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今年もありがとうございました! [2011年12月29日(Thu)]

1年間、どうもありがとうございましたびっくり

2012年が皆さまにとって、よりよい年となりますように
キラキラ






加 油 日 本 !!






≪日本雲南聯誼協会事務局 年末年始休業≫

■東京本部 12/30(金)〜1/9(月・祝)
■雲南支部 1/1(日)〜1/3(火)
協会会員出演情報! [2011年12月28日(Wed)]

皆さんこんにちはびっくり
2011年もいよいよもうあと4日ですね。やり残したことはありませんかはてなはてな



さてさて、今週月曜日、とある会員さんが美味しいプリンを携えて、協会事務所に年末のご挨拶に来てくださいました音符




編集関係のお仕事をされている井手窪剛さん、昨年は、10周年記念誌のタイトル選定にアドバイスをくださるなど、お忙しい中何かと協会活動に協力してくださっています猫


そんな井手窪さんですが、実は・・・







あらびっくりはてな



(名前が間違っていますね…)



実は、テレビ番組に出演されるような、
歴史研究家としての顔も持っていたのです拍手キラキラ

そんな井手窪先生の出演する番組を、
お正月早々BSスカパーの無料放送でご覧頂くことが出来ますパソコン


BSスカパー!『日本のお城の歩き方』
2012年1月1日11:00〜 スカチャン5(185)他


再放送もあるようなので、こちらの公式ページをご覧くださいね笑い

皆さんもお正月は是非、井手窪先生と小田原城を探検してみませんか笑顔
井手窪先生も、また是非事務所に遊びにいらしてくださいね びっくり
お待ちしておりまーすまる






★ 是非クリックをお願いします ★

Yブタ
「夢は叶う」池田弘一さん講演記9&10 [2011年12月22日(Thu)]
皆さんこんにちは笑い
年内最後の協会行事・チャリティー忘年会も無事終わり、いよいよ2011年も残りあとわずかとなりましたキラキラ
池田さんの「夢は叶う」講演も、今回が今年最後の更新。
明日23日は祝日のため、1日繰り上げての更新です走る
次回更新予定の1月13日まで日が開きますので、2回分をお届けいたしますラブ

いよいよ、皆さんもよくご存知の「スーパードライ」の登場ですよダッシュ






第9回 東京支店 営業時代、飲料出向時代


この卸会社に都合3年間勤めた後、1981年に私はアサヒビールに戻りました。それから4年間、東京支店で課長として営業を担当しました。

先程お話したとおり、当時のアサヒビールは業績が悪い流れに入っていました。特に、私が担当した東京のエリアはシェアの低いところで、日々苦労の連続でした。

全国的にも不振に陥っていたアサヒビールは、なんとか挽回を図るべく、色々な商品の開発や色々な社内教育などを行いましたが、なかなか思うように行きません。当時の社長は、後に「ナイアガラの滝のようにシェアが落ちていった」と著書で振り返っています。

そのような中で、私は1984年に初めてビールの仕事を外れ、飲料営業部というところに配属になりました。長年ビールの営業に携わっていたので、当時は未経験部門への配属に不満を持ったものですが、この飲料での3年間の仕事も、私にとって大事なキャリアとなったのです。

当時のアサヒビールはビールが非常に不振でしたが、飲料では「三ツ矢サイダー」という強いブランドを持っていました。この三ツ矢サイダーを拡販して飲料全体の業績を上げ、その利益でビールの挽回を図ろうということで、飲料部門には積極的な営業政策が求められていました。ちなみに、三ツ矢サイダーは現在も日本でNo.1の炭酸飲料ブランドです。

こういった事情により、色々な新しい取り組みを飲料部門で行うことができました。また、当時の飲料部門の責任者が素晴らしい上司で、私のその後の会社生活での目標・模範となりました。私はその人との交流を通し、様々な考え方、幅広い物の見方を学んだのです。






第10回 苦境はチャンスのスタートライン
−アサヒスーパードライ発売


私が飲料にいた3年の間、アサヒビールは創業100年を迎える1989年を節目に新たに生まれ変わろうと、ビールの再生計画を練っていました。

1986年に私たちは「アサヒ生ビール」という新商品を発売、それがそこそこお客様の信頼を得て、シェアが12%に回復しました。翌1987年には、「アサヒスーパードライ」という、今日まで日本No.1の売り上げを誇る素晴らしい商品を開発、それからアサヒビール奇跡の復活劇が始まりました。

私たちが非常に低迷しているとき、色々なマスコミは、「崖っぷちに立たされたアサヒビール」という表現を使ったものですが、当時社内にいた私たちは、崖っぷちどころか、既に踵は崖のそとに出ていて、前に進む他に道はない、という状況におかれていたのではないかと思います。

そんな大変苦しい時代にあって、社員ひとりひとりが何とかしなければ大変なことになると、強い危機感を持っていました。1989年の100周年を少しでも素晴らしい会社として迎えるために、新たな計画で新たなビールを創り出そうということがこのような商品開発につながったのですが、今にして考えれば、「自分たちのビールはやはりお客様に受け入れられていないのではないか」という当たり前のことを謙虚に反省し、もう一度お客様の求めている理想のビールについて考えなおそうと、東京と大阪で消費者調査を始めたことが契機でした。


≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


写真展「笑顔を君に」in福岡 無事終了! [2011年12月19日(Mon)]
皆様、こんばんは月
先週から今週にかけて、協会の2つのイベントが無事に終了しました。
ご参加くださった方、ありがとうございます笑い
17日(土)に行われた第11回チャリティー忘年会と12月13日(火)〜18日(日)まで開催されていた写真展「笑顔を君に」in福岡です。
本日は、NHKの取材も入った福岡での写真展のご報告ですびっくり

12月13日(火)〜18日(日)、福岡県福岡NHK放送局内NHKギャラリーにて、全国巡回写真展「笑顔を君に」を開催しましたカメラ

これまで、大分、埼玉、東京と巡回したこの写真展ですが、今回は初めての福岡!
会期中にはなんと
NHK放送局の取材も入り、初鹿野理事長がテレビ出演!
福岡の皆様に向けて協会のアピールをすることが出来ました!!


初鹿野理事長と樋口顧問がNHKの取材を受ける様子


会場となったNHKギャラリーに初鹿野理事長一行が到着したのは、会期前日の12月12日。福岡在住の樋口忠治顧問、波平元辰会員と合流し搬入作業を行いました。
広い会場に子どもたちの写真に加え、色鮮やかな民族装と民芸品やプーアル茶を並べたり、少数民族の音楽音符を流したりと、福岡の地に小さな雲南省をつくりました拍手

会期中は、ご来場頂いた皆様から励ましの声をかけて頂いたり、募金をして下さったりと、福岡の皆様の温かさを感じました。また、NHK福岡放送局の取材が入り、初鹿野理事長がインタビューを受け、福岡の皆様に写真展と協会のPRを行うことが出来ました。こうして6日間の開催期間で約90名の方にご来場頂きましたびっくりご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました笑顔キラキラ

会場へ行けなかった方のために、会場の様子をお届け致します!!




上:NHK福岡放送局入口の看板
下:NHKギャラリー入口にはナシ族の衣装がお出迎え



上:雲南関係の書籍や写真がずらり!
下:こちらも珍しい民芸品に溢れています!



色鮮やかな民族衣装!訪れた人が必ず立ち止まります!


詳細は後日HPにアップしますのでお楽しみに猫
写真展はこの後も全国を巡回します!来年は東京に戻って聖蹟桜ヶ丘から始まり、滋賀、山形での開催を予定しております。こちらもお楽しみにハート



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たかはしパンダ
「夢は叶う」池田弘一さん講演記8 [2011年12月16日(Fri)]


第8回 卸への出向 〜経験が人を成長させる〜


そのような環境の中で、私は物事が順調に進んでいるときの人間の劇的な成長というものを目の当たりにすることができました。アサヒビールに残っていたならば、決してできなかっただろう素晴らしい経験を、出向することで得たのです。

例えば、毎月本社から予算100を達成しろといわれるとしたなら、私は支店長としてそれを6人の営業マンに割り振るわけですが、実際営業マンが引き受けられるのは、100のうち80〜90というのが普通です。これはおそらくアサヒビールに限らず、他の会社でも同じだったと思います。

ところが、新たな国際空港の開港により成田エリアは非常に活気づき、予算100のところを110〜115という実績が出るようになりました。その結果、皆が前向きな発想をするようになって、本社が要求した予算が100のところを皆で110という目標を立てるようになり、更にその目標も突破するというような勢いがついて、結果2年間足らずで売り上げ倍増という実績につながったのです。

6人の営業マンは、色々と考え方も前向きになり、新しい商品、新しい得意先、新しいアイデアが次から次に湧いて出てくるようになりました。思わず「それが半年前の君か!」と言ってしまうほどの、人間の大きな成長を共に経験することができたのです。

その後、6人の仲間はそれぞれ大変優秀な人材となり、後に社長も出ました。全員役員になり、重要なポジションで仕事をすることになりました。その人たちとは、いまだに大変親しく付き合っています。

もしあのとき、「左遷」に気を悪くして出向を拒んでいたら、このような経験はできませんでした。たとえ自分の思い通りではなくても、与えられた仕事を前向きに、積極的にすることで、大きなチャンスが得られるということ、また、人間がそういう環境におかれると、大いに成長するということを、身をもって学びました。


≪続く…≫






池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


福岡写真展開催中!明日NHKで放映されます! [2011年12月14日(Wed)]

協会写真展「笑顔を君に」IN福岡 只今開催中!!

【会   場】
NHK福岡放送局 NHKギャラリー
福岡市中央区六本松1-1-10NHK福岡放送局内
   tel.(092) 724-7001 アクセスマップはこちら

【期   間】
2011年12月13日(火)〜18日(日) 10時〜17時






明日(15日)のテレビ番組で写真展が紹介されます。
初鹿野理事長も出演予定です!


NHK『ぐるっと8県九州沖縄』
放送日12月15日(木)11:05〜


初鹿野理事長出演は11:49〜11:54上記番組内「ごきげんふくおかナビ!」コーナー
※福岡県内のみの放送となります


福岡の皆さん、ご感想お待ちしています笑い




Yブタ
「夢は叶う」池田弘一さん講演記7 [2011年12月12日(Mon)]
皆さんこんばんは月
そして連載をお待ちの皆さん、本当にすみません悲しい困った
先週末は何かとバタバタし、講演会第7回目の更新が今日になってしまいましたすいません

そうです、明日からは福岡の写真展ダッシュ
そして今週末は年に一度のお楽しみ、チャリティー忘年会でーすまる

さて、突如出向することになった池田さんですが、実はここから朝日の如くひたすら昇っていくことになるのです−




第7回 「左遷」が成長のチャンスにつながった


その当時出向させられるということは、当時のアサヒビールの厳しい経営状況からみても、組織内での私の評価が必ずしも良く無かったことを意味していました。私は13年も九州にいたこと、やっと転勤したかと思えばすぐに出向を命じられたことで、会社の評価に大変不満を持ち、納得できないまま出向先にいきました。

しかし、今から考えると、この出向の3年間は私のキャリア形成のなかで大変大きな財産となったのです。

少し具体的に話しますと、アサヒビールは私の入社当時、業界シェアが30%程度でトップに非常に近い2番目手の会社でしたが、その後徐々にシェアを落としていました。私が出向した1978年にはシェア20%を切っており、赤字は出していないものの、当時の日本の経済成長に合わせて大きく成長しているビール業界にあって、大きく遅れをとっている状況でした。社内も沈滞ムードで暗い雰囲気だった中、出向という評価については「左遷」と受け取るのが普通だったのではないかと思います。

ところが、出向先の成田では、新たに国際空港が開港するということで、様々な会社やそれに付属する様々な人が急激に集中、大変大きなビジネスチャンスが生まれました。結果、2年間で売り上げ規模が倍増するという驚異的な成長を遂げることができたのです。

出向先には成田支店長として入りました。成田支店は、支店長の私以下営業担当者6名程度、総勢20数名の規模でした。


≪続く…≫





池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


「夢は叶う」池田弘一さん講演記6 [2011年12月02日(Fri)]
皆さんこんにちは笑顔
先日予告した通り、一昨日(11月30日)、初鹿野理事長をはじめとする協会代表5名が、「東日本大震災支援交流プロジェクト」で南相馬市の小学校を訪問しました学校
近日中にレポートいたしますので、しばしお待ちくださいラブ

さて、池田さんの講演は今回からいよいよ本題です。
池田さんは逆境のアサヒビールにあって、どのように「夢」を実現していったのでしょうかはてな物語の始まりです拍手






第6回 「夢は叶う」 〜アサヒビールで学んだこと〜


それでは本題に入ります。

今日は、私がアサヒビールで学んだことをお話しすることで、皆さんの「夢が叶う」後押しを出来ればと思います。

私は1940年に福岡県に生まれ、今年既に71歳になりました。地元の小・中・高校、そして、同じく福岡にある九州大学を卒業、その間すべて親と一緒に暮らしていました。

1963年にアサヒビール株式会社に入社して、ずっと営業の仕事に携わり、2001年に社長、2005年には会長になり、2009年3月に会長を退いて現在相談役となっています。

47年間、アサヒビールでの仕事を通して色々学び、幸いにも最後は社長・会長を経験させていただいて、大変恵まれた会社員生活だったと思います。

私自身は元々優れた能力もなく、普通の人間なのですが、色々な人々に助けられ、あるいは色々な巡り合わせによって、このような会社生活を送ることができました。

私はずっと営業の仕事をしていたわけですが、最初は1964年9月九州支店の販売課からスタートしました。当時は大学卒業後就職しますと、3〜5年の間に何箇所か転勤し、色々な職場を経験することによって会社から適性を見極められていくものだと思っていましたが、どういうわけか私は、最初の配属先の九州支店に13年間もいることになりました。

13年後の1977年、始めて東京支店の千葉営業所に移り、関東地区の千葉県を担当することになりました。そのとき課長代理となったことで、管理職のスタートラインに立ちました。

ところが、翌1978年、担当していした得意先のビール卸会社に、突然出向することになりました。当時、その会社のあった千葉県成田市に新東京国際空港が開港するということで、その関連で出向を命じられたのです。


≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。