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「夢は叶う」池田弘一さん講演記13 [2012年01月27日(Fri)]
皆さんこんにちはびっくり寒い日が続きますね悲しい

23日は中国最大の祝日「春節(旧正月)」でしたOK
中国の年越しは例年夜を徹した花火や爆竹で本当に賑やかなのですが、今年はその花火と爆竹のやりすぎで、北京市では翌日の大気汚染が、通常の80倍にまでなったそうですよ困った
さすがは中国、スケールが違いますね炎

池田弘一さんの講演も、いよいよ佳境。
第13回目をお届けしますびっくり







第13回 一人の英雄より多彩な人材


一方、急成長の中で、色々な人材がアサヒビールに入ってくることになりました。急激に売り上げが広がったことで、特に営業部門が人員不足となり、パートタイムの女性社員を増員することになったのです。最盛期には全国で3,000名のパートタイム社員を各販売店頭に配置することになりました。

彼女たちは大体週に4日ほど、10時〜16時の勤務時間で、一人当たり小売店6軒〜10軒担当しました。アサヒの商品を他社よりも目立つように陳列したり、売れ行きや在庫の状況をこまめにチェックし、本社にすばやく情報を届ける仕組みを作りました。店頭での商品の動きを的確に把握できるようになったことは、アサヒにとって苛烈な競争を勝ち抜くための大きな助けになりました。素人の女性たちの草の根の力が、いかんなく発揮されたのです。

一方で、様々な会社からも様々な人が入ってきました。違った考え方、違った文化を持った人たちがアサヒの仲間になることで、一層活発な議論が起こるようになり、必然的に組織が活性化しました。

その後、アサヒビールは色々な会社を買収・合併し、現在は組織の1/3が中途入社の人材です。そのような中ですごしてきた私も、自然と様々な考え方を知ることになりました。





≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


「夢は叶う」池田弘一さん講演記12 [2012年01月20日(Fri)]
皆さんこんにちはびっくり
ブログでは少しご無沙汰してしまいましたすいません

年末にかけて、たくさんの方から「25の小さな夢基金」サポートのお申し出を頂きました。本当にありがとうございますラブ
皆さんがそれぞれ応援してくださることになった1年生の女の子たちは、昨年9月にこの池田さんの講演を生で聴いているんです音符
ひょっとしたら過去の記事でご紹介した写真の中に、あなたの「雲南の娘」が写っていたかもしれません笑い

それでは、池田弘一さんの講演、12回目をお届けしますびっくり






第12回 チャンスは貯金できない

アサヒの売り上げが一挙に増えたことで、ドライビールは大変な脚光を浴びました。ライバル会社も翌年にそれぞれドライビールを発売し、当時のマスメディアは「ドライ戦争」などと煽って、話題を呼びました。

そのような厳しい競争を経て、我々のアサヒスーパードライがお客様に認められ、今日のアサヒビールの勢いを築いたのです。当時の2人の社長の経営判断が、今も私の記憶に鮮明に残っています。

ひとつは、売り上げが低調だったアサヒビールの中にあって、おのおのの危機感を上手くまとめあげ、「100周年を迎えるにあたってもう一度素晴らしいアサヒビールに戻ろう」と、会社全体の求心力を高めて新しい計画を創り上げたこと。

もうひとつは、三千万箱余りの製造能力しかなかった会社が一挙に年間七千万箱売り上げられるような設備投資を行い、生産体制を築いたこと。

ドライ戦争といわれた当時、アサヒビールはあらゆるタンクをすべてスーパードライに集中することによってお客様の要望に応え、結果として競争に勝ちました。当時の社長は、そのことを「チャンスに後ろ髪はない、前髪をつかめ。チャンスは貯金できない。」と、後の講演で振り返っています。

私は、トップの決断力の凄さをつくづく実感しました。健全な危機感を常に持つことで、会社の求心力は高まっていく。そして、チャンスはどのような状況の会社にも常にあり、それをいかに使うかが大切なのだということを学びました。

これは、個人においても同じです。
「左遷」だと思った異動が自分にとって大きな財産になったこと、自分の意に染まない人事の中で将来の師と仰ぐような上司に出会えたこと。人生には自分では分からないような、大きな巡り会わせがあります。色々な環境の中で、いかに前向きに生きていくかということが、人間にとって非常に大切なことなのではないでしょうか。

先程、出向時代に順調な環境によって人が大きく成長するということを目の当たりにしたお話しをしましたが、私が戻った後のアサヒビールもまた、スーパードライによる急成長の渦中にありました。その好循環の中で、会社も、社員も、それから消費者からの評価も大きく変化していったのではないかと思います。





≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


「夢は叶う」池田弘一さん講演記11 [2012年01月13日(Fri)]
新年も半月が過ぎましたダッシュ
今日から「夢は叶う」講演も連載再開ですびっくり
いよいよアサヒの反撃が始まります笑い




第11回 マーケティングの原点

当時一番売れていたビールは「キリンラガービール」でしたが、消費者調査によって、お客様はその味にも満足はしておらず、もっと新しいビールを期待しているということがわかりました。そして私たちは、お客様の満足に向けての開発を進めたわけです。この「お客様に聞く」というのは、当時のビールの開発から見ると非常に画期的なことでした。

といいますのも、当時は醸造に携わる人が美味しいと思って造ったのが良いビールで、それを美味しいと思って売るのが営業の仕事と言われていたのです。それを、日本の消費者の皆様が求めている味を調査して、それに応えることができるようなビールを醸造の人たちか苦労して作るというのは、当時としては初めての画期的な試みでした。今で言う、マーケティングの原点です。

新ビール開発の最中、私は飲料の仕事をしておりましたが、仕事の合間に開発途中の商品を色々と試飲もしました。直接携わることはなかったものの、開発の苦労を同じ本社の中で間近に見、非常に貴重な経験をすることができました。スーパードライが出る半年前に、私は営業部門の関東支店次長というNo.2として、ビール部門に戻りました。

赴任後は新商品スーパードライの紹介と予約取り付けの仕事をしたのですが、このスーパードライは立ち上がりから大変な前評判で、一年間に予定していた箱数を最初の受注の段階で獲得、発売後もすべてのお客様に十分届けることができないような、大変な勢いの売れ行きでした。

それまでのアサヒビールの売り上げは年間で大体三千七百万箱程度でしたが、アサヒスーパードライによって、一挙に七千万箱を超えるようになりました。





≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


子どもたちからの年賀状が届きました! [2012年01月12日(Thu)]




皆様、新年明けましておめでとうございます!

2012年もどうぞ宜しくお願い致します!



皆様お久しぶりです。年末年始はいかがお過ごしでしたか?
皆様が素敵な1年をお送りできるよう、事務局一同願っております。

さて、事務局には「25の小さな夢基金」の女の子たちからサポーターさんへのたくさんの年賀状が届いていますメールキラキラ
その数なんと約100通!


こちらが生徒さんからの心のこもったお手紙!


お手紙は現在、日本語への翻訳作業中ですので、サポーターさんのお手元に届くまでもうしばらくお時間を頂きますが、楽しみにお待ちくださいねびっくり

本日はその中からチャリティーゴルフコンペゴルフの寄付金で応援中のチワン族の黄麗麟さんのお手紙をご紹介したいと思います!
黄麗麟さんは現在最高学年の3年生で、チャリティーゴルフコンペの参加者の方に宛てたお手紙を書いてくれましたメモ



親愛なるチャリティーゴルフ参加者の皆様


皆様、こんにちは。

筆をとり、まず、皆様の御身体の健康、お仕事が順調に運ばれます事を願っております。皆様の三年間の援助に感謝の気持ちでいっぱいです。この三年間、皆様の援助の下で、私は努力し続け、高等学校の学業を修める事ができます。もうすぐ卒業し、また次のステップに向かって頑張ります。

皆様の援助があったから、私は勇敢に未知の未来に立ち向かうことができます。大学に行くという夢は私の運命を変えました。これからも自分の目標に向かって一生懸命頑張ります。

もうすぐ新しい年がやってきます。新しい一年に皆様に良い運が訪れることを願っています。もうすぐ中国の伝統的な祝日である春節です。私たちも冬休みに入ります。冬休みの間、帰って父母と一緒に春節を過ごしたいです。もしできるのなら、皆様と共に春節を過ごしたいです。とても楽しいと思います。

都市はとてもにぎやかですが、私はやっぱり静かな田舎が好きです。田舎には山と水があり、新鮮な空気を吸うことができます。皆様も機会があったらぜひお越しください。私たちは大歓迎です。
黄麗麟
2011年12月18日



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