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奇妙なマスク [2012年04月19日(Thu)]

4月5日からのJeparaハンセン病快復コロニーの下見調査を終えたLCCメンバーが、報告書を作って送ってくれた。
後日訳してアップします。インドネシアの快復コロニーの雰囲気を感じていただければ。

一度さらっと流して読んだ中で、キャンパーの感想文のひとつが気になった。
コロニーから150mほどに位置するハンセン病病院を訪れたときだ。

「村の中で、村人は非常に元気に暮らしているように見えた。しかし病院内では異常な雰囲気を感じた。
担当者は、病院内にいる時はマスクを着用するよう指導したのだ・・」

外から風邪などを持ち込まないようにというような理由ではなさそうだった。
病院の人は、快復者や患者と接するとき、短い棒でつついて触れる。まるで汚いものを触るように。
そしてマスクの着用が必須だという。。


映画『モーターサイクルダイアリーズ』の中で、アマゾンのハンセン病療養所を訪れたゲバラと、医者とのこんなやりとりがある。
「君たちもこの手袋をしなさい」
「伝染しないなら必要ありませんよね。先生、お言葉ですが手袋はしません」

彼が手袋なしにハンセン病患者と握手をし、感動的な別れのシーンが生まれたあの時から60年。
今、何も変わっていなかった。

ハンセン病病院で働く人ならば、必ず知っているはずだ。
マスクをする必要が無いことも、素手で触れるのに何の問題が無いことも。

バカにするな・・

キャンパーは、担当者に言われた”規則”を破り、マスクを下げたまま院内を回った。
聞き分けのない人たちだと思われただろう。
私はキャンパーの行動に賛成する。

4月5日からの下見 [2012年04月04日(Wed)]

4月5日からLCCのメンバーが下見調査を行う。
今回訪れる村は、中部ジャワのJeparaという場所にあるコロニー。そこの下見後、今年キャンプ開催地のNgangetを訪れてジャカルタに戻ってくる。

今までに2回国際キャンプを行い、キャンプ前には下見を行ってきたが、徹底的な下見というのは行っていなかった。今回は、中国JIAのキャンプで用いられている調査シートをインドネシア用に手を加えたものを使用して村・村人の調査を行う。

内容としては、
・村の概要;規模、設立時期、設立背景、コントロールセクション(保健省、社会省etc.)、家屋状況、電気・水道状況など
・村人;人数、年齢層、快復者数と後遺症の状況、子供の教育、収入、政府機関からの支援、村人の聞き書きなど
・周辺エリア;村までの交通状況、周辺住人の差別の有無など。

今まで、中国のヘク村と含め、直感的に「ワークが必要だ」と感じられる村でのキャンプが多かった。
インドネシアでワークキャンプを始める際も、「ワークが必要だ」(=インフラが整っていない)と一見して分かる村を選び、Nganget快復コロニーでのキャンプを続けてきた。しかしインドネシアの全ての快復村がそのような状況ではない。一年間住んでいたジャカルタのシタナラ快復コロニーなどは、一見すると他の少し貧しい村と何の変わりもない。社会にはハンセン病とは関係なく、もっと貧しい村も存在している。

そんな中で、「なぜハンセン病快復コロニーでキャンプをおこなうのか」「なぜ他のもっと貧しい村ではなくここなのか」という問いに答えるには、上のような調査が必ず必要になってくる。

そしてもう一つ。
インドネシアのハンセン病に関する資料は極めて少ない。「インドネシアのハンセン病患者数」などの大きなデータはWHOや保健省から出てくるが、一つ一つの村に関するデータは全く無い。貴重な資料になる。

問題点としては、資金問題。
下見費用の一部はLCCから出るが、現時点で全額は出せそうに無い。どうするのか下見メンバーに聞いたところ、「残りは自費で出すから問題ないよ」と。
これでは、今回が良くても今後がつながっていかない。夏キャンプ後の区切りで清算して返さないと。
LCCの資金集めと管理は当面の課題。


昨日、この下見についてスカイプでミーティング。
日本にいてもできることはできる。やれることをやる。
「感情表現の手段」 [2012年03月27日(Tue)]

野口健の本の中で、こんな言葉に出会った。

「ケンは登山という感情表現をできる手段を持っている」

「落ちこぼれで何の取り柄もなかった」彼だったが、ヨーロッパとアフリカの最高峰に登った後、周りの人間が変化していく。最初に変わった英国人教師たちが彼のことを表現した言葉だ。

じゃあ、自分にとってワークキャンプは何だったのか。
この言葉がしっくりくる。

話することが苦手、泣くこともない。
唯一つ、ワークキャンプに関しては違った。泣いて笑って、怒って、ストレートに感情表現ができるのが、このワークキャンプだった。自分の感情を表現するための手段だった。


昨日は昼間から気付けば次の朝まで、結局キャンプのことばっかり話してた。

いい出会いがあった。

2012夏キャンプ予定 スケジュール [2012年03月21日(Wed)]

3月も終盤。もうすぐ桜の季節。四季っていい。

昨晩、LCC UI現リーダーのルリと、今年の夏キャンプについてチャットした。
今年インドネシアでは、断食明けの大祭が8月19日、20日。そしてその後の2日間、21日、22日が政令指定の祝日。8月17日が独立記念日だから、この1週間はインドネシア全土がお祭りモードになる。
となれば、この辺りでのキャンプ開催は難しい。この時期は電車のチケットも高くなり、入手も困難になる。学生も実家に帰ったりする。

お祭り週間の前にキャンプを持ってくるか、後に開催するか。

前にすると、8月1日〜15日辺り。日本の大学の夏休みにギリギリ間に合うかというところ。この時期、イスラムは断食月にあたる。断食中、一日通しのワーク作業は大変なので、午前ワーク、午後ホームビジットといったスケジュールになる。
2年前、インドネシア初キャンプの時も数日間断食とかぶった。数日だったため、日本人は普段通り食事をとったが、今年この日程になると、全日程が断食にかぶる。食事が一緒に取れないとなると、共同生活の醍醐味も半減するし、コミュニケーション不足にもつながる。ここは日本人も断食スケジュール(日の出前に朝食、日没後夕食)に合わせるか。

後にすると、8月26日〜9月7日辺り。断食後なので上のような問題はなくなるが、期間が短くなる。インドネシアの大学が9月から始まるので、途中キャンプアウトのメンバーが多くなるかもしれない。

スケジュールは今後調整していく。

キャンプ予定地は、一昨年、昨年に続き、東ジャワのNgangetハンセン病回復コロニー。そして今年は、このキャンプと並行して更に一箇所、下見キャンプを実施する予定だ。LCCの拡大に伴い、新たなキャンプ地を開きたいという声がある。経験のあるキャンパーや資金不足から、すぐにキャンプ地を追加することはできないが、今後行けるとなった時のために、ホームビジットを中心としたキャンプ地の下見を2週間程度の日程で実施する。候補地としては、中部ジャワのJeparaというところにあるハンセン病回復コロニー。
2009年に一度行ったことのあるコロニーだ。目前にジャワ海が広がり、川で水浴びや洗濯をする。とても景色のいい場所だった。泊めてもらった家のおばちゃんが、cinta terlarangという歌を歌ってくれた思い出深い場所。いつかここでもキャンプをしたい。

この下見キャンプの事前下見を4月5日から行う予定。



「ありがとう」 [2012年03月08日(Thu)]

2年前、手紙を書いていた。
辞書を引きながら慣れない中国語で書いてた手紙は、あの日に破り捨てた。

2010年夏、約束の夏。
梅花婆が亡くなって、やる気も消え失せたなか、唯一残ってた約束。
「インドネシアキャンプが終わったらまた帰ってくる」
思えば、この約束があったから、夏のインドネシアキャンプをやり遂げられたのかもしれない。

その夏、中国桂林のJIAの会員代表大会で、インドネシアの報告の場をいただいた。
何を話したのか、全く覚えていない。がむしゃらだった。報告の後、倒れるように寝込んだ。
報告の中で流した映像が残っている。



今でも鮮明に思い出される。
あのかまどで火を囲んで座っているのが幸せだった。

あの日から今日で2年。
あの日破り捨てた手紙に書いてたのは、感謝の言葉ばっかりだった。

今日、もう一度、「ありがとう」

快復者へのインタビューから [2012年03月02日(Fri)]

2月末、卒論の最終提出が終わった。
インドネシアハンセン病快復コロニーワークキャンプのつながりから、「インドネシアのハンセン病の歴史とその現状」というタイトルだ。

今までのワークキャンプの中で、自分の活動の軸にあったのは、「伝える」ということだった。
出会った快復者の人柄、魅力、その人そのものを、多くの人に知ってもらいたい。それは、今から3年前から始まった。
2009年春キャンプ、中国の快復者と日本の療養所の間で絵の交換をした「ポストマン」、中国の快復者とインドネシアをつなぎたいという想いから2010年に始まったインドネシアワークキャンプ。
そして、出会ったインドネシアの快復者の姿を伝えること。
3年間やりたかったことが、今一つ形になった。

インドネシアの快復者へのインタビューの中で、彼らは様々なことを語ってくれた。
「私は何を間違ったのか、何の罪があるのか。両親は何か間違ったことをしたのかと問い続けた」
「(40年前、20代で故郷を出て遠いジャカルタの快復コロニーに向かう時)状況を考えればこうする他になかった。生きてジャカルタに着くか、道中死んでしまうか、問題ではなかった」
「私達の未来は薄暗いものだ。生きることも難しく、神に祈るのみだ」

インタビューが終わると、「さあコーヒーでも飲もう、タバコを吸おう」と明るく振舞った。
彼らは生きている。故郷を離れ、快復コロニーに暮らしながら、力強く生きている。
そして、自分の小ささを感じた。自分にできることは、彼らの語る言葉を一つ一つ受け止めていくことだけだった。

24歳の快復者は、「ハンセン病の重荷を背負うのは自分達だけであって欲しい。他の快復者たちが自分達のようにならないように」と語った。たった1つしか年の変わらない、どこにでもいるようなインドネシアの青年がだ。
彼の言葉には、これまで体験した差別の深刻さと、そして新しい社会への期待が込められていた。

論文は、彼らのインタビューで終わる。でも、これで全て終わるわけにはいかない。彼の言う新しい社会をつくる手伝いがしたい。彼の言葉を聞き、真にそう思った。


活動の軸は「伝える」ことだと書いた。「伝える」には、相手が必要だ。
伝える相手には、いつも梅花婆がいた。
彼女が亡くなって、もうすぐ2年。今年もいっぱい話したいことがある。
LCC組織改革2 [2012年02月11日(Sat)]

「Not Big But Strong」でいこうと方針を固め、組織の大幅改革に着手した。
夏キャンプが終わって、総リーダーがLuriに引き継がれた。まずは仕事内容を洗い出して、部門ごとに振り分けていく。そしてセクションリーダーを立てる。

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(部門:リーダー名 仕事内容 の順)

・総リーダー:Luri
 LCC UIの全体責任者

・データベースセンター:Oka
 キャンパー情報管理、活動報告書作り

・会計:Tika、Detia
 LCC UIの会計担当

・イベントコントローラー:Erni
 ミニキャンプ・国際ワークキャンプ・週末キャンプ実施担当

・Human Resource Development(キャンパー育成部門):Ncan
 ミーティング運営、キャンパートレーニング、新キャンパー募集担当

・広報:Azmi
 情報共有、他団体とのネットワーク作り、ウェブサイト管理

・Project Development:Ange
 ファンドレイジング、新規プロジェクト提案担当

・リサーチセンター:Affan
 村のリサーチ、ハンセン病関連情報収集担当
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以上をLCC UIのPT(プロジェクトチーム)として編成した。今後はPTを中心としてLCC UIの方向性を決めながら活動を展開していくようになる。

新たなプロジェクトも立ち上がった。週末キャンプだ。
これは、以前までのキャンパーが快復コロニーに行くという流れの反対の活動だ。
快復者を大学や協力してくれる小学校に招待し、交流活動を行うというもの。今、場所の確保やスポンサー集めなどを行っているところ。

その他にも、12年夏キャンプと並行して新しいキャンプ地の下見を行うことも予定されている。


簡単な説明だけど、以上でLCC組織改革の概要説明終わり。
2012年はこの体制で活動を行っていく。試運転も兼ねてのスタートなので、上手くいかないところもあるかもしれないけど、そこは状況を見ながら改善していく予定。
しっかりと役割分担ができたので、いろんな人が動くことになった。連絡を取り合う頻度も以前に比べて増してきている。スタートとしてはいい感じ。

最後に、LCC UIのウェブサイトのURLhttp://lccui.com/

今後は活動報告書がここに随時アップされていく予定なので、チェックしてみてください。
基本的には英語で。インドネシア語記事は日本語訳を載せれるように頑張ります。
LCC組織改革1 [2012年02月03日(Fri)]

色々と書けてないことがあったので一つずつ書いていく。

昨年の夏キャンプ後から、LCCの組織を改善していこうという話があった。
団体の規模が大きくなってきたことで、様々な問題点が発生してきたからだ。

最初2010年に11人のメンバーを中心として立ち上げられたLCC。昨年夏のキャンプには65人のインドネシア大学生が参加を希望したというほどになった。名簿を作っているわけではないので、全体で何人いるのかははっきりしない。たまに参加する程度の学生もいれば、2年近く活動に参加している学生もいる。新しいメンバーが入ってくる一方で、卒業していくメンバーもいる。

そんな中で大きな課題であったのは、
1、新しいメンバーに活動の原点、つまりワークキャンプというものを伝えていくこと
2、卒業していくキャンパーの知識や経験を、今後のLCCにも生かしていくこと
だった。

人が入れ替わっていく。その度に1から作っていくのではなく、LCCに経験や知識、想いを蓄積させていく。上から下までのつながりをつくりなおす。この必要があった。

そこでまず出てきたのが、LCCに公認を持たせるということだった。
いままでは大学公認のないサークルのような扱いだった。公認がないと、ミーティングに教室を使えない、学内での広報活動などに制限があるなどという問題があった。また活動資金を集めるための書類なども、公認が無ければあまり見向きされない。

ということで、まず大学内での公認を取るべく動いている。(今現在もまだ得れてないが・・・)
で、大学所属の団体ですよということで、
以前の「Leprosy Care Community Indonesia」から、
「Leprosy Care Community University of Indoenesia (略:LCC UI)」となった。


ただ、公認が取れて立派な看板を掲げたところで、上のような人のつながりの問題を解決できるかといえば、それは別問題。

そもそも、公認を〜という話の前提に、
「新しいメンバーにも、LCCの活動に積極的に関わっていってもらいたい」

「今の状況では、活動の全体の流れも分からないし、行き当たりばったりな面が多い」

という流れから、新しい組織作りに着手。
組織の大枠が見えてきたところで、「ついでに公認をもらっとけば今後の活動もスムーズになるよね」という感じ。



「勢いもあるし、活動を拡大したい」という意見もあったが、まずは足元をしっかり固めようという方向性で最終的に一致。基礎がないとすぐ壊れる。
そして今後他の大学にも活動が広がっていったとき、LCCがモデルケースとなれるように。

こうしてLCC組織改革がスタート。



この話があったのは、昨年の夏キャンプが終わった直後。
達成感と安堵感でういた顔してミーティングに行ったら、みんな真剣な顔。
「もっとLCCを強く、活動を充実させていきたい」と言う。

正直、インドネシアで始めた頃はここまでなるとは思ってなかった。
「楽しかった」だけじゃなくて、「続けていく事」を真剣に考えてるキャンパーがいるということ。

うれしかった。
「世界ハンセン病の日」のあと [2012年02月03日(Fri)]

前回のブログで書いた、LCCによる世界ハンセン病の日のイベントが記事になった。
インドネシア大学の学生新聞のようなものに載っている。リンクはこちら

簡単な訳:
 『1月29日日曜日、LCCによってFlashmob World Leprosy Day 2012が開催された。WHO報告によるとインドネシアは世界第3位の新規患者発生国である。「Flashmobは1月最終日曜にあたる世界ハンセン病の日を記念して行われた」とインドネシア大学公衆衛生学部の学生でLCCの総リーダーであるLuriは話す。
 インドネシア保健省の協力でハンドブックやポスターをいただき、6時45分からイベントが始まった。
 ターゲットは一般社会、特にデポック周辺(※インドネシア大学の近くで、学生が多い)。「ハンセン病問題に対する意識を持ってもらい、正しい情報を提供することで、差別を無くしていきたい」とLuri。
 ハンセン病に対して差別意識を持つ者は少なくない。病気は患者との長期間にわたる接触など濃密な感染環境下でしかうつりえなく、後遺症を持つ快復者を恐れる根拠は存在しない。
 魅力的であったのは、音楽を鳴らしながらパレードを行い人々の関心を集めた点である。
 「ハンセン病は私達の村(スラウェシ)にしかないのだと思っていた。活動を見れてうれしかったわ」とある女性は語った。彼女によると、都市部の全ての人がハンセン病に対して差別意識を持っているわけではないということを気づくことができたという。
 LCCは近日中に快復者と一緒に週末キャンプを行う予定だ。最後にLuriは「快復者が社会の他の人と同様に生きていけるよう、活動を続けていく」と述べた。』

これは、今までのワークキャンプと異なり、社会への啓発をメインとした活動。記事に出てきた女性のようにハンセン病を知っていた人や、あるいは全く知らなかった人に、改めてこの問題について考えてもらう、知ってもらうきっかけを作れたのではないかと思う。

で、このような活動が行われるようになった背景に、LCCの大きな組織改革があったので、それは次で。
世界ハンセン病の日 [2012年01月29日(Sun)]

1月の最終日曜日は「World Leprosy Day(世界ハンセン病の日)」
この日には世界各地で啓蒙活動が行われる。

インドネシアでも。

明日インドネシア大学近くの大通りで、LCC(Leprosy Care Community)がイベントを打ちます。
何をやるのかというと、Freeze Flash Mob。
普通に街中を歩いている参加者が開始の合図と共に一斉に動きを止め、数分間動かないままオブジェのように固まるというパフォーマンス。

ぜひ実際に見に行ってください。インドネシアまで。


もちろん彼らはただパフォーマンスがしたいわけじゃない。一番の目的はLCCの活動紹介とハンセン病の啓発活動。

「World Leprosy Day」というのをいったいどれだけの人が知ってるだろう。

この「World Leprosy Day」を提唱したのは、ラウル・フォレローというフランスの社会運動家だ。彼を紹介している記録を引用する。

『1954年1月の最後の日曜日、彼は世界にむけて「今日の日を全世界の何百万人のらい患者のことを考える日としよう。なぜ自分ではなく、彼らであったのか」と呼びかけたのです。当初から毎年1回、1月最後の日曜日の「世界らいの日」は12年間継続する、と期限を切り、その間、治療、仕事、尊厳、権利、愛、平等を言葉をつくして訴え、また世界はそれに対して献金と行為で応えたのです。12年目の1965年には世界の127カ国でハンセン病に関連する行事が行われたとされています。彼にとって最後となった12回目のアピールの中には次のような一節があります。「らいとの戦いは単に病原菌との戦いに終わらない。またらい患者のコロニーの問題だけでもない。この戦いは我々自身の心の中の戦いでもある。我々1人ひとりが心の中に受け継いでしまったらいに対する恐怖感を勇気をもって乗り越える戦いだ。」「この病気に対する罪悪ともいえる恐怖感をいだいている『健常者』も同時に『治療』されなければならない。』

[山口和子(笹川記念保健協力財団)、2009年、原典:「青松」]
参照:モグネット http://www.mognet.org/hansen/people/deai15.html
※『本文ではラウル・フォレロー自身の言葉を引用する場合は「らい―原文レプロシー」を使った』とのことです。


ハンセン病を患ったのが、『なぜ自分ではなく、彼らであったのか』
この問いかけは自分の中で次の問いかけにつながる。
「彼らのことを知った自分はなにができるのか」
これは卒論を書いていく中で改めて感じたことだ。このことは次回書く。


LCCが設立されてから2年になる。
2年間、快復コロニーでのワークキャンプをはじめ様々な活動を行ってきた。
ハンセン病という問題に「自分達は何ができるのか」という問いかけから始まった今回のパフォーマンスがどれだけ社会に影響を与えうるか。

遠く離れた日本で彼らからの報告を待つ。
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