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独龍江で学校を待つ子供たち33 [2007年11月29日(Thu)]

素朴な心遣いにささえられ歩く山道
 
この孔当までは、いくら揺れるといっても、車にしっかりと掴まっていれば、目的地まで運んでくれた。しかし、ここから先は、自分の足で歩かねばならない。
 目的地の巴坡小学校までは五時間超。幸い天気には恵まれ、ハイキングには絶好の日和である。訪問団も数えたら、いつのまにか二〇名を超える大所帯となっていた。
 我々も気合を入れ、必要最小限の荷物を持って、歩き始めた。ここから、山道を五〜六時間は歩かねばならない。河の流れを見ると、川下に向かっているようなので、ひとまず安心した。明日の帰りには登りになる、という辛いことを今は考えず、まず目的地、巴坡小学校まで歩き通すことだけを考えることにした。
 歩き始めると同時に、すぐに我々の背負っていた荷物はすべて取り上げられ、同行した地元の人たちの背に乗せられた。兎に角、親切な人たちで、我々がまるで子供であるかのように気遣ってくれる。今から半世紀も昔の話になるが、私は毎年夏休みに、母親の実家のある田舎に行っていた。この親切な心遣いは、丁度、あの田舎の人たちの純朴で素朴な心遣いと全く同じであった。


巴坡への道/独龍江に沿って山道を歩いて向かう

 今、歩いている道は、独龍江を貫く、たった一本の幹線道路である。そのため、荷物を背負った人や騾馬と行き交うことも多い。従って、道は騾馬の糞だらけで、我々は、この糞を避けながら歩かねばならない。
 この糞も慣れてくると、大量に落ちている場所がわかるようになる。悪路に入る手前と登り坂の手前が多い。やはり、騾馬もここ一番、ということで踏ん張ると糞もでるのであろう。物流の主役も大変である。

 余談になるが、この騾馬は、オスのロバとメスの馬を交配させて作られた荷役専門の雑種である。体はロバに似て小さく、力は馬に似て強い。しかも粗食に耐えてよく働くため、このような山間部では好んで使われている。ただし、悲しいことに繁殖は不能で一代限りで終わってしまうということだ。このような過酷な条件の下でも、心臓が破裂するまで働き続ける、という悲しい性を持って生まれてきている。その思いで眺めると、騾馬の糞も、きっとこれが生まれて働き続けたという証なのであろう。同情の念を禁じえなかった。
 この道は、自動車が通れるようにする拡幅工事の真っ最中である。いずれは、自動車で貢山から孔当を通り巴坡まで直接入れるようになるのであろうか。寂しいような気もするが、これも時代の流れである。騾馬も不要になる。もっと山奥にでも売られていくのだろうか。せめて、のんびりとした老後をおくってほしいものである。


騾馬/巴坡へ向かう山道では物流の主役となっている

 歩き始めてすぐに訪問団はバラバラになった。一人または数人で、写真を撮ったり、景観を楽しみながら、思い思いに歩いていった。道は一本しかなく、道に迷う恐れは全くない。幸い天気もよく、災害にあう危険もなさそうである。
 中国に来て、いつも感じることは、このような団体行動において「起承転結」があまりはっきりしない、ということである。なんとなく始まり、なんとなく終わる。この雲南省で参加した結婚式なども、参加する人は適当に来て、食事をし、適当に帰る。それが一日中、延々というか、だらだらと続いている。これが中国流なのだろうが、規律好きの日本人には、なかなか馴染めない。
 開会宣言で始まり、シャンシャンシャンで終わる。これでないと、日本人はうろたえるばかりである。個人主義的要素の強い中国人と団体でないと落ち着かない日本人の違いが、このようなところにも出てくる。
 この独龍江の川沿いは、まっすぐに切り立った絶壁が遥か上まで伸びており、そこには、太古の自然がそのまま残っていた。薄い板状の岩が幾重にも果てしなく折り重なって、絶壁を構成している。神のみが創り出すことを許された造形である。何億年もの昔、ヒマラヤ山脈と共に海の底から、長い年月をかけ、隆起して出来たのであろうか。このような自然美に対して、美しいという言葉ではなく、むしろ「畏敬の念を覚える」というたぐいの言葉の方が相応しい気がする。


目的地近くの人家/高床式の簡易な作りとなっている

 あと一時間少々で目的地に到着するという地点で、同行する地元の人から河原の方へ招き入れられた。その独龍江の河原では、地元の少女二人が、湯を沸かし、茶を入れ、芋を焼いて、我々の到着を待っていてくれた。
 本当に、心も体も温まるさりげない歓迎である。全員がお茶を飲み、焼き芋を食べ終わるのを見届けた少女たちは、来た時と同じように、やかんを担ぎ、余った芋を持って、小走りに村へ戻っていった。我々の到着を知らせるためである。

 やっとのことで、民家がポツポツ見えてきた。道路脇の家を覗くと、中で子供を背負った若い女性が笑っていた。「ニーハオ」と挨拶して家の周りを見せてもらう。言葉が通じているのか、いないのか、兎に角、敵意のないことを示すために笑顔を作るしかない。高床式の簡易な作りの家で、家の中は暗くてよく見えない。女性は恥ずかしがって家の中に消えてしまった。
 更に一軒、製材所らしき家の中を見せてもらう。真ん中に製材機が一台、部屋の片隅にベットだろうか、台の上に布団が無造作に置かれている。その上には、およそ不似合なギターが立てかけてあった。老夫婦と息子の三人暮らしらしい。人懐っこい笑顔で我々を見ている。製材機やギターがあるところをみると、村では裕福な家庭なのかも知れない。

(つづく)

協会のブログがCANPANブログ国際賞を受賞しましたー! [2007年11月26日(Mon)]
皆さん、今日は嬉しいニュースがあります。な、な、なんと、当協会のこのブログが、CANPANブログ国際賞を受賞しましたー拍手拍手キラキラ!!
残念ながら表彰式には出席できなかったのですが、後日協会に賞状と景品が送られてきました!

何が送られてきたのかな〜ドキドキです!


名前入りクリスタルですっ!!

こんな素敵な賞を受賞できるだなんて・・・。嬉しい限りです。
私たちNPO団体にとって最も大事なことはより多くの人たちの協力を得ること、そして日々そういった方々に感謝することだと思います。このブログに目を通して下さっている方々、いつも協会事務所に足を運んでくださる方々、いつも心のどこかに協会の存在を感じて下さっている方々、皆さんに感謝申し上げます。

今回の受賞をまた一つのステップアップのきっかけとし、これからも協会は前進していきたいと思います。
『初心忘るべからず』

当初の思いを大切にし、今後も雲南省で学校待っている子供たちのために頑張ります。とにかく・・・CANPANブログ国際賞、キラキラ獲ったど〜〜〜キラキラキラキラ!!



これからもスタッフ・ボランティア、皆さんと一緒に頑張っていきます!


(東京本部 セイノカエル
独龍江で学校を待つ子供たち32 [2007年11月22日(Thu)]

脅威に晒され続けた悲運の民族”独龍族”

独龍江は、チベットにその源を発し、雲南省怒江州貢山独龍族怒族自冶県の中を約一五〇キロメートルにわたって流れる。その後、ミャンマーに入り、恩梅開江となり、やがてイマワジ河という大河となって、インド洋アンダマン海へと注ぐ。
 東岸には、我々が今日越えてきた高黎貢山が連なり、西岸には担当力 の山脈が聳え、その向こうはミャンマーという谷底のような地域を流れている。
 この流域の山の斜面にへばりつくように住みついているのが、独龍族である。自動車道路が出来る前までの独龍江の郷鎮であった「巴坡」という地名は、「急斜面にへばりつく」という意味で、まさしく独龍江の生活環境をずばり表現した地名である。
 この民族は、戦を苦手とした弱い民族のようで、強い民族に追われて、この辺境の地まで逃れてきたらしい。こんな辺境の地に逃れても、なおもチベット族のような強い民族からは、絶えず攻め込まれ、特に美人系でおとなしい女性たちは、略奪の脅威に晒されていたという。それを防ぐ自衛の手段として、女性は顔一面に刺青を施した、という説もあるそうだ。今でこそ、若い女性の顔に刺青はないが、老婆などには、未だその刺青が残っている。そのような収奪行為の脅威から開放された悲運の民族に、やっと平穏な生活が訪れてから、まだ半世紀余しか経っていないのである。

 ここ独龍江の人家は、切り立ったV字の谷底に点在している。高黎貢山と担当力 という高い山脈の谷間にある独龍江地区の自然環境は、地形学上、立体気候地帯に属している。人の住む鍋底のような川沿いと、中間の山麓地帯、峠付近の高山地帯では全く気温が異なり、貢山から来る途中の山脈超えの地点では、毎年六ヶ月以上もの期間、雪に覆われ、独龍江への交通は、すべて遮断され、陸の孤島となる。交通が可能なのは八月から一一月までの僅か数ヶ月で、その間に越冬に必要な物資はすべて貢山から運びこまれる。今回、我々が訪問したのは一一月末で、峠付近では雪が降りはじめ、我々が独龍江郷を去った翌日に、独龍江公路は雪のため来年の八月まで通行止めとなった。間一髪の脱出である。
 もし、仮に我々が独龍江に閉じ込められた場合どうなるのか、と尋ねたら、外国人である我々を助けるために、人民解放軍の若い兵士が出動し、我々を背負って峠を越える、ということであった。が、その真偽は定かではない。いずれにしても、時期的には際どかったことは確かである。


独龍江の人家/山の斜面に点在している

 この独龍江一帯は、
「人が食べられる物は少ないが、人に噛みつく物は多い」
と言われ、蚊、蛭、毛虫、毒蛇の四害は、有名である。
 特に雨季にあたる夏場は、この四害が活発に活動する時期で、村人も毒蛇を恐れて山には入らないという。なかでも蛭は、執拗で、かつては「蛭王国」とも呼ばれ、他の三害に比べ、ぬきんでており、この地に入った探険家たちは一様に、この蛭害の激しさを恨めしい文章で書き残している。
 また、ダニの攻勢もすごく、自動車道路ができる前の荷駄道を通り、茉莉峠を越えた日本の女性は、一晩の夜営で、体を八十ヶ所くらいダニに刺され、一年経っても、その痕が消えない、と悲鳴に近い記録を残している。
 幸い、我々が入ったのは、一一月の末で、この時期から四害も長い休暇に入るため、ほとんど被害らしきものはなかったが、どういう訳か、私の足の甲に何かが食いつき、最初は点ほどだった斑点が、次第にかゆみと共に大きくなり、帰国後数ヶ月経った今では、五○○円玉二つくらいの大きさにまで成長し、かさぶた状になって無残な姿を晒している。この食いつかれた跡は、勲章のような形のまま一生残るのであろうか。
 独龍江の水は青く、一見するとそのまま飲めそうであるが、マラリヤの幼虫がいるため、生水のままでは飲料水にはならないので、沸騰させてから飲むようになっている。
 小学校で見かけた子供たちは一様に小さく、見るからに動物性蛋白が不足していることがわかる。主食はとうもろこしの粉、小さな赤い芋に瓜、山菜、たまに魚という程度である。貴重な鶏や豚は来客があった時や、祝い事や祭りに食べる程度で、滅多に地元の人の口には入らない。生まれた子が成人まで達する確率は、約五〇%程度とも言われ、極めて厳しい環境である。

(つづく)
八王子いちょう祭りが終了しました! [2007年11月19日(Mon)]
一昨日、昨日の2日間で八王子いちょう祭りが開催されました笑い
銀杏が色付くか心配だったのですが、どうやら間に合ったようです。最近すっかり寒くなりましたもんね。さて、今年のいちょう祭りも大盛況でした!詳しい内容については、HPを見てくださいね☆アップするまで楽しみに待っていて下さい。


ところどころまだ青いですが、美しく色付きましたね♪

当日は運悪く寒波がやってきたので、2日間ともとっても寒かったようです。
お手伝い下さった皆さんにとって、今回大活躍したのは「ホッカイロ」。ボランティアの井上さんがみんなに配給して下さったホッカイロに、本当に救われた(しっちーさん談)!!さらに、素敵な差し入れが!!手作りのおにぎりおにぎりパン食パンです!!井上さん、本当にありがとうございましたキラキラ
この寒さのおかげで、協会のプーアル茶が大人気びっくりやっぱり寒い時はお茶に限りますよね〜。会員の鈴木さんは、そのお茶を切らすまいとお湯汲み担当になっていただいたそうで・・・。寒い中、ありがとうございました笑顔

イベント出店には欠かせない協会看板。今回作成して下さったのは、会員の峰尾先生でした。去年の看板を担当して下さったのも峰尾先生なのですが、看板が明らかにバージョンアップ!!していました。わざわざ時間をかけて、素晴らしい看板を作って下さり、ありがとうございました猫

今回もまた多くの会員さん、ボランティアさんに支えられてイベントが無事終了しました。ご協力いただいた皆さん、寒い中、本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。これで年内のイベントも残すところあとひとつ。そうです。来月21日(金)は協会チャリティー忘年会が待っています!!!お席にはまだまだ余裕がございますので、皆さん、じゃんじゃん参加して下さい!!いろいろなアトラクションを計画中です。景品もあんなものや、こんなものまで・・・!!
スタッフみんなで皆さんのご参加をお待ちしています乾杯キラキラびっくり

(東京本部 セイノカエル
独龍江で学校を待つ子供たち31 [2007年11月16日(Fri)]

瑠璃色をした孤高の河”幻の独龍江”

道路が凍りつく極めて危険な場所を通り抜けると、車は一気に下っていった。怒江と独龍江の海抜は、ほぼ同じなので、登った分だけ下ることになり、その高低差は二○○○メートルある。しかし、下りの方が、かなり勾配が急なようで、ぐんぐん下っていくのがわかる。道幅は、車一台がやっと通れるほどしかない。
 対向車が来たらどうするのか心配していたら、遂に一台、中国特有のあの青いトラックが現れた。互いにかなり離れた地点で車を停車させ、どこかすれ違いの出来る場所はないか探している。咄嗟の判断で姚さんが選んだのは、斜面に車が乗り上げられそうな場所であった。姚さんは、そこへ車体を乗り上げた。車は、ほとんど横倒しの状態である。トラックはそこをゆっくりと通り抜けていった。
 中国の都市部では、決して車と車が互いに譲りあうという光景を目にすることはないが、ここでは、車同士が互いに譲り合い、「安全」を最優先していた。この道では、事故だけは絶対に許されない、という厳しい現実を目にした。


独龍江/人の手が加えられることなく自由奔放に深山を流れる

 その後、車は一気に谷まで下りた。そして、私たちはついに「幻の独龍江」を目にしたのである。
 誰が命名したか知れないが、この「独龍江」という名前も素晴らしい。深山を猛々しく流れる孤高の響きがある。独龍江は、人間の手によって堰き止められたり、曲げられたりされることもなく、生まれたままの姿で自由奔放に流れていた。昨日まで見てきた怒江の水の色が、乳白色であるのに比べ、この独龍江の水は、毒気を含んだ青白い色、強いて言えば「瑠璃色」に近い青である。明らかに、水の中に溶け出している成分の違いがわかる。この青インクを零した色こそ、深山を流れる急流に相応しい生まれたての水の色である。
 貢山を出発してから六時間、やっと独龍江郷の中心地、孔当に到着した。
 今、我々が通ってきた自動車道路が完成するまでは、独龍江の郷政府は、巴坡にあったが、この自動車道路の完成によって、二○○一年に、郷政府をはじめ招待所や雑貨店まで、この孔当に移転した。雲南省怒江州貢山県独龍江郷孔当というのが、正式所在地名である。ここに孔当に置かれた郷政府では、郷長が行政の責任者として郷全域の運営にあたっている。


孔当の子供たち
集落へ入る手前の道で孔当小学校の生徒たちが拍手で迎えてくれた。


 孔当の集落へ入る手前まで来ると、道の両側では、近くにある孔当小学校の生徒たちが並び、拍手と歓声で出迎えてくれた。いつ到着するか分からない来客を授業の途中、先生に引率され、一時間以上待っていてくれたそうである。うれしい反面、申し訳ない気持ちで生徒たちの歓迎を受けながら、孔当の集落へ入っていった。すでに正午を大きく回っていた。
 昼食は集落の中にある簡易食堂でとった。看板もなければ、メニューもない、集落の人だけが知る食事処である。大きなテーブルが二つあり、そのテーブルの下には、何匹もの犬が待機して、上から落ちてくる食べ残しを狙っている。食べかけの魚の骨や頭、尻尾など、口から直接土間に落とすと、あっという間に犬が掃除をしてしまい、土間は実にきれいなものであった。食べ物を落としてやらないと、股の間から犬が顔を突き出し催促するので、まだ、食べている最中のものでも、落とさざるを得なかった。冷えたビールも出てくるし、簡易食堂としては上出来であった。


孔当の子供たち/子供たちの服装からもその貧しさがうかがえる

 食事が終わったら、これから行く巴坡小学校の生徒のために買い物をしなくてはならなかった。今回訪問予定の三つの小学校の子供たちへのお土産は、六庫の町で買い揃えた。すべて、文房具と子供たちが校庭で遊ぶためのボールや縄跳びであった。
 しかし、現地を知っている教育関係者から、
「独龍江の子供たちへは、是非、菓子類も持っていってほしい」
という強い要望があった。滅多に菓子類を口にすることが出来ないので、ということだった。終戦直後に日本の地を踏んだ進駐軍兵士が、日本の子供たちに甘いチョコレートを配っている光景が脳裏をかすめる。
 簡単な菓子類なら、ここ孔当でも入手できると聞いていたので、ここで買い込むことにしていた。どんな菓子類が喜ばれるのか、また、数が揃うのかわからぬままに、間口一間の薄暗い雑貨屋に入り、店番のお婆さんが目を丸くするほど大量のお菓子を買い求めた。品種に選択の余地はなく、子供たちが本当に喜んでくれるかどうか、自信は持てぬまま、大きな袋に詰め込んだ。

(つづく)

過ぎゆく秋 [2007年11月12日(Mon)]
今日は天気が良かったですね〜!!!
ついさっき、プロジェクト顧問の安達さんから協会宛てに素敵な写真が送られてきたので、皆さんにもご紹介したいと思います。
本当にきれいで、感動します!!

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昨日から一転快晴となったので奥多摩の三頭山で富士山を撮ってきました。
紅葉も良かった。休憩して眺めて下さい。


まるで親子みたいな紅葉 冬はもうすぐそこなのかも


富士山が雲をはきだして、なんだか可愛いですね


高い高い秋の空へまっすぐ背伸びしているようです


空の青と紅葉の赤のコントラストが鮮やかで目が覚めますね

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安達さん、こんな素敵な写真をありがとうございます!
キャプションはセイノが勝手に入れさせていただきました。
この写真を見てしばらくPCの画面に見入ってしまいました。
日本の秋って素晴らしい。自然って素晴らしい。
本当にありがとうございました!!

じつは私セイノも今日の朝、埼玉県の某駅構内から富士山を見たんです!
埼玉から富士山が見えるのか!?とびっくりしましたがとってもきれいに見えました。
今日は本当に空気が澄んでいたんですね。
この写真を見た皆さんもきっと癒されたことと思います。
また明日からお仕事がんばれそうですね!!

(東京本部 セイノカエル
独龍江で学校を待つ子供たち30 [2007年11月07日(Wed)]

異次元への通過点”300メートルの隧道”

海抜一四○○メートルの貢山から三時間以上かけて、高黎貢山を超える「分水嶺」に到達した。ここから眺める景観は、実に素晴らしい。遥か下を望むと、自然の営みの原点を見ているようである。丸い大きな水溜りが何ヶ所にも出来ており、そこから水が沁み出し、流れ出ている。
 トンネルの手前側の水溜りの水滴は、やがて川となり、怒江に流れ込み、遠くインド洋のアンダマン海までいく。トンネルを抜けた先の水滴は、独龍江に入り、ミャンマーでイラワジ河と名前を変えて、同じアンダマン海に注いでいる。
 同じ場所から沁み出した一滴は、別々の大河となり、遠く離れたアンダマン海でまた一緒になる。ありふれた恋愛小説のようであるが、そこに立って見ていると、涙こそないが感動を禁じえなかった。


分水嶺付近にできた水溜り/この水溜りから流れ出た水滴が別々の大河となり、遠く離れたアンダマン海でまた一緒になる

 この分水嶺にある三○○メートルほどの隧道は、実に恐ろしいところであった。まだ、工事途中でトンネル内は岩盤がむき出しのまま、今にも崩れ落ちそうであった。予算がないため、完成工事は中断したままだそうであるが、そこを通らなければ先へ進むことが出来ない。事故が起きないのが不思議でさえあった。
 この隧道を抜けると、あたり一面は白い雪景色と変わった。その道は、長い下り坂となっており、左側は断崖絶壁、当然ながら転落を防ぐ防護柵などあるわけもない。路面は凍りついて銀色に鈍く輝いているのが肉眼でもはっきりと分かった。
 このような道を、タイヤチェーンもつけず、下っていくのである。車がスリップするたびに、路面と同じように我々の背筋が凍りつく。下り坂の凍った路面でタイヤがいったん滑り出したら、いくらブレーキを踏もうが車が停まる訳がないことくらい自らの経験で分かっている。もし、この断崖絶壁から落ちれば、一〇○○メートル下の谷まで真っ逆かさまである。車に乗せてもらっている身では、ただただ祈るしかない。神さまでも仏さまでもよかった。

隧道を抜けると雪景色に一変
路面の凍りついた長い下り坂をすすんでいく

 しかし、さすがは怒江州政府が推奨するベテラン運転手、姚さん。顔色一つ変えることなく、巧みに車を操り、この危機を脱してくれた。後続の車も姚さんのタイヤの跡を拾い、無事、アイスバン地帯を脱出した。
「神さま、仏さま、姚さま、ありがとう」
命を一つ拾ったような心持であった。

(つづく)
埼玉写真展のお知らせ [2007年11月02日(Fri)]
そろそろ冬の足音が聞こえてきそうな今日この頃、皆さん風邪など引いていらっしゃいませんか?今日は北海道での最高気温が10℃に満たないそうです。これからどんどん寒くなるのは嫌ですよね悲しい

さて、今日はそんな寒さを吹きとばすイベントのお知らせですびっくり
来週月曜日の5日〜11日までの7日間、埼玉で写真展を開催します!
今回は協会の大宮支部が中心で行います。以下が詳細です。


私たちの見た中国雲南省
大自然とともに生きる少数民族の子供たち写真展


主 催 : NPO法人 日本・雲南聯誼協会 埼玉大宮支部

日 時 : 11月5日(月)〜11月11日
       9:00 〜 17:00
       ※初日のみ13時会場、最終日15時閉場

会 場 : さいたま市市民ギャラリー
       埼玉県さいたま市浦和区常盤6−4−4
       (さいたま市役所東側広場内)
       アクセス方法はこちらを覧ください。
    
入場料 : 無 料



雲南省のあるがままの姿をどうぞご覧ください

今回写真展では協会の写真に加え、会員や協力者の方から公募した写真も展示します。いろいろな方々から見た雲南省、現地の子供達の姿を是非ご覧になって頂きたいと思います。時間のある方は、いらっしゃってみてください。

日本では失われかけている大自然や、飾り気のない子供たちの笑顔に出会えるはずです。

(東京本部 セイノカエル