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写真展「茶馬古道」のご案内 [2010年08月30日(Mon)]
皆さんこんにちは笑顔
8月ももう終わりだというのに、まだまだ暑いですね落ち込み

さて、情報通の城戸さんから、またまた耳寄り情報を頂戴しました音符
少し先のお話ですが、銀座のキヤノンギャラリーで、素敵な写真展が行われますハート
雲南省、四川省からチベットを越え、インドまでつながっている人類史上最古の交易路「茶馬古道」を、写真家の朴宗祐さんが5年の歳月をかけて撮影した写真の展覧会です馬



朴 宗祐(パク ゾンウ)写真展「茶馬古道」
2010年9月24日(金)〜9月29日(水)
於銀座キヤノンギャラリー


************************************************

 人類史上で一番古い交易路である茶馬古道。この道は中国西南部の雲南省、四川省からチベットを越えて、ネパールからインドまで繋がっている。

 全長約5,000q、平均海抜高度は4,000m越し、高くて険しく平坦な場所は殆どない。

 シルクロードより200年余り前に先んじて作られたこの道は、雪に覆われた5,000m以上の雪山と金沙江、瀾滄江、怒江が繋がる数千kmの眼が眩むような壮観であり、峡谷は、世界で一番美しい道でもある。古くから「茶馬古道」と呼ばれて、交易の道として雲南省、四川省のお茶とチベットの馬が運ばれた。

 写真家 朴宗祐(Park,Jong-Woo)は、この道に沿って品物を交易した商人組である馬房を探して、東部チベットのカムと羌塘高原にヒマラヤの人々と風光を取材した。

 彼にとってヒマラヤは人間の限界を試す神聖で、境目のない宗教と文化の震源地に映った。同時にこれからは消える切ない自然と人々の足跡を5年間かけて追った。

 今回の写真展である「茶馬古道」は、深い信仰心と敬虔な心で大自然と接しているヒマラヤの人々に捧げる献詞である。

************************************************


皆さんも是非、悠久の時間と5,000キロの道のりを旅してみませんかはてな
雲南省の「世界で一番美しい道」が見られる朴宗祐「茶馬古道」写真展は、9月24日から銀座キヤノンギャラリーで開催ですびっくり

公式ページは >>> こちら
(東京本部 Yブタ
夢は叶う―新井会長講演記C [2010年08月27日(Fri)]
新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演の連載、第4回目、
いよいよ始まった「夢」についてのお話のつづきです♪
当日は生徒の皆さんすでに耳ダンボになっておりました笑顔
皆様もどうぞ引き続きお楽しみ下さい
ウサギ





第4回 其の壱、夢とは何かA

でも、現実には「夢を叶える」努力を自らあえてしなくても「夢が叶う」、文字通りラッキーなひともいます。中国でもそういう例はあると思います。日本の最近の例でいえば、現首相の鳩山さんがそうかもしれません。何せ、一人前の政治家になっても毎月、千万円を越える金額を母親からもらっていて、本人はその事実を知らなかったと公言しているのです。そのお金が政治資金となって、首相就任の活動費となったことは事実でしょう。日本人で鳩山さんの弁明を信じている人はまずないと思いますが、いまのところ秘書が勝手に受け取っていたということで、急場を切り抜けようとしています。

しかし、鳩山さんが自らチャンスをつくる努力をしないでチャンスをつかんだことが、仮に本当であっても、そのこと自体が、いま鳩山政権のアキレス腱となって退陣を迫られる形で本人へ跳ね返っているのです。努力抜きの夢は実現しても長続きしない。運命は皮肉で、また公平だともいえるわけです。いま日本では、鳩山首相の疑惑と小沢民主党幹事長の政治資金疑惑と並んで(鳩山さんよりこの人の方が性格は悪いようですが)与党民主党の支持率は急降下です。「夢」は自分の努力で勝ち取らないと、ひどい目にあうという教訓がここにあるということです。

ところで、若いときに抱いた夢は絶対、変えてはいけないものでしょうか。
私はそう思いません。逆に結構、くるくる変わって当然だと思います。
よく大きなことを成功させるは、ひとつの夢を挫折しても挫折しても捨てないことが肝要だ、といわれます。オリンピックで優勝する選手やノーベル賞をもらう学者などはそうかもしれませんが、私たちのような凡人の夢は、状況によって変わるのが当然だと思います。ひとつの夢だけを追いかけていくのでは、人生は窮屈で、結果として不幸になります。



≪続く…≫




新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員。
夢は叶う―新井会長講演記B [2010年08月19日(Thu)]
お待たせしました、新連載待望の第3回目ですびっくり
新井さんの「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演、いよいよ本題「夢」についてのお話が始まります♪引き続きお楽しみくださいラブ





第3回 其の壱、夢とは何か@

 「ひとは生まれる時代を選べないが、時代をどう生きるかは個人の決断だ」(バイオリン奏者・黒沼ユリ子)

ひとが生まれることを西欧では、コウノトリが赤ん坊を落とすといいます。赤ん坊だからコウノトリ次第で、当然、生まれる時代を選ぶことはできません。しかし、生まれた後は、その時代をいかに、どのように生きるかは、個人に委ねられているということです。
 
時代だけでなく、国とか場所も勝手には選べません。もちろん国籍と住む場所なら、意思があれば、生まれた後に変更は可能です。しかし、時代は無理でしょう。
 
要は「夢は叶う」ではなく、「夢は叶える」ものだ、と黒沼さんはいいたかったのでしょう。黒沼さんは日本人でありながらメキシコに住んで音楽活動を展開しました。

よく「生まれた時代が悪かった」とか、「生まれた国が悪かった」というボヤキをいうひとがいます。別にそれは間違いではありません。生まれた時代や国で人には不公平がついて回ります。しかし、それだけを訴え続けていても、問題はなにも解決しません。悪い時代に生まれても、立派に夢を完成させた人もたくさんおります。夢とは何かを考える前に夢とは個人が掴み取るものだ、ということを確認しましょう。


「英語でチャンス・メーカーという言葉がありますね。チャンス・キャッチャーとは言わない。チャンスはつくるものです」(作家・城山三郎)

夢をチャンスに置き換えるとよくわかります。チャンスは寝て待っていて天井から落ちてくるものではありません。黙っていてキャッチできるものではないということです。チャンスが自分に近づいてくるように、周囲の状況をつくり出す必要があるということでしょう。

城山さんは日本で有名な作家です。近代日本を作った人々の伝記風の小説で数々の名作があります。努力がなければ夢は叶わない。黒沼さんと同じことを言っているのです。



≪続く…≫



新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員。

夢は叶う―新井会長講演記A [2010年08月13日(Fri)]
さて、新連載第2回目です。びっくり
引き続き新井さんの「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演をお楽しみくださいラブ





第2回 はじめにA

 1960年代半ばからの高度成長で、日本経済は強くなり、われわれ日本人の生活は一変するのです。私は自分のうちにテレビが入ってきた瞬間をよく覚えています。それまではテレビはぜいたく品で、見たくなると、テレビのある家に押しかけてみせてもらったり、道端でみんなが一緒にプロレスなどのテレビ観戦をしていました。冷蔵後だって普通の家にはそれまでありませんでした。

 いま日本はひとり当たりの国民所得で、3万ドルを超え、世界でも高い方に位置しています。しかし、昔は本当に貧しかったのです。 1960年代から1980年代末までの、約30年の高度成長が日本をがらりと変えたわけです。私たちはこの期間を「日本経済の夢の時代」と呼んでいます。給料が毎年、確実に増えて、家電製品や自動車が家庭に入ってくる。ある意味では今回のテーマの「夢は叶う」を絵に描いたような時代だったわけです。その後の日本経済は、というのは最近の20年ということですが、「失われた10年とか20年」という標語に象徴されるように、成長スピードをガクンと落とし今日に至っているわけです。国の力を現す指標のひとつがGDP(国内総生産)です。GDPでは日本は恐らく今年か来年には中国に抜かれて、世界第三位に落ちるはずです。ちなみに第一位は米国です。まだ一人当たりのGDPでは日本は中国の10倍近い大きさですが、全体のGDPでは中国が上回ります。

 長々と前置きを語りましたが、要は日本が貧しいときから豊かになった現在までをジャーナリストとして、私自身が見てきたわけです。その話をすれば、人々の夢というものが1国の経済と絡んでどう変わっていくか、みなさんがわかるかもしれないと、考えたわけです。そんな話をこれからしてみたいと思います。

 新聞記者ですから言葉にこだわってみようかと思います。それぞれの話の冒頭や途中に私の好きな人々の言葉を入れていきます。その言葉は私がそのくだりで言いたいことを別の人の口、つまり他人の発言を借りて、言ってもらっているという位置づけになるはずです。


≪続く…≫



新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員。
夢は叶う―新井会長講演記@ [2010年08月06日(Fri)]
本日より、新連載がスタートしますびっくり

昨年の丘ヤス先生に続き、今年5月、当協会「25の小さな夢基金」で支援を行っている「昆明女子中学校」(中高一貫校)にて、「夢」をテーマにした講演が行われました。
今回の講師は協会会員のキラキラ新井淳一さんキラキラです笑顔
この講演のためにはるばる昆明を訪れてくださった新井さん。
当日は総勢160名の女子高生が、海を越えやってきた夢の伝道者の話に、
熱心に聞き入りましたメモ


この連載では、女の子たちを大いに勇気づけた新井さんの講演内容を、全16回に渡ってご紹介しますラブ





第1回 はじめに@

 お茶の故郷といわれる昆明に来ることができて、とてもうれしく思っております。「茶は南方の嘉木なり」と、唐の時代の文人で茶聖の名のある睦羽は760年ごろ著した「茶経」で書いています。その嘉木とされた茶の原産地は実は雲南省だと、日本の本で教わりました。お米もここから朝鮮を経由して日本に入ってきたという見方もあります。お茶にせよ、お米にせよ、現在の日本人の生活に絶対、欠かせないものです。私も毎朝、毎晩、お米とお茶をいただきます。その故郷でみなさん相手にお話ができるのは、ありがたいことです。

 今回、雲南省の昆明でみなさんのような若者を相手に、夢が叶うというテーマで話をしてくれませんかという依頼があったのは3〜4ヶ月前だと思います。正直、本当にびっくりしました。「なぜ、私が」、「私でいいの」という思いが、率直な感想でした。

 私自身、新聞記者を始めたのは45年前です。以来、ジャーナリストとして日本経済や政治、世界経済の動向を追い続けていますが、それ以外の世界は全く知りません。夢を語るといっても、中国のみなさん、特に昆明のみなさんの夢と、私自身が日本のジャーナリストとして追い続けていた夢との間にどれだけの共通点があるのか、分からないところもあります。

 しかし、よく考えてみますと、ジャーナリストとしての私の最大の取り柄は、貧しかった時代の日本を知っているということです。小学校の時代は、いまより60年も前のことですが、体育の時間はみんな裸足で運動場を走っていました。お金持ちで靴を買ってもらえる生徒もいましたが、半分以上の生徒は運動用の靴を買う余裕はありませんでした。大学時代、これは50年前のことです。幸い私のうちは裕福な方で授業料のほかに若干の小遣いまで親が出してくれました。しかし、学友の中には貧乏で、食事も学校の食堂で、3回に2回はごはんにお醤油をかけただけというのもおりました。


≪続く…≫



新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員。