたのだと痛感するものです。

すでに一部報道もされているように、どうしても目が行くのは最後のページの右下です。

"制度改正なかりせば"という年金制度をこのままとした場合と改革した場合の所要財源と消費前率換算の数字が表にされています。

一番財源を必要とする2075年度において、消費税率換算すると"制度改正なかりせば"では6.5%、制度改正した(一番給付が大きい)場合では11.2%の財源を必要とすると書いてあります。

これを見て、政治家もメディアも、消費税をそこまで引き上げなければならないんだ。これでは制度改正はできないと感じたのでしょう。

ところが、自分自身の問題として考えてみればすぐにわかることなのですが、民主党が示す年金改革は最低保障年金部分に税を充てるため、支払うべき保険料の水準も変わるはずなのです。
つまり、保険料で担う部分を減らして、税にシフトするというのが、改革案の大枠です。

国民にとっては、税で払うのも、保険料で払うのも、自分の財布から出ていくという意味では同じことです。
もっといえば、税なのか、保険料なのか、そのバランスによる影響は、世代や働き方、家族の形によって、それぞれに異なります。
以前、自民党の議連で公表した改革案(超党派提案のベースとなったもの)に世代別、世帯類型別の試算を載せたのも、その後、社会保障国民会議がこれを踏襲したのも、そうした意味があるからです。

つまり、この資料は"税負担の拡大のみ"を強調したもので、これによって、そんなに消費税が上がるんなら制度改正はできないと断念させるという意図があるものなのです。

この試算は厚労省が作ったものでしょう。

厚労省が現行制度を守ろうとする理由はよくわかりません。
諸説あり、どれも確認できるものではありません。
医療費の分も取っておきたいからとか、保険料という自主財源を堅持したいから、さらには、自助・共助・公助のバランスは現行制度でなければ実現できないからといった原理主義的な考えもあると聞いたことがあります。

つくづく情けないのは、厚労省が出してきた資料を読んだ政治家が、その意味を理解できなかったことです。

自分たちが作ってきた制度改正という政策を理解していないから、この資料の問題を指摘できないのです。

昨年の3月に作ったまま、現時点まで放置していたのですから、その罪はきわめて重いといえましょう。

こうした問題を通じて見えてくるのは、将来推計を、政策決定を歪めてきた日本の現実です。

推計は政策担当省庁が作るのだから、お手盛りであたりまえ。
数字は省庁が握っているから、検証できないのはあたりまえ。
政治家もメディアも官僚の意図を見抜けないのはあたりまえ。

日本の常識は世界の非常識です。

各国は将来推計を財政、社会保障の規律付けのために用いる動きが近年特に盛んになってきており、以下の4原則を愚直に徹底しています。

  ・一元化:推計の責任者を一つにすること
  ・整合化:前提や推計全体のロジックやパラメータ等を一致させること
  ・透明化:可能な情報をできるだけ開示してその理由なども説明を惜しまないこと
  ・第三者化:議会や民間などの他の機関による検証と議論を行うこと

これらの原則に従えば、今回の資料については、少なくとも、制度改正前と後について、検討すべきポイントを並列して書くべきものであり、また、その試算に使用した前提を世間に公表することは不可欠でしょう。

政策提言「将来推計の抜本見直しを〜日本の経済財政社会保障に関する将来推計の課題と将来像〜」

いま変えなければ、この国はいつまで経っても前に進めません。

いま起きている問題の本質をどう見きわめるか、私たちの目こそが問われています。

Posted by 亀井善太郎 at 10:42 | この記事のURL
税と社会保障一体改革の本質/年金推計公表を巡る議論から見えてくること [2012年02月03日(Fri)]
結局、年金制度を抜本改革した場合の将来推計の公表を巡る議論は、以下のとおり、公表することになったようです。

野田政権 年金財源改めて試算へ 2月3日 4時3分 NHK

野田政権は、最低保障年金の創設などの新しい年金制度の財源について、先に国の研究所が発表した最新の人口推計などを基に、改めて試算=試みの計算を行うことにしており、試算が公表されないことに反発している野党側に理解を求めていくことにしています。

野田政権は、社会保障と税の一体改革を巡る与野党協議に向けて、公明党などの要求を踏まえて、前回の衆議院選挙で掲げた年金制度改革の全体像を示したいとしていますが、去年春に行った新しい年金制度で必要となる財源についての試算は、国民に誤解を与えかねないとして、当面、公表を見送りました。これに関連して、民主党の前原政策調査会長は、記者会見で「来年の通常国会に、年金を一元化し、最低保障年金を創設するための法案を出すことを計画している。それについての試算は、新たな人口動態も含めて、精緻に行わなければならない」と述べ、年金制度の抜本改革に向け、先に国の研究所が発表した最新の人口推計などを基に、改めて試算を行う考えを示しました。民主党は、厚生労働省のほか、民間のシンクタンクなどにも依頼して、複数の試算を作成し、内容を詳細に検討することにしており、党幹部は「まとまるまでに数か月必要になる」という見通しを示しています。野党側は、去年春の試算が公表されないことに反発していますが、民主党は、新たな試算を行うことに理解を求め、一体改革の協議を早期に始めるよう働きかけていくことにしています。


試算を公表しないというのは、ずいぶんと国民をバカにした話ですし、政治家としての自分たちの責任を放棄していることになります。

どんな政策であっても、変更をすれば、メリットとデメリットが生じます。
これをきちんと説明し、政策変更への理解を求めるのが政治家の仕事です。
当初はこれをやらないと言っていたのですから、各方面から批判が出るのは当然のことです。

図らずも、こんなことがあって、先日の日経新聞「経済教室」に掲載したもののベースとなっている政策提言「将来推計の抜本見直しを -日本の経済財政社会保障に関する将来推計の課題と将来像」にも関心をいただいています。
"お手盛り"の推計に基づく政策検討・立案・決定をいつまでも許していては、この国はまともな国にはなりません。なかなか容易なことではありませんが、関係者の理解を深め、まともな国にするための具体策の実現を進めていきたいと思います。

さて、今日は一連の推計公表を巡る話が、どうしてこういうことになるのか、そのウラを読み解いてみたいと思います。

先日のブログ「素案」をどう読むか/税・社会保障一体改革 [2012年01月13日(金)] にも書きましたが、いま政府与党が進めているのは『税・社会保障の一体改革』です。

『税・社会保障の一体改革』であって『税・社会保障制度の抜本改革』ではない

というのがポイントです。

間違い探しみたいですが、何が違うといえば、以下の二つです。

@社会保障の改革であって、社会保障制度の改革ではない

A一体改革であって、抜本改革でない


まず@について、詳しくお話してみましょう。

現在の税制・社会保障制度の最大の問題は、世代間格差と制度間格差の拡大、また、これに伴って制度間の狭間に陥り、セーフティネットを失っている方たちへの対応です。
具体的には、高齢者と若年層で便益と負担の差額が一人当たり一億円以上も差がついてしまっているという問題です。人口ピラミッドが逆三角形になっている構造的な問題もありますが、現在の税制や社会保障制度を放置していては、ますます拡大が進むばかりです。
もう一つには、これも世代問題となってきていますが、非正規雇用者と正規雇用の制度面で生じる格差の問題です。これは雇用の問題であると同時に、社会保障の問題でもあります。

これらの問題は"制度"改革を行わなねば解決できません。

現役世代が負担する保険料で社会保障をまわすというのは、世代間格差を大きくします。
年収の多寡に関わらず誰もが同じ金額を負担する人頭税型の国民年金保険料は制度間格差を助長しています。

いま議論されているのは、消費税率の引き上げばかりですが、本来であれば、税と保険料の関係の整理もきちんとされるべきです。
税は"公助"、企業負担は"共助"、自己負担保険料は"自助"を担うとしばしば言われますが、何が何に使われているのかよくわからない、いまのドンブリ勘定の制度では、その構造を理解することはできません。

人口構造が変わり、家族の形が変わり、働き方が変わったいまこそ、いまの時代にあった(もちろん、将来も見通した)税と社会保障制度を再構築すべきなのです。

もうひとつはAの問題(抜本ではなく一体改革)についてです。
当初、民主党が進めようとしていたのは「抜本改革」でした。その証拠に、一連の改革を進めるために民主党が設置した調査会(党において制度改正等、大きな政策変更がある際に臨時で設置される政策検討機関。ちなみに省庁別に恒常的に設置されるのが部門会議、自民党の場合は部会)の名称は"税と社会保障の抜本改革調査会"でした。
名は体をあらわすと言いますが、当初は"抜本"としていたにも関わらず、いつのまにか"一体"に替わってしまったのです。
これは@でも書いたように、根本問題や制度改正を避けて、どこの役所の口車に乗ったのか、ちがう話になってしまったということです。

けっきょく、いま、政府与党が示している"一体改革"は、高齢者3経費(医療・介護・年金)+少子化対策で財源不足に陥っている状況を解消することだけを目的とするものとなりました。
加えて、当初は財源不足を補うことを狙いとしていましたが、"社会保障の機能強化"と称して数々のバラマキを含めたため、結果としては、税率引き上げ分のほとんどがバラマキに回され、借金の返済には殆ど使われないという、これまたおかしな状況に陥っています。

そんな事情を反映し、素案に示されたのは年金制度の抜本改革については頭出しだけとなり、具体的な改革案を示すことは先送りされることとなりました。

そうなれば、将来推計についても同じで、制度改革をやるつもりはありませんから、前提はあいまいで、現時点で公表できる(政策議論ができる)レベルのものはないのかもしれません。
(レベルはともかく試算は確かにあるという話もありますが・・・)

超党派協議を進めるための方策とはいえ、あまりに稚拙なやりとりとなってしまいました。
こうした稚拙なやり方のために、"抜本"改革の議論が停滞するようなことがあっては、国の大方針を誤ることになります。

以上のように、いまの政府与党案は直面する課題を避けたその場しのぎのものです。

何度も申し上げますが、いまやるべきは、世代間格差と制度間格差等、現行制度によって生じている問題を解決することです。
与野党が正しい問題意識の下、政府与党が提示する案の問題点を真摯に議論し、あるべき制度改革に向け進むようにしていかねばなりません。
Posted by 亀井善太郎 at 12:40 | この記事のURL
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