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5回目の現地派遣活動終了! [2010年09月27日(Mon)]

皆さんこんにちはびっくりいかがお過ごしですかはてな
東京事務局のYは100万回の手洗いプロジェクトのモニタリングのため、
25日まで雲南省におりました山

今回のモニタリングでは、プロジェクト対象の小学校を
ひとつひとつ訪問して参りました学校
今年2月に研修を受けた先生たちは、学校に戻って衛生授業をやってくれているはず音符果たして子どもたちの反応はどうだったのでしょう。そしてプロジェクトで設置した施設は有効利用されているのでしょうかはてなはてな以下、ご報告ですびっくり



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


9月17日、私と雲南支部のLさんは紅河ハニ族イ族自治州建水県岔科鎮の白雲小学校を訪れました。
白雲へは、まず昆明から長距離バス自動車で3時間の建水に行き、そこから岔科行きの小さなバス自動車に乗り換えます。赤土の道をひたすら行くこと1時間、バス停の看板も見当たらないような三叉路で車を降り待っていると、白雲小学校の李国文校長先生が車で迎えに来てくれました笑い
車で10分ほど行けば、そこはもう人口100人ほどの小さな白雲村です音符
村の中心には、協会の支援で建てられた真っ白な小学校の校舎学校が、ひと際輝いて見えましたキラキラ




モニタリングは校長先生のインタビューから始まりました。
校長先生によれば、研修帰りの先生の授業は子どもたちにドキドキ小大好評ドキドキ小で、子どもたちの衛生意識も大きく変わったといいます笑い
プロジェクトで設置した太陽熱温水システムとシャワー室の使用も順調で、1日25人の子どもがシャワーを浴びられるようになりました温泉
手洗いの習慣も少しずつ身についていて、今ではほとんどの子どもが、食事前に手を洗うようになったそうです拍手





子どもたちはわんぱくで手洗い場の蛇口をよく壊し、
先生はもう30回以上も修理をしているそう困った
金曜日で授業が早く終わってしまったため子どもたちには会えませんでしたが、それでも何かが変わりつつあることを実感させてくれる、有意義な視察でしたラブ



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


9月20日月曜日、プロジェクトのドナーであるJICAの視察団と合流し、今度は怒江リス族自治州の福貢県に向かいました。怒江には協会支援校籐誼小学校を始めとする、プロジェクト対象校4校があります学校キラキラ
まずは昆明から飛行機飛行機で保山まで飛び、そこから福貢までは車でなんと6時間の道のりダッシュ
視察は3日かがりで行われました月




午後8時前にようやく福貢に到着し、翌日早朝から視察開始です太陽
教育局を表敬訪問した後、その足で最初の訪問先・籐誼小学校へ向かいました足跡
籐誼小学校にはシャワー室・太陽熱温水システムの他、雲南省の学校初となるバイオガス設備を設置していますラブ
バイオガス設備はヒト走るを含めた動物馬ブタの糞尿うんちや有機物を発酵させてメタンガスを産出しますが、籐誼小学校では地下のタンクにたまったガスを炊事料理の熱エネルギーとして使っている他、ガスで電気を起こすための発電機を導入しました炎
この発電機によって、シャワー室と教室の電灯を灯すことかできるのです電球




校長先生との会談を終えると丁度お昼休みおにぎり
子どもたちが元気な笑顔を見せてくれました笑い

午後に訪ねたのは地域を束ねる遠福中心小学校と匹河中心小学校学校
プロジェクトが昨年8月と今年2月に昆明行った衛生授業研修には、2つの学校からのべ20人の先生が参加してくださいましたメモ

研修後、学校に戻った先生が行なった衛生授業はやはり子どもたちに大人気で、ほとんどの児童が自主的に手を洗うようになったといいますOKキラキラ
学校のあちこちに、プロジェクトが提案し実際に子どもたちが作った「君に石けんを」のポスターが貼られていましたまる

いずれの学校でも、少しずつ変化は起きているようラブ
この小さな一歩が、やがて大きな歩みになるまで皆さんと見守っていきましょうびっくり






★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


今回の視察は時間の制限もあって少々駆け足になってしまいましたが、11月の最終モニタリングでは、薄田プロジェクトマネージャー自らが再び現地へ赴き、じっくりと検証を行う予定ですラブ
1年8ヶ月のこのプロジェクトも、いよいよひとまずの終わりが近づいてきました。
プロジェクトには期限がありますが、手洗いには期限はありませんキラキラ
この先も子どもたちがずーっと元気に学校生活を送ることができるよう、引き続き現地の先生たちと一緒に試行錯誤していきたいと思います笑顔


(東京本部Yブタ
夢は叶う―新井会長講演記G [2010年09月22日(Wed)]
 皆様こんにちは!
本日22日は中国ではキラキラ中秋節キラキラです。丸い月に家族円満を願い、家族で集まり、あるいは離れていても家族を想いながら、月餅(げっぺい)を食べる日ですパンダ
 東京事務局でも、支援者様から送っていただいた月餅をスタッフ一同でありがたくいただきました。日本の会員様や支援者様、そして支援をしている雲南の子供たちは大きな家族です。そんな家族のことを想いつつ・・・クローバー
 新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演連載、いつもは金曜日に更新をしておりますが今週金曜は協会東京事務局は臨時休業いたします。ので連休前に第8回目をお届けします。皆様もどうぞ家族のような雲南の子供たちを想いながらお楽しみ下さいウサギ





第8回 

 じつは発明、発見にはぱっとひらめく前に、その人がどんな問題意識をもっているかがカギなのです。問題意識、つまり、考えに考えて思い詰めるような状態にあって始めてひらめきがさえてくるということなのでしょう。それがなければ、情報もただの雑音です。ショックレー博士も考え抜いて思いつめた状態にあったから、偶然をプラスの成果にすることが可能だったということです。ちなみに、博士がトランジスターという真空管に代わる新電子部品を発明したと発表したのは1948年6月。ノーベル賞の受賞は1956年。発表記事をニューヨーク・タイムスはなぜか科学面でも経済面でもなく、映画欄に掲載した。そのわけはいまもって分かりません。

 英語に「マドリング・スルー」という言葉があります。直訳すれば「泥の中を通り抜ける」ということだが、先が読めない中でも、積極的に当面の課題に立ち向かいそれを切り抜けて大きな成果につなげることを意味します。一見、その場しのぎで済ますかの意味合いがありますが、18世紀の英国で生まれたこの言葉は、むしろ、その反対の概念で、冒険心や勇気をもってやれば、困難も解決するということなのです。
 みなさんも夢を叶えようとすると、余りに遠い夢なので、途方に暮れてしまうことも多いと思いますが、世の中の人々は、偉い人や成功者を含め、みんなが結局、毎日を「マドリング・スルーでやっている」と考えれば、多少は気が楽になるということではないでしょうか。

 私の親しい友人に囲碁の女流名人だった小川誠子さんというひとがいます。いまでは本当の意味の大家ですが、彼女はプロになる試験でつまづいたのです。15歳のとき、最初のプロ試験、最後の一局で涙をのんだ。2度目のチャンスは17歳、プロテストは1年に1回きりという緊張感で、ここ一番の勝負に負けて、また落第です。周りのひとたちは実力があるのに大事な場面で、なぜ、弱気になるのかと首をひねっていたのですが、師匠の木谷実さんが、このひとは日本の囲碁界の最大の実力者でした、「自分が怖いときは相手も怖い、勇気を出しなさい」といってくれた。その言葉が励みになって、3度目でプロ合格、彼女はその後、勝利街道を驀進です。囲碁の世界は天才たちの集まりで、プロ試験に2度も落ちる棋士は仮にプロになれてもあまり大成はしません。しかし、彼女は女流名人を獲得しました。師匠の言葉がよかったのでしょう。

 私も新聞記者生活でも、新聞社の経営幹部としても、この「自分が怖いときは相手も怖い」という言葉には勇気づけられました。人間は弱いものです。しかし、ライバルも同じように弱い人間である、というようにはなかなか思えません。みなさんがこれから夢の実現に向かう場合、覚えておいたほうがよい言葉だと思います。

≪続く…≫



写真


新井淳一さん略歴
1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員

夢基金新1年生!! [2010年09月19日(Sun)]

日本の皆さんこんにちはびっくりいかがおすごしでしょうかはてな
昆明はここのところ30度近くの暑い日が続いています泳ぐ

さて、今日は「25の小さな夢基金」で支援している春蕾クラスの新1年生たちに会ってきました音符
中国では9月1日から新年度が始まります。
彼女たちも遠い山里の家を離れ、大都会昆明に出てきたばかり。

今日は夢基金のための写真を撮影しましたカメラ
今年の1年生は51人。それぞれの民族衣装をまとって写真撮影に挑みましたラブ


撮影を待つ1年生たち。色とりどりの衣装が本当に美しいハート


これからプロフィールを書いてもらい、日本の皆さんの支援を待ちます。
山岳地帯出身の彼女たちの実家は、現金収入がほとんどないのが普通です。
学費免除の春蕾クラスで勉強することが出来ても、昆明での生活費を捻出するのはとても大変なこと悲しい
これから3年間勉強に専念するためにも、皆さんのご支援を心よりお待ちしておりますびっくり



応 援 し て ね !!


(雲南支部)
夢は叶う―新井会長講演記F [2010年09月17日(Fri)]
 皆様こんにちは!今週は東京も急に涼しくなりましたが、なんでも週末にまた暑さが戻るとか戻らないとか…まだ油断は出来ないようですね。事務局Mはいよいよあと半月に迫ったグローバルフェスタの準備でドキドキドキドキ小です。
 さてさて、新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演連載、第7回目をお届けしますウサギ





第7回 

 私はその中で金融、財政、産業政策、外交など、私たちの言葉でいえば、マクロの経済記者をやりました。海外駐在は1970年代後半の4年間のニューヨーク特派員、米国経済や国連外交を取材しました。経済部長、編集局長を経験、1990年代後半からは新聞社の経営を担当、副社長で退任、現在、日本経済研究センターというシンクタンクで政策提言などをやっております。

 長々と私の略歴を申し上げましたが、みなさんもどんな男がしゃべっているか分からないで聞いていただくのも、困ると思ったからです。要はここで言いたいのは、夢は普通なら、状況でよく変わるが、それでいいのではないかということです。私の場合は、医者、エンジニア、新聞記者。前の二つはいずれも自分の頭で考えたものではないと、ある段階で気づいたとたん、ぐらぐら揺れだしたものです。みなさんも夢という形の将来の志望を描く場合は、必ずそれが本当に自分の頭か出たものかどうかのチェックをやってもらいたいと思います。


<夢を叶えるノウハウ・・その1、チャンスに備えよ>

 「トランジスターはよく計画された研究から偶然生まれた」
(トランジスターの発明でノーベル賞を獲得したW・ショックレー博士)

 みなさんのいまの生活が、IC革命によって飛躍的に快適で便利になっていることは説明する必要もないと思います。そのきっかけを創ったのが米ベル研究所のショックレー博士らの研究です。それまでは真空管という図体の大きいものが、いまのICの代わりをしていました。

 彼がトランジスターの研究を始めたのは1930年代末のころです。彼の頭の中には真空管に変わる半導体という小型の固定増幅器があるという夢をすでに持っていたのですが、何回、実験をやってもうまくいきません。始めて10年、念願の増幅作用が確認されました。ところがよく調べてみると、うまくいったのは、自分たちが考えていた材料の結晶ではなく、結晶の表面処理を間違えたことが原因だったことに気がつくわけです。

 しかし、発明とか大発見というのは、たいていの場合、偶然が左右するものです。この偶然をものにできるかが勝負どころでしょう。一生懸命、夢を求めて毎日の努力をするから、ワンチャンスをつかむことができるということなのです。中途半端に毎日を過ごしていても偶然はキャッチできません。偶然のほうが、近づいてこないということかもれません。

≪続く…≫





新井淳一さん略歴
1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員

夢は叶う―新井会長講演記E [2010年09月08日(Wed)]
 皆様こんにちは!水曜に久々雨!と思いきや台風でした。少しは涼しくなったでしょうか
毎週金曜日に更新してお届けしております、新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演連載、第6回目です。笑顔 引き続きお楽しみ下さい♪ウサギ








第6回 

 将来の職業として新聞記者を志望したきっかけは、大学3年のときのゼミ活動です。経済学を専攻、ゼミナールは労働組合論でした。その一環で、当時、日本の底辺の労働者といわれた日雇い労務者の実態を調べたことがきっかけです。日雇い労務者というのは道路つくりなどの現場で働く、日給の労働者で、サラリーマンのような月給をもらう労働者ではありません。朝早起きして広場で仕事の口がかかるのを待つ。声がかからないとドヤといわれる簡易宿舎で1日中、寝て暮らす。声がかかれば、業者が差し向けた大型トラックの荷台に乗って現場に行く。私たち学生もこのドヤで彼らと一緒に1ヶ月同居して、何回かは工事現場で働きました。

 その体験をもとにレポートを書くのです。これは強烈な経験でした。経済学の教科書には全く載っていない経済実態でした。日雇い労務者はほとんどが地方から東京などの都会に働きに出てきたひとです。現在の中国でも地方から都会へ出稼ぎに行くケースが多いでしょうが、当時の成長する日本経済の底辺は、家族を現地に残し地方から出てきた人々が支えていたのです。本当の経済とはこれなのだ。こういう真実を書いて、みんなに読んで貰えたらうれしい。それが新聞記者、特に経済記者を志望した直接のきっかけです。

 日本経済新聞の記者を受験して合格したのが、1964年、ちょうど東京オリンピックの年でした。中国の北京オリンピックは昨年でした。オリンピックの開催は国の勢いがある年だなあ、というのが実感です。日本経済新聞というのは、中国に似たような新聞はないと思います。経済紙でありながら社会や文化もきちんと報道する。しかし、全体のトーンは経済に置いて、日本経済および世界経済の発展につながるニュースを大切にする。米国のウオールストリート・ジャーナルと英国のフアイナンシャル・タイムスを目標にしていますし、事実、提携関係を結んでいます。


≪続く…≫




新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員

夢は叶う―新井会長講演記D [2010年09月03日(Fri)]
皆様こんにちは!9月に入ったというのにまだまだ暑いですね太陽
毎週金曜日に更新しております新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演連載、
なんともう第5回目♪もうおなじみですね。
今回は新井さんご自身の夢の変遷の話題です。
ちょうどリアルに目標を決めようという年齢の高校生たちにとって
とても興味深かったことでしょう 笑顔
皆様も今週末は、ご自身の青春時代に思いをはせつつ?お楽しみ下さい ウサギ








第5回 其の壱、夢とは何かB

 私自身、新聞記者になる夢を抱いたのは大学3年のときです。

 小学校から高校1年生のときまでは医者になるつもりでした。母の実家が医者をやっており、医者とは世の中で尊敬され、役に立つ重要な職業と思い込んでいたからです。もちろん、このことは間違いありません。医者は重要な職業です。しかし、私の場合は、ちょっと違いました。

 高校に入って冷静に考えて見ると、医者がよいという思いは、本当に自分で考えた夢なのかどうか分からなくなったのです。母や祖母から幼いときの私の頭に刷り込まれたものではないかと、ある日、気づいたわけです。私が医者を断念すると、母たちはたしかにがっかりするかもしれません。しかし、自分が本当にやりたいのかどうか、自信がなくなったのです。母に相談して志望を変えました。

 その後、1年ぐらいはエンジニアになることを考えていました。
数学や物理が好きだったこともあって、自分は理科系の学校や職業に向くとも思いました。しかし、これも究極のところ自分が本当に考えて選んだ志望ではない。世の中が経済の高度成長期でエンジニアを求めている。それに迎合している面がある、という思いになりました。大学受験の半年前、高校3年生の夏です。

結局、高校のときは明確な志望、つまり夢は決まらずに、大学は法律とか経済学を専攻する文科で受験し、合格したわけです。法律や経済を勉強しているなら、そのうちに自分のやりたいことが出てくるとぼんやりのんびり考えていたのです。


≪続く…≫





新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員